6 嫁になれ
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トマスたちが尋問を受ける中、アシュリーンもまた重要参考人として取り調べを受けることになった。アシュリーンが「精霊の足輪」によって拘束されていたことから、トマスによって捕らえられた精霊であろうと取調官も考えていた。だが、アシュリーンが話せない。書くこともできない。
ディアミドから、喉の周囲に黒い靄が見えるので何らかの術が掛けられている可能性があると言われていたので、取調官はイエスかノーかの二択で答えられるように質問を組むことにした。イエスなら右手を、ノーなら左手を挙げる。この指示に、アシュリーンは右手を挙げた。
「あなたは精霊か?」
右手。
「あなたは大切に扱われていたか?」
左手。
「あなたはトマス・フィーンヒールに捕らえられたのか?」
右手。
「あなたが捕まった時、トマス・フィーンヒールは不思議な道具を使ったか?」
(分からない時はどうすればいい?)
「道具を使ったかどうか分からない?」
右手。
「他にも精霊はいた?」
右手。
「彼らと接触できた?」
(顔を合わせたのはネイリウスと、あの風の精霊の子だけだけど、どうしたら……)
「たくさん接触した?」
左手。
「接触した精霊もいた?」
右手。
「何の精霊か分かる?」
右手。
「それは火の精霊?」
左手。
「風の精霊?」
右手。
「他にもいた?」
右手。
「水の精霊?」
右手。
・・・・・・・
つ、疲れた~!
アシュリーンは右手と左手を出してたくさんの質問に答えた。完全に疑いが晴れたわけではないので監視付きではあるが、牢ではなく客室をあてがわれている。
アシュリーンは、ベッドの存在も知らない。柔らかくて大きなその何かは、ふわふわとして触り心地がよい。その上に登ってみたい衝動に駆られたが、こんなにやわらかいものに乗ったら壊しそうな気がして、それ以上近づくのを辞めた。アシュリーンの寝床だった藁だって、使っている内にだんだんかさが減って湿ってきたことを思い出すと、ふわふわはふわふわのままであるべきだとも思った。ふわふわ柔らかいのは、正義である。
そんなことを考えながら床の上に座り込んでいる内に疲れが出たのだろう、床の上で身を丸めると、アシュリーンはそのまま眠ってしまった。
「おい、どうした? しっかりしろ!」
無理矢理たたき起こされたアシュリーンは寝ぼけ眼のまま自分を揺さぶる男を見た。
「具合が悪いのか?」
取調官との膨大な会話が条件反射になったのか、アシュリーンは無意識に左手を示した。
「左手? 左手が痛いのか? どこだ?」
違う、と首を横に振るが、伝わらないらしい。
「おい、医者を呼べ!」
後ろに誰かがいたのだろう、男の言葉に足音が遠ざかっていく。黒髪の男が、ネイリウスのように心配そうな顔をして自分を見ている。
あ、この人、龍の人だ。
龍の人はアシュリーンを抱き上げた。あの小屋から出る時も、こうやって抱き上げてくれた。見上げた先の黒髪に、再び既視感を覚える。黒髪の人。胸がざわめくが、思い出せない。
龍の人はアシュリーンをそっとベッドに寝かせた。ふわりと沈み込んだそれに、アシュリーンは驚き、目を見開いた。
壊れなかった!
「龍の騎士団長様、お連れしました!」
走ってきたのだろう、医者と女の人が部屋に飛び込んできた。
「床に倒れていたんだ、見てやってくれ」
「はっ」
医者がアシュリーンの手に触れようとした時、アシュリーンは見知らぬ人に触れられることに恐怖を覚えた。アシュリーンの怯えに気づいたのか、龍の人がアシュリーンの手を握っていった。
「大丈夫、この人は悪い人ではない。医者は君が倒れた原因を調べて、君が元気になる手伝いをしてくれるんだ」
それが何なのか、アシュリーンには分からなかった。だが、龍の人の「悪い人ではない」という言葉を、アシュリーンは信じることにした。
「龍の騎士団長様、診察をしますので、部屋から出ていただけますか?」
「わかった。エーファ、頼む」
「かしこまりました。お嬢様、診察のお手伝いをしますね」
若くはない女性はエーファというらしい。龍の人が部屋から出て行くと、アシュリーンは脈を取られたり、お腹を押されて痛くないか聞かれたり、体に傷がないか調べられたりした。服をもう一度着ると、龍の人が再び部屋に入ってきた。
「どうだ?」
「極度の栄養失調は見られます。足輪を嵌められていたとのことでしたが、その痣以外にお怪我はないようです。ご病気も特にありません。これまでの生活環境がよくなかったのでしょう。相当お疲れのようです。急に食べさせると体が受け付けない可能性がありますので、最初はスープの上澄みのようなものから、少しずつ柔らかいものを召し上がるとよいでしょう。まずは、体に栄養を行き渡らせることが先です」
「わかった。感謝する」
医者が出て行った後、龍の人はまたアシュリーンの傍にやってきた。
「俺のことは覚えているか?」
右手。
「さっきも手を出したな。どういう意味だ?」
(あら、こうすればみんなわかるんじゃないの? どうしよう……)
「覚えているなら、首を縦に振れ」
首を縦にコクコクと振った。
「もしかして、右手がイエス、か」
コクコク。
「では左手がノーか?」
コクコク。
「分かった。俺はディアミド・ドラガン。この国で龍の騎士団長をしている」
(ディアミドというのね)
「お前を助けたのも何かの縁だろう。困ったことがあったらそこのエーファに言えばいい。あ、話せないのだったな。では、俺に用事がある時には、エーファの掌に『D』と書け」
ディアミドはアシュリーンの手を持って、自分の掌に「D」と書かせた。
「覚えたか?」
コクコク。
「ではエーファ、頼んだ」
「かしこまりました」
その後も取り調べは連日行われた。ディアミドは毎日一度はやってきて、困っていることはないか、体調はどうかと様子を尋ねてくれた。水の精霊ネイリウスはアシュリーンのことを心配してくれていたが、トマスの持つ指輪の力でせいぜいアシュリーンの頭を撫でるくらいしかできなかった。アシュリーンは最初、ディアミドがネイリウスのように自分を心配してくれることが不思議だった。だが、毎日ディアミドと顔を合わせる内に、アシュリーンにはディアミドに対する親近感が湧いてきた。
ある日、ディアミドは絵本を持ってきた。アシュリーンが文字を読めないと知り、絵本を使って文字を教えようとしてくれたのだ。
「まずは文字を覚えることではなく、物語を何度も聞いてごらん。そうすれば、次第に文字の塊が意味を持って見えるようになるだろう」
ディアミドが持ってきたのは、創世神話だった。ディアミドが読むその話と絵に目の輝かせて聞いていたアシュリーンは、黒龍のページになった時、黒龍を指さした。
「黒龍がどうかしたか?」
アシュリーンは黒龍を指さした後、ディアミドを指さした。
「ああ、そうだ。俺は黒龍の子孫なんだ。だから黒龍になれる。お前の小屋を壊した時の俺は黒龍だっただろう?」
何かがピタリとはまった気がした。ディアミドの顔をもう一度よく見る。顔は覚えていないが、この黒い紙、そして黒くて長い生き物「黒龍」、そしてその黒龍にも人間にもなれる人……。
ああそうだ。トマスに捕らえられる前、湖に落ちたアシュリーンを助けてくれた黒神の男の子がディアミドに間違いない。
アシュリーンは思わずディアミドに抱きついた。あの時気絶していたのに置き去りにしてしまって心配していたのだ。神様がまた会わせてくれたと思ったら、うれしくなってしまったのだ。
「どうした、何かあったのか?」
コクコク。
「早く文字を覚えろ。俺もその呪いのようなものどうすれば解けるか調べているが、一生話せない可能性もある。文字を覚えれば、会話ができる。お前も言いたいことがあるだろう」
コクコク、コクコク。
「よし、あとはエーファに読んでもらえ。俺は仕事に戻るから」
立ち上がったディアミドの袖を、アシュリーンが引いた。
もっとここにいてほしい。もっとお話ししていたい。
だが、そんなアシュリーンの気持ちは、目だけでは伝わらない。
「また来るから」
ディアミドはアシュリーンの頭を撫でると、その額にキスをしてくれた。アシュリーンが額にキスをされたのは、まだ精霊界で仲間たちに可愛がられていた時以来だ。
「エーファ、頼んだ」
「はい、若様」
2人の様子を見ていたエーファは、なんだか思春期前の子どもたちの初恋を見ているような、甘酸っぱいようなかわいらしいような、そんな不思議な気持ちになってしまう。
「さあさあ、お嬢様。続きを読みましょうか」
コクコクと頷いたアシュリーンは、それでもやっぱりディアミドに読んでほしいと思いながら、エーファが読んでくれる創世神話にじっくりと耳を傾けていた。
・・・・・・・・・・
アシュリーンが国王から呼び出されたのは、3日後のことだった。
「そなたは、龍の騎士団長殿のことをどう思う?」
どう思うとはどういうことだろうか。首を傾げたアシュリーンに、王は言った。
「龍の騎士団長殿は、そなたのことを随分と気に掛けているようだ。そのようなこと、今まで一度もなかった」
アシュリーンは王が何を言いたいのか分からない。
「そなたさえよければ……龍の騎士団長の嫁になってもらいたい」
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