3 救出
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数日前、 アシュリーンは声を封じられてしまった。
その日、ネイリウスと共にクリスタルの交換にやってきたトマスは、子供の精霊を連れてきた。どうやら風の精霊らしいのだが、自分で歩くことさえできないような幼子だ。
「そんな小さな子、どうやって見つけたの?」
「お前が知る必要はない」
ネイリウスが今日も歯ぎしりしながら、アシュリーンの力を吸い取ったクリスタルを交換している。
「でも、こんな小さい子……」
「珍しく喋ると思ったら、全くうるさい奴だ! 指輪よ、アシュリーンの声を封じよ!」
指輪から黒い靄のような物が現れると、蛇のような動きでアシュリーンの喉の周りにまとわりついた。足輪で動けないアシュリーンには、逃げることなどできなかった。
喉が焼けるように痛い。ネイリウスが目を背けた。おそらく、ネイリウスも同じようにして声を封じられたのだろう。
ようやく喉を空気が通るようになった時、アシュリーンは声を出そうとして、ヒューヒューという音しか出なくなったのに気づいた。ネイリウスを見上げると、首を横に振った。何をしても無駄だ、ということなのだろう。
アシュリーンはこれまでもよほどのことがない限りはトマスや食事を運んでくる使用人と話さなかった。だから、話せなくても困るわけではない。己の声を他人に奪われたことは腹立たしかったが、生死の問題ではないのだからと自分に言い聞かせた。
「ああ、こいつをどうやって手に入れたか、だったか? 外を歩いていた時にネイリウスがしきりにある場所を気にするから見に行ったら、こいつが落ちていたのさ。風に乗って移動している間に、親が落としたんだろう。まあ、これは保護だな。だからお前が心配する必要はない」
連れてこられた精霊の子どもがどう扱われるか、アシュリーン自身が一番よく知っている。精霊の足輪がいくつあるのか分からないが、この子にも足輪が嵌められるのだろうか、それとも違う使われ方をするのだろうか。
風の精霊の子どもを抱いたネイリウスを連れて、トマスが出て行った。こんな夜は、胸が痛む。小屋は目張りがされているが、木を打ち付けて作られた小屋なので、板と板の間には隙間がある。その隙間から吹く風が冬は寒く、雨の日は湿気となるが、今が昼間なのか夜なのかを知ることができる手段であり、隙間から見える世界と外の匂いが、アシュリーンの唯一の慰めであった。
今日は月が見たい気分だったが、あいにく天候は悪いようで、先ほどから遠雷の音が聞こえている。あの子の仲間が、あの子を探している音なのだろうかとふと思った。もしそうなら、少し羨ましいと思った。
精霊は本来食事など必要としない。大気からエネルギーを直接取り込むことができるからだ。アシュリーンのように外に出られない精霊は大気からエネルギーをたくさん取り込めないために、人間同様に食事からエネルギーを取る必要がある。だが、与えられるのは黒パンと、野菜クズを煮込んだスープのみ。精霊の本能というのは恐ろしいもので、それでも精霊の力をフルまで満たそうとする。命を繋ぐことのできるギリギリの量を、アシュリーンは与えられている。栄養が行き渡らないことと不衛生な環境の中で、ミスティーローズ色の髪は汚れもあってほぼ灰色にしか見えないようなドーンピンクに、キラキラ輝いていたシャトルーズイエローの瞳は、生気を失ってどんよりと濁ったストローイエローに変色している。
ふと、人間界に落ちてきた時に助けてくれた、黒髪の男の子のことを思いだした。あの子はあのあと無事だっただろうかと今でも時々思う。
寝よう。
アシュリーンは、積み上げられた藁の上に倒れ込んだ。足輪と鎖がある限り、アシュリーンが歩けるのはこの藁の山の所までが精一杯だ。
ゴロゴロという遠雷を聞きながら、アシュリーンはいつしか眠っていた。
・・・・・・・・・・
遠雷だと思っていたが、雷雲はこちらに近づいてきていたらしい。板の隙間から入ってくる稲光に刺激されて、アシュリーンは目を覚ました。雷鳴もひっきりなしにとどろき、雨も板を激しく打ち付けている。
雷に打たれたらただではすまないことは、精霊の本能でも感じられる。アシュリーンは藁の中に潜ろうとして、もしこの小屋に雷が落ちたらどうなるのだろうと思った。知識を持たないアシュリーンではあるが、しばらく前にトマスが、落雷が原因で火事になり、ネイリウスに火消しを命じて事なきを得たと話していたのを覚えていた。
藁のそばにいたら、火がついた時に逃げられないかもしれない。
だが次の瞬間、アシュリーンは自嘲した。たとえ火から逃れようとしても、この足輪と鎖が枷となって、アシュリーンはどこにも逃げられない。つまり、雷が落ちても、火事になっても、逃げられないということだ。
間の悪いことに、数日前にアシュリーンは声を封じられている。助けさえ求められないのだと気づいた時、アシュリーンは、もしかしたら自分はここから離れられるかも知れないと思った。
死ねば、この苦しみから逃れられるはず。
アシュリーンは祈った。
雷様。どうか、この小屋に、その雷を振り下ろしてください。そして、私をお救いください。
屋根に何かが衝突したらしく、バリバリという音がして天井が落ちてきた。思わず頭を抱え込んだアシュリーンは、咳をしながら落ちてきた屋根の下から板きれを描き分けて出てきた。稲光が空を走っている。黒くて長い生き物がうねうねと動きながらアシュリーンのいた小屋の上空にとどまっている。
見たことがある、と思った。この姿は……
黒くて長い生き物がアシュリーンに向かってきた。地面に届く頃には、黒髪の男に変化していた。
「お前も、フィーンヒールの家の者か?」
アシュリーンは違う、と言おうとしたが、声が出ない。
「恐ろしくて声が出ないか。まあいい、連行する」
傍にいた騎士がアシュリーンを引きずり出そうとしたが、鎖に阻まれた。黒髪の男が人とは思えない力で屋根の残骸を軽々と払いのけた。
「なんだこれは? 拘束されているのか?」
「$&#**!」
黒髪の男と騎士以外にいた、白い服の男が何か叫んだ。アシュリーンの足輪を指さしている。
「なんだ、これも聖道具なのか?」
白い服の男は胸元からペンダントをたぐり寄せると、鍵のようなものを取り出し、アシュリーンの足輪の鍵穴に差し込んだ。
カチリ、という音がして、足輪が外れた。
「外れたぞ。立てるか?」
足輪から解放してくれた男は、足輪を大切そうに袋に入れている。黒髪の男に立てるかと聞かれて、アシュリーンはふらふらと立ちあがった。
「+&‘#$%% ¥#&“!!」
足輪を取ってくれた白い服の男が黒髪の男に何か言っているが、黒髪の男にはよく分からないようだ。
「何だ、何かあるのか?」
足輪を繋いでいた鎖の先には、アシュリーンの力を吸い上げ中だったクリスタルがある。おそらく白い服の男はその存在に気づき、黒髪の男にそれを伝えようとしたのだろう。
「ん? これは、もしかして例のクリスタルか? 待て、お前、このクリスタルに力を吸い上げられていたのか?」
コクコクとアシュリーンが頷くと、黒髪の男は初めてアシュリーンを真正面から見た。
「お前も虐げられていたのだな。それに首輪? ……まさか、話せないようにされているのか?」
もう一度コクコクと頷けば、黒髪の男が笛を吹いた。そして集まってきた騎士に命じた。
「そこにあるクリスタルを掘り出し、この娘とともに王宮へ運べ。ああ、罪人ではない、保護対象の証人だ、話もできないようだからそのあたりも配慮しろ」
アシュリーンはクリスタルが掘り起こされるまで、そこにいた。ネイリウスは事もなげに置き換えていたが、人の手ではそれなりに時間がかかっている。うつらうつらし始めたアシュリーンを、黒髪の男が抱き上げた。落とされるという心配は、全く起きなかった。昔助けてくれた少年のことをまた思いだした。
「いい、寝ていろ。疲れているんだろう?」
頷く前に、アシュリーンは眠りに落ちた。
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