17 さよなら
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アシュリーンは自室で、ディアミドを待っていた。その手には小さなメモがある。
「遅くなるが、必ず行くので、自分の部屋で待っていて欲しい」
モーガンが持ってきたメモは、明らかに急いで書いたと分かるものだった。
「承知しましたとお伝えください」
ディアミドが来るなら、ナイトウエアに着替えることもできない。メモを手に持ったまま、窓の外の夜空を眺める。相変わらず空には黒雲が立ちこめているが、ディアミドが帰ってきた時よりも、雲が減ったのだろうか。雲間から差す月の光の柱があちこちに見える。
あの月の光の柱を上っていったら精霊界に繋がっているのだろうかと、ふと思った。虹の橋に乗って人間界に来たことは覚えている。ならば、精霊界はきっと雲の上にあるのだろう。
そんなことを考えていると、ほとほとと扉を叩く音がした。エーファが扉を開け、ディアミドを部屋に入れた。
「エーファ、もう遅いから休め」
「花嫁様、よろしいでしょうか?」
「ええ、おやすみなさい、エーファ」
「おやすみなさいませ」
エーファが静かに扉を閉めると、部屋の中に静寂が下りた。
「静かに話し合いたいから、明かりを落としてもいいか」
「お顔を隠したいのですか?」
「いや、そういうわけではない。あまり明るいところでする話ではないような気がしてな」
「分かりました。ソファの傍だけ残します」
アシュリーンはディアミドの真意をつかめないが、ディアミドがそうしたいならそうすればいいと思った。1つずつ、部屋の明かりを落としていく。その度に、部屋が暗くなる。月明かりもほとんどない夜。ソファに沈み、両手を固く握りしめているディアミドの顔は、明かりに照らされた半分はある程度見えるが、影になった部分は全く表情が見えない。アシュリーンはそれがディアミドの心の中のような気がして、思わず体が震えた。
「しばらく帰ってくることができなくて、すまなかった」
「いいえ、お仕事だったのですから」
「アシュリーン……やっとこうして話せるようになったのに、君は俺に敬語を使うのか?」
「若様と私では、立場が違いますので」
「エーファが教えたのか?」
「いいえ、私から、使用人のみんなにお願いして、敬語を教えてもらいました」
ディアミドが「はあ」と深いため息をついた。アシュリーンはまた何か失敗したのだろうかと不安になりながら、ディアミドの向かい側に座った。
「どうして隣に来ない?」
「話し合いをする時は、対面に座るものだと聞きました」
「……分かった」
アシュリーンはディアミドを見た。激務だったのだろう、頬がすこしやつれている。
「あの日言ったこと、覚えているか?」
「はい。精霊界に帰りたければ帰れ、ですね」
「……アシュリーンはどうしたいんだ?」
「こういう時は、先にご自分のお考えを提示した上で聞くものだと伺いました。だから、私は私の気持ちを手紙でお知らせしました」
わたしは でぃあみどとわらえるなら いちねんでしんでも かまわないよ。
いちねん せいいっぱいいきて でぃあみどのあかちゃん うみたいよ。
ちゃんと でぃあみどのくちから でぃあみどのきもちを ききたいよ。
わたしは でぃあみどが だいすき。あいしている。
「そう、だったね」
ディアミドがアシュリーンの顔を見ているが、アシュリーンはディアミドの影になった部分から漂うものが邪魔をして、ディアミドが何を考えているのか分からない。
ネイリウスだったら、心の中が分かるのに。
そう思ったが、その能力故にネイリウスが苦しんでいたことを思いだし、やはり自分の言葉で伝えなければとアシュリーンは自分を奮い立たせた。冷静に伝えよう。とにかく、冷静に、冷静に。
「若様」
「そんなふうに呼ばないでくれ!」
突然ディアミドが苦悶の表情を浮かべた。
「アシュリーンには、アシュリーンにだけは、そんなふうに呼ばれたくないんだ!」
「ですが、もし私が精霊界に帰るのなら、若様の御名を軽々しくお呼びするわけには参りません」
「アシュリーン頼む、止めてくれ!」
ディアミドは顔を覆ってしまった。アシュリーンは席を立つと、ディアミドの隣に座り、そっとその手でディアミドの背に触れた。
「教えてください、ディアミド。あなたはどうしたいの?」
「どうしたらいいか、分からないんだ! アシュリーンを手放したくないが、死なせたくもない。父さんも爺さんも、それ以前の先祖たちも、どうしてそれを受け入れてきたんだ! どうして何も対策せずに、ただ死んでいくのを見ていただけだったんだよ! 俺にはそんなことできない! 嫌なんだよ、どうして全部手に入れようとしちゃいけないんだ!」
いつも無表情で、鉄面皮だの、黒龍ではなくて黒金の龍だのと呼ばれているディアミドが激しく取り乱している姿を見て、アシュリーンは辛くなった。敬語なんて使っている場合ではないと思った。
「ねえ、ディアミド。私で試してみない?」
「何を試すって言うんだ?」
「今までの花嫁は、みんな人間だった。でも私は人間じゃない、精霊よ。それも、大地を修復し、植物の発芽と開花を促進する能力を持った春の精霊なのよ? 私が知らないだけで、動物にだって応用できるかもしれないじゃない?」
ディアミドは驚いてアシュリーンを見上げた。
「ずっとあの小屋に閉じ込められて教育も受けなかったと聞いていたが……」
「あなたがいない間にたくさん勉強したの。毎日寝る間も惜しんで勉強したわ。ここ数日は調子がよくなかったから、あまり勉強を進められなかったけれど……私は私なりに、どうしたらディアミドの傍にいられるか、ずっと調べ、考えていたの」
アシュリーンは精霊学者が来ると、質問攻めにしていた。春の精霊の力とは何なのか。できることとできないことは何なのか。人間と精霊の間にでも子どもはできるのか。その子はどんな特徴があるのか……。
「試せばいいと言うが、うまくいかなかったら? そうしたら、俺も父さんのように、残された子どもとアシュリーンの幻影をただ追い続ける日々を送ることになるのだぞ?」
「ならば、他に方法がある?」
「1つだけ、思いついたことはある。でも、俺にとってもアシュリーンにとっても、いい方法とは思えなかった」
「どんな方法?」
「子どもはアシュリーン以外の人に産んでもらって、アシュリーンと俺の2人でその子を育てる」
アシュリーンは思わずディアミドの頬を平手打ちした。わずかにしか赤くならないが、ディアミドはされたままの格好で固まっている。
「つまり、私ではない女性を花嫁として愛し、彼女の幻影を追い続けるあなたの傍にいろということ? 誰かを私の代わりに死なせるというの? ディアミド、あなた、どうしてそんなことが言えるの?」
「だから言っただろう、いい方法ではないと。だが、俺にはそれ以外にアシュリーンとこの先も一緒にいられる方法が思いつかなかったんだ!」
アシュリーンはしばらく動けなかった。赤と黒の入り交じったような不吉な感情が体中に満ちてくる。
いけない、冷静にならないと。
アシュリーンは静かに立ち上がると、ディアミドを見下ろしながら静かに、実に静かに言った。
「今日はもう冷静に話し合えないと思うの。だから……出て行って」
静かな声。だが、アシュリーンの声には明らかに怒りが含まれていた。ディアミドはよろよろと立ち上がると、明日また話し合おう、と言って出て行った。
パタン、とドアが閉じられた。アシュリーンは扉に背を預けると、ずるずると床にへたり込んだ。気づけば涙が出ていた。暗いとはいえ、明かりはある、広くて、豪華で、過ごしやすく整えられた部屋。こんなものを与えられたら、もう他には行けないと思う者もいたことだろう。
ずるい、とアシュリーンは思った。こんな形で囲い込んで、大切にされることを知ってしまったら、離れられないではないか、と思った。ディアミドの傍にいたい。ディアミドもそう思ってくれている。2人が思い合っていることは間違いないはずなのに、どうしても理解し合えない、越えられない壁の存在が今、2人を隔てている。アシュリーンの心は砕けそうだった。
私は、ディアミドの人生にとって、何なのだろう。
愛には、私では理解できない形もあるのだろうか。
そんなことより、死ぬこと前提で他の女性を連れて来て妊娠させて、生まれた子どもは一緒に育てようって、私はただの養育係じゃないの!
冷静になろうと考えれば考えるほど、アシュリーンは怒りを抑えきれなくなった。そして、思った。
このままでは、ディアミドは絶対にアシュリーンに子どもを産ませるようなことをしないだろう。ならば、国王に頼まれた「花嫁」という役目も果たせない。王命に背くことになる。王命に背けば、死罪だと聞いた。ならば、子を産まないアシュリーンは、犯罪者ということになる。いくらドラガン家が王家の目付役であるとはいえ、犯罪者を抱えているのは不都合だろう。
アシュリーンは立ち上がった。そして、窓を開けると、精霊学者に教えてもらったやり方で風の精霊を呼んでみた。
『どうした、春の娘』
果たして、風の精霊がやってきた。
「私を、ここから出してください」
『龍の刻印を持っているのに、逃れられるとでも思っているのか?』
「追いかけてこない可能性もあるわ」
風の精霊は少しだけ考えると、連れ去ることはできないが、ここから飛び降りた時に怪我しないよう、そっと下ろすことならできると言った。
『いや、降りても門番がいるだろう』
「ならば、ここから私が飛び出すので、あの塀の外に届くよう、風で後押ししてくれませんか」
『分かった』
窓枠の上に立つと、アシュリーンは後ろを振り返った。
「さよなら、ディアミド」
窓枠を力強く蹴れば、体が空中にふわりと浮き、背を風が押してくれる。ディアミドの背に乗って空を飛んだことを思いだして、涙が出そうになったのをぐっと奥歯でかみしめて耐えた。塀を跳び越え、階段を降りるくらいのゆっくりとした動きで地表に降りると、アシュリーンは風の精霊に「ありがとう」と言った。
「ここからは、1人で行くわ」
『春の娘。お前のことは、精霊界で知らぬ者はない。龍の怒りを買うようなことはしたくないが、お前のおかげで風の子も守られた』
「あの子……元気ですか?」
『ああ。いつか会わせてやりたいものだ』
「いいえ、元気ならいいのです。ありがとうございました」
いつしか雲間は消えて、ただ暗い夜道が続いている。その夜道を、直感のまま、アシュリーンは静かに歩き始めた。
小川の傍に来た時、懐かしい気配を感じた。
「ネイリウス?」
『精霊界に帰るか?』
「うん」
『迷いがまだあるのだな』
図星だ。迷いを断ち切りたくて出てきたが、そんなすぐに迷いを断ち切れないほどに、アシュリーンはディアミドを愛してしまっている。
『精霊教会に行こう』
「精霊教会?」
『あそこは、人間界と精霊界の境界。直接精霊界に飛べぬアシュリーンでも、境界の門をくぐれば精霊界に帰れる。精霊教会に身を隠し、しばし心を落ち着けて、今後のことを考えればよい』
アシュリーンは頷いた。そしてネイリウスの差し伸べた手を取った。
アシュリーンの姿が、揺らぎながら消えていった。
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