正義
毎週日曜連載と言いながら体調を崩し、連載が遅れてしまいました。
初連載なので何曜日の何時に連載すべきか模索中です。
朝8時50分。
澄んだ空気に混じって、どこか鉄のような匂いがした。
堂園澪──この施設では“柊しずく”と名乗っている──は、職員棟専用ゲート前で立ち止まり、小さく息を吐いた。
目の前に立つのは無表情な警備隊員2名。手には金属探知機。施設内部への出勤者は持ち物検査を義務づけられている。
「カウンセラー、柊しずく。出勤手続き、お願いします。」
IDカードを提示すると、無言のまま一人の警備員が頷いた。
「持ち物、机上にお願いします。腕時計やアクセサリーも外してください。」
澪は無言で、革製の小さなバッグの中身をトレイに並べた。メモ帳、筆記具、スマートフォン、折りたたみ傘、メイクポーチ──
「このペン、構造確認します。」
もう一人の警備員がボールペンを分解し始める。
「異常ありません。通ってください。」
金属音とともに、ゲートが開いた。
澪は軽く会釈し、ゲートをくぐる。
すぐ後ろで、ガチャン、と重々しい音がして扉が閉じる。
その音が、まるで“今日もまた異常なく日常が始まった”ことを告げているようだった。
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職員フロアに入り、しずくは白衣を羽織った。
「おはようございます、柊先生。」
受付の職員が笑顔を向ける。
──ここにいる者たちは、全員“何かを隠している”。
それを暴くための仮面、守るための仮面。しずくもまた、その一人だ。
「今日の面談予定を確認させてください。」
しずくは面談リストを受け取り、静かに歩き出す。
その足取りの裏に、誰にも見せられない、もう一つの目的が隠されていた。
──“中枢に近づく”。神城に、手を届かせるために。
今日も、仮面をつけて。
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「しずくさんは兄弟いる?」
候補生のひとり、クオン・ミナトは今日も質問攻めだ。
たわいもない会話をするためにカウンセリングルームに訪れる候補生は少なくはない。
ハードな訓練の合間に癒しの場として集まってくれるのだ。
しずくは候補生たちに馴染めていることに安心感を覚えていた。
「弟がひとり。」
しずくはつい本当のことを伝えてしまった。
「前から気になってるんだけどしずくさんの耳、ピアスの穴開いてるよね?ピアスつけないの?」
「ええ、まあ・・・。」
この施設内ではアクセサリーを付けることが禁じられていることを伝えるべきか困っているとドアをノックする音が聞こえた。
「柊先生、14時に予約している相談者が来ていますよ。」
時計を確認すると13時58分だった。
「ごめんなさい、クオンさん、今日のお話はここまでにしましょう。」
「しょうがないなぁ」とふてくされながらミナトはドアに向かって歩き出した。
「あ、そのドアからではなく出口専用のドアから出ていただけますか?」
相談者が他の人と鉢合わせないように入口と出口を分けている。
ミナトは「また来るね~」と軽い挨拶をして部屋を出て行った。
「入っていただいて構いませんよ」とドアの向こうに声をかけると1人の女性がそっとドアを開けて入室した。
しずくはこの女性と話すのが初めてだ。しかし、この女性のデータは把握済みだ。
名前はアマギ・リナ。元スタントウーマン。身体能力に優れ、訓練態度も非常に真面目である。
どういう経緯でこの施設に入ることになったのかわからないが、ここでの生活期間はまだ短いようだ。アマギ・リナという名前は本名かわからない。
しずくは軽い自己紹介と守秘義務の説明を行い、「今日はどんなことをお話ししたいですか?」と尋ねた。
しかし、リナは話始めようとしなかった。
「何か飲みますか?」と尋ねると、リナは「あたたかいもの」とだけ答えた。
しずくがホットミルクティーを差し出すと、リナは一口飲み、話始めた。
「柊先生は…正義って何だと思いますか?」
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「私、今度初めての任務があるんです。ある小児性犯罪者の犯罪の証拠をつかんでこいと言われていて。その人が経営する会社に潜入する予定なんです。」
経営者が性犯罪者か。それも子供を対象とした性犯罪者。世も末だな、としずくは思った。
「その人のパソコンに証拠となる写真データが保存されている可能性が高いので、データを盗むことがミッションなのですが…。」
リナは言葉が詰まっているようだった。
「もし盗んでいるときにその人に遭遇してしまったら…その人を殺せと。」
なるほど。この施設では任務がばれそうになったら殺すことも厭わないのか。
「私、元々はスタントウーマンだったんです。戦隊ヒーローのテレビにも出たことがあるんですよ。」
「まぁ、悪役だったけど…」と少し笑いながらリナが答えた。
リナが初めて笑顔を見せた瞬間だった。
「子供が憧れる正義の味方と共に頑張ってきたのに。」
笑顔が一瞬で曇った。
「子供を対象とした犯罪なんて絶対許せない。でも、私がその犯罪者を殺してしまったら、それは正義だといえるのでしょうか?私は被害者の子供にとっては正義のヒーローなのでしょうか?」
リナは小さく震えていた。
正義とは何か。しずくも何度も考えたことがある。
「アマギさんが子供を想う気持ち、すごく伝わりました。」
しずくは率直な感想を伝えた。
「正義って、立場によってまったく違って見えることもありますよね。」
しずくはリナの目をまっすぐ見た。
「でも、アマギさんが“守りたい”と思っているその気持ち、それはきっと誰かの救いになります。」
リナは小さくうなずいた。
しずくは静かに言葉を続けた。
「……殺さなきゃいけない、って決まってるわけじゃないですよね?」
「はい…。」
「戦いとは物理攻撃だけではありません。」
リナはまた小さくうなずいた。
「あなたが子供たちの“正義の味方”だった頃の気持ちが、もし少しでも残っているなら──」
しずくは微笑んだ。
「きっと、“戦い方”は、まだ選べます。」
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それからしずくはリナが訓練に戻らなければならない時間まで他愛もない会話をした。
「柊先生、お話ししていただきありがとうございました。」
リナが退室しようとドアを開けた。
「あ、アマギさん、最後に一つだけ。」
リナが振り向いた。
「任務の日はいつですか?」
ターゲットの名前は守秘義務できっと聞き出すことができない。
せめて任務の日だけでも。
「明後日です。明後日の20時30分から。」
よし。
「そうですか、私は明後日も出勤していますので不安なことがあればまたお話ししに来てください。私も、アマギさんの力になりたいと思っています。」
「ありがとうございます。」
リナは軽く会釈をして、退出した。
明後日の夜か。空いているな。
しずくは本当にリナと共に戦うつもりでいた。
しずくも正義を見つけるため──