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氷原の歩き方

 それから何日も何日も、草原や針葉樹の森の様子、それから湿原の状態を確認しながら、ヴァロとエリサは移動を続けた。


「エリサ、見てごらん。キツネの通った跡だ」


 ヴァロは移動しながらいろいろなことを教えてくれた。

 平原のそこかしこで何をどう見るべきかを丁寧に説明してくれたし、こうして実際に見せてもくれた。


「雪熊が木に爪を立てた痕もあるよ。このあたりは縄張りなんだろう。気をつけて進もうか」

「熊に遭ったらどうすればいいの?」

「そうだなあ……絶対に背中を見せないで、じっと目を合わせたままゆっくり下がるんだ。熊を刺激しないようにね。距離を保ちさえすれば向こうも無闇に襲ったりはしない」


 けれど、だからといってなかなか覚えられるものでもない。

 それでも、ヴァロは見つけたものをすべて――獣の残した形跡や、この地を通った何者かの残したものなど、とにかく気づいたもの全部をエリサに見せては、それがいったい何なのかを教えてくれる。


「エリサ、来てごらん。ほかの野伏が残した印があるよ。雪熊がこの先に巣を作ったらしい。やっぱりだ」

「狩るの?」

「いや、その必要はないな」


 ふうん、とエリサは首を傾げる。

 いくつかの小石と結んだ草、それから手のひらにすっぽり収まる程度の小枝を組み合わせただけで、どうしてそこまでわかるのだろう。

 不思議そうに印を見つめるエリサに、ヴァロはくすりと笑ってひとつひとつを指し示した。


「この石の並べ方は動物を示してる。四つ足の獣だね。石の数は大きさで、結んだ草は巣、小枝は方角だ。だから、これだけだと“東の方角に大きな動物の巣”と示してるだけに過ぎない」


 ヴァロは、置いてあった印を動かした。


「石ひとつなら人間より小さい、ふたつなら人間くらい、三つなら人間の倍……という調子で大まかな大きさを伝えるんだ。それにこの並べなら四つ足の獣だけど、この形なら竜でこうすると巨人と、並べ方でどんなものがいるかも変わる」


 すごい、とエリサは目を瞠る。

 ちょっとした組み合わせ方で意味が変わるなんで、刺繍の(まじな)い模様のようだ。


「置いてあった印なら馬二頭分くらいの大きさの四つ足の獣だ。このあたりに巣をつくるなら、大きさから考えて雪熊が妥当なところだろう」

「ヴァロさんは、氷原のこと、神子様や族長よりも知ってるの?」

「それはどうだろうね?」


 ヴァロはまた笑って肩を竦める。


「私は氷原のごく一部を歩いてるだけだから、まだまだ知らないことは多いよ。

 それから、こういう印を残す場所はだいたい決めてあるんだ。万が一……自分が帰れなかった時のために、気になることは必ず残しておかなきゃいけない」

「――万が一?」


 軽い調子で続けるヴァロに、エリサはごくりと喉を鳴らす。

 考えてみれば、こうして外を歩く間、狼や鳥の気配はあったけれど、ヴァロ以外の人に会うことはなかった。


「各人の受け持つ地域は完全に別ではなくて、少しずつ重なり合ってるんだ。だから、こうしておおよその場所を決めて連絡を取り合ったりもするんだよ」


 ヴァロは小石と小枝を、また別な形に並べた。


「氷原は危険な場所だ。君も知ってるように、獣や竜、巨人だっている。嵐も来る。だから、もしもの時には警告を伝えられるようにと、こうして印を残すんだ。それに、君も、残された印を見つけられるようにならなきゃいけない。

 ――これは、この先に大きな危険があるという印だ。滅多に使うことはないが、これを見た者は絶対に示された方角へ行ってはいけないという印だ」


 そう言って、ヴァロは置かれた印の意味を説明する。


「それから、これは助けを求めているという印だ。けれど、この印を見つけても、助けに向かう前にまず狼煙を焚くこと。狼煙は最初に町を出る時に渡したね?」


 こくんと頷いて、エリサは腰に下げた小さな革の袋を見た。

 なるべく長く、煙がたくさん出るようにと石炭と薬品を調合して固めた、専用の燃料を入れた袋だ。


「狼煙を焚く時には、かならず周囲を確認すること。もしかしたら、印を置いた者が狼煙を焚いているかもしれない。

 ただし、煙があっても、やはり迂闊に駆けつけてはいけない。身を隠しながら慎重に、状況を確認しながら向かうことが大切だ」


 エリサはもう一度頷く。

 簡単な身の隠し方は教えられたけど、うまくできるだろうか。


「そんなに心配することはないよ。これから最低五年は、私の弟子として行動を共にするんだ。君ひとりでそういう事態になることはほぼないだろう。それにフロスティもいる。何か危険があれば、最初にフロスティが気付いて教えてくれるよ」


 ほっと息を吐くエリサの頭にヴァロはポンと手をやって、「それじゃ、雪熊のようすを確認に行こうか」と笑いながら歩き始めた。


「ねえ、ヴァロさん」

「ん?」


 歩き出した足を緩めて、ヴァロはエリサを振り返る。


「私、野伏になるといいって言われたけど、斥候と野伏ってどう違うの?」

「ああ……」


 そうか、たしかにそんな話はしたことがなかったなと、ヴァロは空を見上げる。どう説明すればわかるだろうかと。


「まず、斥候は文字通りだよ。軍や警備の一兵で、偵察とか捜索とか……戦いの時はこっそり敵情を確認に行ったりするのを専門とする役割の兵だ」

「うん」

「野伏は……ちょっと難しいな。私は領主に兵として雇われて斥候もどきな仕事をしてるけど、野山で気ままに生きているのが本来の姿だとは思う」

「気ままに?」

「そう。本当は、誰かに仕えたり町で暮らしたりっていうのは苦手なんだ」

「ええ?」


 驚くエリサに、ヴァロは困ったように眉尻を下げた。


「まず、野伏(レンジャー)という職を選んだ者はあまり町では生活しない。今の私たちのように、人生の大半を外で過ごすことになる」


 エリサは頷いた。

 実際、町を出てからずっと外だ。燃料小屋に泊まることすらしていない。


畢竟(ひっきょう)、誰かにいちいち命令されるなんてまっぴらだ、と考えるようにもなる。

 なにしろ、人付き合いなんて最低限どころかまったく無いこともあるんだ。自分ひとりが、自分のペースで、自分の考えと判断のみに基づいて、他人に指図されることもない生活を送るわけだからね」


 そういうものかなと思ったが、たしかに、ここまで誰とも合わなかった。

 町や谷ではありえないくらい、他人がいない。

 なら、そういうこともあるだろうと、エリサはまた頷く。


「人恋しい者はそこで脱落するんだよ。寂しくなって町に戻ってしまうんだ」

「――じゃあ、ヴァロさんが町に雇われてるのは、人恋しくなったから?」


 目を瞬かせるエリサを、ククッとヴァロが笑う。


「そう思うだろう? 実は野伏にはもうひとつ役目があるんだよ。おまけに、そっちの理由のほうが重要なんだ」

「え? 役割?」

「野伏は、自分のいる土地を愛し、その土地に仕えている。ちょうど、司祭が神に仕えて神のために働くように、森の祭司(ドルイド)が森を崇めて森に仕えているようにだ」


 司祭がいわゆる神子の役目なのだとは知ってるが、“ドルイド”が何なのかよくわからない。だが、たぶん司祭みたいなものなんだろうとエリサは考える。

 それにしても、つまり野伏も神子のようなものということなのか。氷原の外にはずいぶんたくさんの神子がいるのだなと、エリサはぽかんとヴァロを見つめた。


「ゆえに、野伏はその地を守ることを己の使命としている。人によっては、その土地に住む者たちも全部ひっくるめて守りたいとも考えている。だから、雇われることでその使命が果たせるなら、それでも構わない」

「……ヴァロさんは、この氷原の神子ってことなの?」


 ヴァロは笑ってエリサの頭をさらにポンポンと叩く。

 まるで、子供にするみたいだ……そんなことを考えて、エリサの眉が寄った。


「という私のような野伏もいるし、それでも雇われるなんてごめんだという野伏もいる。土地を守るのはいいが住民のことは知ったこっちゃないという者もいる。自然に関する神々……例えば大地の女神や森の女神、それに太陽神や君たちの崇める“女王”を信仰し、仕えるために野伏をする者もいる。

 皆、主に荒野で生活しているという共通点はあるけど、目的なんて人それぞれだし、野伏がどういう者かというのは人それぞれだってことだ」

「それじゃ、野伏って……」

「あえて言えば、“人付き合いと集団行動の苦手な、荒野暮らしの偏屈者”が野伏ってことかな」


 エリサはどうにも納得がいかないという顔でヴァロを見返す。

 町を出る前、騎士とか聖騎士とかがどんな者なのかをアイニから聞いたことがあるけれど、それはもっとはっきりどういう者か決まっていた。

 なのに、野伏はそんな適当でいいのだろうか。それに、“偏屈者”って、あまりいい言葉ではなかったのではないか。

 だいたい、ヴァロは偏屈者に見えない。

 眉を寄せるエリサに、ヴァロは改まったように咳払いをひとつした。


「まあ、野伏には野伏だけに伝えられる技や魔法のようなものがあるから、それらを使えるものが野伏だっていう見方もある。

 斥候にも、専門の訓練を受けた斥候なら使える、魔法のようなものがあるしね」

「やっぱりよくわかんない」

「まあ、そういうのはおいおい考えればいいよ。自分が何者かなんて、自分が納得して理解してればいいことだから――と、ちょっと風が出てきたな」


 でも、と言いかけるエリサを制して、ヴァロは北の方角をじっと見つめた。

 地平に目を凝らし、風の匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせて思い切り息を吸う。


「嵐になるぞ」


 薄っすらと雲は出ているがものの、まだまだ晴れ渡った青空を見上げて、ヴァロが思い切り顔を顰めた。

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