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師匠と弟子

 北方氷原に、森林は少ない。

 南北を隔てる“壁の山”――南の住人が言う「北壁山脈」に沿って針葉樹林はあるが、そこから少し、ほんの数日北上するだけで森は終わり、低木や草ばかりの草原や、苔の生える湿地ばかりに変わってしまう。

 氷原の民は、夏の間に針葉樹林や低木の茂みで木の実を探し、食べられる野草を摘み、獲物を狩って暮らしている。毛や肉のために羊や馴鹿(トナカイ)を飼うこともある。

 居住地から離れるのは男ばかりだ。男なら数日かかる狩りにに出るのは当たり前だが、女や子供はどんなに離れてもせいぜい徒歩で一刻(二時間)程度の距離がいいところだった。


 エリサも、こんなに何もない場所まで来たのは“谷”を出て“町”へ行くときくらいで――


「ああ、馴鹿の群れがいるね」


 遠く、目を凝らしてやっと見えるくらいの距離を移動する動物たちを観察していたヴァロの言葉に、エリサもまねをして見極めようとする。


「もう秋も終わりに近い。そろそろ大角鹿(ムース)も群れを作る時期だろう」

「うん。聞いたことある」


 夏の大角鹿は群れを作らない。雌は仔鹿だけを連れて歩き、雄は単独で行動するのだ。だから、大角鹿の狩りをするのは夏だけと“谷”では決まっていた。

 そう話すと、ヴァロも「“町”でも似たようなものだね」と頷いた。


「夏に狙うのは子連れの雌以外に限るという、暗黙の了解があるんだ」

「あんもくのりょうかい?」

「明確に決めたわけじゃないけど、皆で守ることになっている決まりのことだよ」


 ふうん、と頷いて、エリサは馴鹿の群れへと目を戻した。はっきりと見えないほど遠いのに、ヴァロはどうやって見分けているのだろう。


「のんびり移動しているから、このあたりに危険な獣はいないんだろう。今日の野営はこのあたりにしようか」


 もう一度エリサは頷いて、きょろきょろと周辺を見回した。




 氷原に出て、本格的に町を離れて三日。

 まずはエリサが「ここなら野営をしても大丈夫」と見定めた場所を選び、それをヴァロが確認するという手順で野営地を決める。

 まずはとにかく、エリサひとりでも野営ができるようにならなければというヴァロの方針ゆえだ。

 もし選んだ場所があまり野営に向かない場所であれば、ヴァロはその理由を説明しながら、ではどうすればそこでも安全に夜を過ごせるかを実践する。

 他にも、火起こしや燃料をくべること、たき火を熾火にすること……等々、野宿をするために必要な作業もエリサがやった。

 もちろん、最初はヴァロの指導を受けながらだ。


「このあたりは森も少なくて平坦だ。まんいちはぐれても、火を起こせれば煙や明かりを目印にお互いを探すことだってできるからね」


 というのが、ヴァロの弁だ。

 食事は、ヴァロとフロスティが獲った獲物と、野歩きのついでに集めた野草や木の実(ベリー)が中心だ。“谷”にいた頃は、放牧地と“谷”の往復の合間に食べられる野草を摘んだり木の実を集めたりするのも、エリサの仕事だった。

 もしもの時のために保存食も持ち歩いてはいるが、それは悪天候などで何も狩れず採れずの時に食べるものだ。

 それに、夏の終わりは一年で一番いろいろな実りが期待できる時期でもある。その実りを食べない理由はない。


 ――もう、ヴァロが半分妖精だなんてことはどうでもよくなっていた。

 取り替えられることを心配するより、もっと考えなきゃいけないことも覚えなきゃいけないことも多かったからだ。


 野営で煮炊きに使うのは、泥炭とヴァロの持っている携帯燃料が中心で、薪ではない。こんな氷原で、木は貴重品だ。

 もちろん、山や森のそばなら針葉樹林があって薪だって十分集められる。

 けれど、平原に出てしまえば十分な量の枯れて乾燥した低木や草があることなんてめったにない。北へ行くほど木も草も無くなる。


 ヴァロたち野伏や斥候兵が持ち歩くのは、練炭と呼ばれる砕いた石炭と木炭を混ぜて固めた携帯用の燃料だった。

 単に泥炭や石炭を燃やすよりも効率よく暖まる燃料で、領主から支給された専用の燃料入れに、おおよそ十日分ほど入っている。エリサも見習いになったときに領主から同じ袋を渡された。

 どう見てもひと塊の羊肉だけでいっぱいになってしまいそうな大きさなのに、それほど多くの燃料が入るものかと驚くエリサに、ヴァロは「領主殿が魔術師である利点のひとつだよ」と片目を瞑ってみせた。


 しかし、それでも手持ちの燃料だけで氷原を歩くには限界がある。

 だから、ヴァロのようにこの地域を巡回する野伏や斥候兵のため、燃料を蓄えた小屋があちこちに用意されていた。


 最初に訪れた燃料小屋は町からほんの一日程度の場所だった。そこに蓄えられていたのは割っただけの石炭で、夏の間に町から運び込むらしい。

 町から離れた小屋はたいてい湿地の近くに建てられている。湿地から泥炭を小さく切り出して乾かしたものを貯めておくためだ。

 天候が許すなら使った分の泥炭を切り出して干していくこと、自分の手持ちに余分があるときはその余分を残していくこと……このふたつが小屋を利用する者に課せられたルールなのだと、ヴァロは説明する。


 だいたい、石炭が置いてある小屋にしたって、町からの補充は夏場だけだ。冬はそうもいかない。氷嵐からの避難場でもあるここの燃料が無くなれば、氷原を歩く野伏(レンジャー)斥候(スカウト)たちの死活問題となる。

 獣や蛮族に荒らされて根こそぎなくなることも少なくない。

 だがそれでも、こういう場所に貯蔵することを止めてしまえば、安全に氷原を歩くことが難しくなってしまうのだ。


「こういう小屋は、あちこちに隠れるように作ってあって、しかも結構頑丈なんだ。氷嵐や吹雪が来そうな時には逃げ込めるようになっている」


 エリサは説明を受けながら、小屋に積まれた石炭に驚き見入っていた。


 このあたりでは、山に近い場所で地面を掘れば石炭が採れる。そう、エリサは聞いている。

 石炭を掘り出すのは重労働で、それ故に贅沢品だ。火をつければ鉄を溶かせるくらい熱くなるからと、谷では鍛治師にばかり融通されていた。

 こんなに積み上がった石炭を見たことなんて、一度もない。通常は泥炭を使うものだからだ。

 夏に切り出して乾かした泥炭を、冬は一度に使い過ぎないよう、慎重に量を配分して家族で固まって暖を取るというのが、エリサの普通の生活だったのだ。


「こんなにたくさん、初めて見た」

「町からあまり遠くない場所に炭鉱があるから……というか、炭鉱があるから町を作ったっていう方が正確かな」

「そうなの?」

「炭鉱がなければ、こんな北の地を開拓しようなんてさすがのユースダール家も考えなかっただろうね」


 炭鉱が石炭を掘り出すための場所だということは、エリサでも知っている。

 町の人間は石炭目当てでこの北にまで来たということなのか。


 北壁山脈の北側は、森を抜けてしまえばほぼ見渡す限りの平原で、冬にはそこにあるすべてが凍りついてしまう。もっと北は一年を通して凍りついた海と凍ったままの土と分厚い氷だけの世界だと言われている。

 その氷しかない北の果てには、氷原の民とはまた違う変わった人間が、鯨や海豹を獲って暮らしている。

 そう、谷の婆様が言ってた。

 霜巨人や氷竜の国もあるのだと。


 だから、“女王”を崇める氷原の民以外にわざわざ北に来たがる人間がいるなんて、思いもしなかった。

 石炭にはそこまでの価値があるのか。


 エリサは氷原を出たことなんてなかった。

 夏場に谷の近辺の草地で羊の世話をするのがせいぜいだったし、町から谷の間を歩いたことしかないのだ。


 なのに今、こんなに何もない場所に来るなんて。


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