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取り替えられ子と谷の娘

 その日のうちに、エリサはヴァロの家へと連れて来られた。


「これからの説明と、あと、私の相棒を紹介するよ。ニクラスに君のことを聞いていたから、今日は家にいるんだ」

「相棒?」

「そう。氷原ではとても心強い相棒だ」


 ガチャリと扉を開けて、ヴァロは奥に「フロスティ」と声を掛ける。

 相棒とは、いったいどんな人物だろうと考えていたエリサの視界にのっそりと現れたのは、エリサと同じくらい大きな――


「雪、豹」


 ひゅっと喉を鳴らして息を呑んで、エリサはそれきり硬直してしまう。

 音もなく現れて羊を攫う雪豹は、“谷”の民にとって恐ろしい猛獣だった。

 幸い、一度に現れる雪豹はせいぜい一頭で、一度に狩られてしまう羊も多くて数頭だから、翌日から腕の立つ男が何人か張り込んで狩り返していたけれど……それでも、何人かがかりでないと狩れないような強い猛獣である。

 もちろん、飼い慣らすことなんて無理のはずなのに、どうしてこんなところにいるのか。

 フロスティと呼ばれた雪豹はじろりとエリサを見上げて、もこもこの太く長い尾をぶんぶんと数度振った。


「フロスティ、今日から私の弟子になるエリサだ。彼女のこと、よく覚えて」


 フロスティはヴァロを一瞥した後、動けないエリサの手を嗅いで、それから自分の頭を押し付けた。まるで、撫でろと押しつける猫のように。


「エリサ、フロスティが撫でてくれと言ってる」


 エリサは慌てて頷いて、押し付けられた頭をそっと撫でてみる。

 雪豹の肉は臭くていまいちで、もし食べるとなれば下処理は相当に大変だ。だから、よほど飢えた時でもなければ食べることはない。けれど、毛皮には毛足の長い柔らかな毛が密に生えていて、族長や神子の着る上等な上衣やマントにばかり使われるほど、温かくて手触りもいい――エリサはそう聞いている。

 初めて触れた雪豹、フロスティの頭はふかふかで柔らかくて滑らかな手触りだった。押し付けてくる身体も、見た目の割に細くて軽くて……長く柔らかい毛がもこもこと密集しているから、ずんぐりした体格に見えるだけなのだ。


「フロスティは普段町の外にいて、気が向いた時や用事があるときだけこの家に来るんだ。一応、外でも町でも私のところのフロスティだとわかるように、首と尻尾にリボンを付けている。間違えて矢でも射掛けられたりしたら、困るからね」


 言われてよく見ると、首と尾の先のほうに青いリボンが付いていた。フロスティは似合うだろうとでも言いたげにエリサを見返して、くるりと尻尾を振った。


「それじゃエリサ、こっちに」


 呼ばれてそちらを見ると、背の低いテーブルの横に、毛皮とクッションを敷いてヴァロが座っていた。

 促されるままにエリサも座ると、その横にフロスティがごろりと横になった。


「まず、明日は君の装備を整える。冬までにはもうあまり間がないけど、なんとかなるだろう」

「装備――」


 エリサは首を傾げる。

 まさか、いきなり実戦にでも連れて行かれるのだろうか。たった半年しか戦いの訓練を受けていないけれど、大丈夫なのか。


「装備って、武器とか?」

「ああ、外歩きの装備だよ」


 不安そうなエリサに、ヴァロは苦笑を浮かべる。


「マントも何も持ってないだろう? 天幕用の布や野営用の荷物も整えなきゃならない。おまけに冬用の装備もしっかり揃える必要があるから、今から手配するんだ。雪が降る前に間に合わせないといけないからね」

「外……?」


 エリサはぱちくりと目を瞬かせる。

 外というのは町の外で、まさか日が暮れても町には帰らないということなのか。

 ヴァロは「そう、外だよ」と笑って頷いた。


「一度巡回に出たら数日戻らないなんてのはザラだ。だから、君には早いところ外での過ごし方を覚えてもらわなきゃならない。できれば本格的な冬が来る前に、基本的なところは全部教えてしまいたいんだよ」

「わ、私、外に行ったことなんて、ほとんど無くて……」

「大丈夫。君は健康で体力もあるとニクラスから聞いてる。だから、慣れてしまえばどうってことはない」

「全然、外のことなんて知らなくて……」

「だから私が教えるんだよ。最初は町の近郊から始めるから、難しいことはない」

「でっ、でも」


 いかにニクラスが「腕がいい」と称える野伏(ヴァロ)が一緒だからって、そんなに軽々しく外に出ても大丈夫なのだろうか。

 外には猛獣だっているし、夜になれば寒くい。しかも冬の夜となれば、どんなに健康で屈強な男でも凍えて死ぬほどに冷えるのだ。

 それに、長い距離を歩いたことだって、数えるくらいしかない。


「――ヴァロさん」

「ん?」

「私、本当に、戦士はだめでも野伏(レンジャー)になれるの?」


 どう考えても、エリサには自分が冬の氷原で外に出て、夜をやり過ごせるとは――“女王”の試練を乗り越えられるとは、思えない。

 野伏になることが“女王”の試練を乗り越えられるようになることと同義なら、エリサには無理なのではないか。

 けれど、ヴァロは軽く眉を上げて肩を竦めただけだった。


「それは、やってみなきゃわからない」

「そんな!」

「でも、ニクラスもブレンダも向いてるって言うんだから、向いてはいるんじゃないかな?」


 エリサはそんないい加減な……と、くしゃりと顔を顰める。

 ここからさらに半年、やってみてやっぱりだめだと言われたら、もう無理だ。立ち直れない。


「――エリサ。そもそも、適材適所とは言っても、本人にやる気がなければ訓練については来れないものだ。覚えだって悪くなる。君にどれほどのやる気があるのか私にはわからない以上、何とも言えないよ」

「だって、ニクラス様とブレンダさんが、私ならって……」

「そうだね。君はまだ『人に言われたから不本意だけどやってみよう』と考えてる程度だ。私も『ニクラスに頼まれたから面倒をみよう』と考えてる程度だ」

「向いてるって言うから……」

「ここから、私と君がどう変わるかで、君が将来どうなるかが変わるんだよ」


 しょんぼり項垂れるエリサの頭を、ぽん、とヴァロの手が叩く。


「君はどうして戦士になりたいと思ったの?」

「それは……強い男と結婚するより自分が強くなったほうがいいと思ったからで……町は女が剣を持っても怒られないし、領主様(イェルハルド)にも怒られなかったし、だから」


 エリサの語る理由は、ヴァロの想像とはどうも違っていた。

 首を傾げたヴァロの眉が、わずかに寄る。


「強い男と結婚するより?」

「だって、結婚しても旦那様が強いままとは限らないし、万一息子が産めなかったら大切にだってされないもの。町の男は妻はひとりが普通だって聞いたけど、そんなの建前で、妻に息子が産まれなかったらこっそり第二夫人を娶って息子を産ませるんだって知ってる。

 なら、町は女が戦っても狩りをしても怒られないんだし、自分が強くなれば旦那様をあてにしなくてもよくなるでしょう?

 それに、嫌なら結婚しなくたっていいって、誰かが話してるのも聞いたわ」


 エリサの実感のこもった話しぶりに、ヴァロは思わず目を瞬かせた。

 たしかに、氷原の民の男にとって、何人も妻を抱えて何人も息子を産ませることが一種のステータスとなるのだとは耳にした。

 だがそれにしても、まだ成人もしてない女の子がこうも思い詰めるなんて、何があったのか想像に難くないところが――


「ああ……君の結婚のことはひとまず置いておこう。なら、君は今のところ自活できるようになりたいと考えているってことでいいかな?」

「じかつ?」

「誰かに助けられるのではなく、自分の力で稼いで、自分の力で暮らしを立てていくことだよ」

「それなら、そう」


 こくんと頷くエリサに、ヴァロはまたぽんぽんと頭を叩く。


「自活したいって望みは、別に男だからとか女だからとかは関係ない。ちゃんと自分の足で立って生きていきたいと考える者は、女性にだって多いものだ」


 エリサはホッとしたように表情を緩めた。

 小娘のくせに生意気なことを考えるな――谷なら、そう一喝されて終わっただろう。でも、この半妖精はエリサを叱りも笑いもしなかった。


「そうだなあ……なら、野伏はとてもいい職だと思うよ」

「ほんとに?」

「何しろ、自給自足のエキスパートが野伏というヤツだ。町に限らず……たとえどんな荒野でも、食料を調達する方法やら獣を避けて安全に過ごす方法やら、とにかくひとりでも生きていける技術を覚えられるのが、野伏だからね」


 エリサは目を瞬かせる。野伏になれば、エリサでも男に頼らず自活できるほど強くなれるということなのか、と。


「それに、ニクラスやブレンダが考えたように、私は君の良い師匠になれる。

 考えてごらん? 私は半妖精でこんな体格だ。“谷”の戦士たちや町の警備兵のように、力任せには戦えない。けれど、それ以外の力に寄らない戦いができるし、君にそれを教えられる。

 つまり、適材適所ってことだよ」

「てきざいてきしょ……」

「そうだなあ――例えば、君の同郷の(アイニ)が、大角鹿(ムース)をひとりで獲れる男なら強いと言っていたようだけれど、熟練の野伏になれば大角鹿をひとりで獲れるようにもなるんだ。

 雪狼のようにどこまでも獲物を追って、雪豹のようにこっそり忍び寄って仕留めることだってできる」

「じゃあ、ヴァロさんは狩れる?」

「ああ、狩れるよ。その狩り方を君に教えることもできる」

「――私が? 本当に、大角鹿を狩れるようになるの?」


 エリサは驚きに目を見開いた。

 大角鹿なんて、谷の男だって、本当に強くなければひとりで狩れないのに。


「ああ、なるとも」

「それなら、私、野伏をがんばってみる」

「君ががんばると言うなら、私もがんばろう」


 ヴァロの柔らかい笑みに誘われるように、エリサはほんのりと笑みを浮かべて、もう一度頷いた。


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