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和睦と約定

 “町”の長はイェルハルド・ユースダールという名前の若い男だった。

 年の頃は娘たちよりも十と少し上だろうか。ひょろひょろと背ばかり高く、“谷”の誰かが一発殴るだけで折れそうな細い男だった。

 なのに、イェルハルドは恐ろしい力を持つ魔術師だという。

 戦場では大きな火の玉や酸の雨、おまけに竜を呼び込んで……見かけからは想像できないような侮りがたい力を持っているのだ。


 敗戦の取り決めとして、贈られる娘は五人。

 死んだ先代の長の娘であり停戦を決めた今代の長の妹でもあるパルヴィ、先代の長の側近の娘のヘルッタ、それから多産な家系のアイニ――あとは数合わせでしかない、同母の兄弟も姉妹もいないひとりっ子で多産の保証もないエリサと、そろそろ行き遅れに近い歳になってしまったあまりもののタラーラの五人である。

 “雪豹平原の民”との戦いにも負けたあとだったために、十分な条件の娘だけをそろえられなかったのだ。


 “谷”の使者として臨んだのは、先代の長の側近だったヨハン。つまり、贈られる娘のひとり、ヘルッタの父だ。

 襲撃を決めたのは先々代の長だった。

 “谷”がいかに弱っていようと、ひ弱な“町”相手なら負けることはないと判断したのも先代の長で、戦いが劣勢でも引くに引けず継戦を強行したのも先代の長だった。

 もし、今代の長に代替わりしていなければ、戦いが終わらないまま冬を迎えて、結局“谷”は滅んでいたかもしれない。


 そして、谷の行く末はまだ決まっていない。

 “町”の長が差し出した娘たちを気に入らなければ、“谷”は今度こそ、全員がどうにかなるまで戦うしかない。最悪、この交渉の場で血を見ることになるかもしれないだろう。


「これ全部受け取らないと終わったことにはならないと……そういうことか」

「その通り。我らの慣習では、“谷”の長の娘を“町”の長のお前が受け取り、その証を示さねば、約定は結ばれたことにならない。我らの長はまだ若く、適齢の娘を持たぬので、妹となってしまうのだが」


 “町”の長イェルハルドは、並んだ五人の娘をじろりと眺めやる。

 何が気に入らないのか、イェルハルドは娘の受け取りをどうにかして避けたいと考えているようだった。

 それはつまり、“谷”との戦いはまだ終わらせる気がないということか。もうすぐ冬が来るのに戦いが終わらなければ、“谷”は確実に飢えて死ぬ。ヨハンとイェルハルドのやり取りに、エリサはぎゅっと手を握りしめた。


「――わかった」


 しばしの沈黙を経て、イェルハルドは観念したかのような表情で、深く深く溜息を吐いた。


「パルヴィはぼくの妻として迎えよう。ほかの娘たちも悪いようにはしないと約束する。ぼくが彼女たちの後見となるし、町の民として遇するようにすぐ手配しよう。

 受け取りの……その、“証”を示すのは、十日後でどうだろうか」

「それでかまわない」


 ようやくの返答に、ヨハンも娘たちも表情を緩めた。

 これで戦いは終わるし、冬越しもどうにかなるだろう。何しろ、“町”の長は寛大にも“谷”のために食料や燃料を融通してくれるというのだ。

 あれこれ細々とした確認の後、ようやく“町”の長イェルハルドが頷いて、羊皮紙に蝋をたらして印を捺す。

 差し出された調印書を受け取って、ヨハンもようやく交渉が成ったと安堵に息を吐いた。エリサも、一緒に並んだ他の娘たちも安堵に薄く笑って視線を交わしあった。



 * * *



 ところが、その和睦が暗転したのは、すぐ後だった。


領主(イェルハルド)様が、パルヴィを妻にしないって、なんで?」

「……私のこと子供だからって。もう月の証だってきてるし、お姉ちゃんだって私の歳に嫁いでちゃんと息子を産んだのに、私はだめだって」

「子供って……なんで? だって、ちゃんと妻にするって約束したのに」

「私、布だって、家畜の世話だって……女の仕事はちゃんと母様から教わってるし、胸も腰も、妻になればすぐにちゃんと育つから大丈夫だって言ったのに、十八になるまでだめだって言い出して」

「十八って、あと五年も!? なんで!?」


 わけがわからない。

 エリサも唖然としてしまう。

 だって、“町”の長……領主様はパルヴィを妻にすると明言したのに、それではエリサたち五人はどうなってしまうのか。


「でも、証をちゃんと示すって言ったのに」

「なんとかするから、まだダメって、そればっかりで」


 そんな、とヘルッタが顔色を変える。

 受け取っておきながら証をごまかそうなんて、やっぱり“町”は戦いを続ける気なのか。“谷”に食料や燃料を融通するというのも、口だけのごまかしなのか。


「なんとかって……」

「パルヴィが妻にならなかったら、私たち、どうなるの?」


 エリサもアイニもおろおろと視線を彷徨わせるばかりだ。

 タラーラも難しい顔で考え込んでしまう。


「どうにかして、領主様をパルヴィの夫にしないと」

「だって、夏の戦いで男の数がかなり減っちゃったのに、これ以上戦ったら“谷”はもう続かないよ」

「――蜜酒を使えば、どんな男でもその気にできるんだよね?」

「婚姻の夜……どうにか飲ませてその気にさせるのは?」


 五人は顔を見合わせる。どんな手段を使ってでも、婚姻を成功させて、“町”の長イェルハルドにパルヴィを受け取らせ(・・・・・)なければならない。


「逃げられないよう、寝てる間に縛っちゃうのよ。羊みたいに」

「できるかも。領主様、そんなに力なさそうだし、鈍感そうだし」

「それから蜜酒を飲ませるの。蜜酒さえ飲めば、男は絶対できるようになるっておばあが言ってたから」

「じゃあ練習しよう。気づかれないようにそっと、素早く縛れるように」


 五人はしっかりと頷いた。

 幸い、蜜酒はひとりひと瓶ずつ持たされている。五人とも“町”の長の妻となるために引き渡されるのだから、せめてと母に持たされたのだ。

 最悪、五回はやり直しができるということだ。

 “谷”のこれからを考えるなら、パルヴィがイェルハルドの妻になることは絶対不可欠である。パルヴィが妻になることで約定が確定して、“谷”は“町”の援助を受けられるのだから。



 * * *



 十日後、婚礼のための衣装と祝い化粧で美しく着飾ったパルヴィとイェルハルドの婚姻の儀は無事に終わった。

 その後、婚姻の夜に実際どんなやり取りがあったのか、パルヴィとイェルハルド以外は知らないけれど、きちんと「受け取られた」証を確認した“谷”の使者たちは、満足そうに頷いて、すぐに引き上げていった。


 そして、これからすぐに冬が来る。

 冬と氷の女神である“氷原の女王”が目覚めれば、この一帯の何もかもが雪に覆われて凍り付き、白一色の世界に変わるのだ。その前にどうにかして冬越しの準備をしなければならない。

 幸いにして、約定はすでに結ばれている。

 イェルハルドは掌を返すことなく、約束どおり「もう縁続きなのだから協力すべきだ」と“谷”の民のために食料や燃料を融通してくれた。

 施しに乗るようでおもしろくはないが、負けたのは“谷”である。通常なら狩りに出られる男たちも、戦いでの負傷が癒えきっていない。今代の長も“谷”の存続を優先して、素直に“町”の援助を受け取ってくれた。

 これで少なくとも、女や子供たちが飢えることはないだろう。


イェルハルドさんは魔術師には珍しく、ローフルでグッドなアライメントの人です。

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