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氷原の娘は、半妖精の師匠と世界を歩くことにしました  作者: 銀月
2.冬と氷を司る、氷原の“女王”
19/22

氷原の掟

 女王の統べるものは雪、氷、冬、そして厳しさと試練だ。気まぐれで、氷原に棲まうものすべてを試す、荘厳な女神……そう、谷で教えられた。

 ゆえに、女王の課す試練を乗り越えたものには、惜しみない祝福を与えるとも。


「――“女王”」

【妖精、そなたには聞いておらぬ】


 一歩出ようとしたヴァロを、“女王”は見えない視線だけで押しとどめる。


【答えよ、娘】

「私、私……」


 誰かに委ねるのではなく自分で生きる力が欲しい――そう説明して女王はわかってくれるのだろうか。だって、氷原の民の女に、それは許されていない。

 けれど、自分はもう谷の娘ではなくなったのだ。谷は戦いに負けた。自分は町の長に引き渡されて、町の娘になった。

 だから、もう谷の掟に従う必要はないはずだ。

 だから、自分の意思で決めて氷原に出たのだ。


「私、今はもう町の民だから、だから、自分で決めて……狩りもできるようになって、その、独り立ちを……」

【そなたが何者かを決めるのはそなたではない。妾である】

「でも」

【妾は氷原のすべてを統べる役割を負う。氷原にあるそなたが何者かは妾が決めること。そなたではない】


 女王の滑らかな顔を向けられて、エリサは口を噤んでしまう。

 たしかに、この女神は氷原に君臨する女王であり、氷原に生きるものの生殺与奪をその手に握っている。

 女王の雪嵐がほんの数日吹き荒れるだけで、人も獣も凍り付いてしまうのだ。


「――女王よ、違う」


 背後からヴァロの手が伸びて、ポンとエリサの頭を叩いた。


「エリサが何者かはエリサ自身が決めることだ。あなたがきめることではない」


 女王が、今度はヴァロへと顔を向けた。

 たとえ仮初の身体による降臨であっても神は神だ。神の前で、ただびとなんて吹けば飛ぶ程度の存在でしかない。

 なのに。


「エリサがあなたの導きを必要としているなら、たしかにあなたが決めるのもひとつの方法だろう。けれど彼女には意思がある。彼女は自分自身の意思で決めることを選んだんだ」

【そなたらは妾など不要と申すか】

「そうじゃなくて、私、自分でできることをやりたくて……」

【妾はこの氷原を統べるもの。氷原を生き抜くためにと妾の加護と導きを欲したは、そなたらのほうだというに】


 女王の表情はわからない。

 けれど、女王が不快に感じていることは、エリサにも伺えた。


「女王、あなたには敬意と感謝を持ってます。氷原の民に加護もくださるし、神子を通して知恵を授けてくださるし……だけど、私、独り立ちしたくて、誰かに頼らなきゃ生きられないのは嫌で、だから、私、女だけど氷原に出たんです。

 私も……私も、強くなりたいんです!」

【やはり、そなたは妾など不要と申しているのではないか】

「女王よ、エリサはそう言っているのではない」


 ヴァロが、一歩前へと踏み出す。

 エリサに並んで、横に立つ。


「エリサはあなたや他者の庇護に頼りきりになりたくないだけだ。エリサもひとりの人間で、もうすぐ成人も迎えるんだから。

 それに、どんな生き物でも、死ぬまで親の庇護下にあり続けることはない。ただ雄に守られるだけの雌だっていない」


 女王がヴァロを見ている。

 もちろん、視線がどこにあるかが見えるわけじゃない。けれど、女王はたしかにヴァロをじっと見つめている。


【そなたらは、己がひとりのみにて生きられると慢心するか】

「違います!」


 ぶんぶんと頭を振るエリサを励ますように、ヴァロの手が肩に置かれた。


【現に、そなたはその妖精の助け無くば妾に抗うこともできぬというに、なお氷原の掟には従えぬと申すか】


 言葉に詰まる。

 ヴァロの助けなしに、エリサがエリサ自身の思いを口にすることは難しかった。けれど、すべてをヴァロに任せたわけではない。


【そなたら女の役目は強い次代を産み育てることだ】


 エリサはハッと顔を上げる。

 ――母は、(エリサ)をひとりしか産むことができなかった。夫や他の夫人たちの“お情け”があったから辛うじてエリサを育てて生きてこれただけで。

 子を産めなかった女はもっと悲惨だ。

 穀潰しの役立たずと言われ、捨てられて谷を追い出されてしまうのだから。


「私……私、もっといろんなことがしたい。もっといろんなことをできるようになりたい。夫に全部を頼らなきゃ生きてくことも難しいなんて、そんなの嫌。私は、夫に頼らなくても、強くなって自分で生きていけるようになりたい。だから、狩りだって戦いだってできるようになりたい。ひとりで大角鹿(ムース)が狩れるようになりたいし、もっといろんなところに行きたい」


 女王の身体を覆う吹雪が勢いを増す。

 周囲の気温が一段低くなったように感じて、エリサはぶるりと身震いをした。

 顔に触れる空気が、刺すように冷たい痛みを与える。


【そなたは妾が与えた己が役目を否定するか】

「私は……私は、自分で、自分の役目を選びたいの!」


 ゴォ、と風の渦巻く音がする。

 氷原の女王たる女神に逆らってしまった。氷漬けにされてしまうのだろうか。


 ぎゅっと目を瞑り首を竦めるエリサの背を、また、ヴァロが優しく叩いた。自分(ヴァロ)がここに付いていると励ますように。

 エリサはおずおずと目を開き、顔を上げる。

 隣に立つヴァロはそれを認めると、女王へと真っ直ぐに視線を向けた。


「女王よ。我々を造ったのも、我々に意思を与えたのも神々だ」

【その通り】

「地上のものが自由に考え、行動できるのは、この世界が生まれた時に神々ご自身が定めたことだ。故にエリサもエリサ自身が何を為して何を為さないかを決められる。それは、いかにあなたであろうと曲げることはできない世界の(ことわり)だ」

【――妾はそなたらの求めに応じ庇護を与え、役目を与えた】

「エリサはすでに巣立ちを終えてしまった。いかにあなたであろうと、巣立った成鳥を元の巣へ引き戻すことはできない。それは自然の摂理に反している」


 女王はじっと黙り込んだまま、エリサとヴァロを見つめていた。

 表情のない顔からその内心を伺うことは難しい。女神に逆らうエリサのことを腹立たしく思っているのだろうか。


【そなたは氷原鷹を連れているな?】

「はい」


 上着の下で、グラートがもぞもぞと身動ぎをした。どうして急にと、思わず抱え込むように腕を回す。


【妾はそなたに役目を与えた。だが、そなたはその役目が気に入らぬという。そなた自身が自身の負う役目を選びたいと】


 グラートを抱えたまま必死に見返すエリサを、女王が笑ったように感じた。


【その雛鳥を妾の目とし、そなたの選択の末を見届けてやろう】

「――え?」

【そなたの向かう先にてそなたの選択が誤っていたと――妾こそが正しかったとそなた自身が理解したその時、鷹が妾の元へとそなたを連れ来よう】


 ヒョ、とグラートが鳴いた。


【その暁には、そなたが滅するまで、妾の眷属として妾に仕えるがよい】


 エリサの喉がごくりと鳴った。

 それは、つまり……?


【もう、今のそなたに用はない。()ね】


 戸惑うエリサに、女王は扉を示した。

 ヴァロが小さな吐息を漏らして、エリサに行こうと促す。


【次に妾に(まみ)えるのは、そなたが己が過ちを知った時となろう】

「私……たぶんもう、あなたに会うことはないと思います」


 ぺこりとお辞儀をして、エリサとヴァロは退出する。呆気に取られていた氷尻尾が慌てて追いかけてくる。


 聖堂を出て、エリサはもう一度だけ振り返った。ゆっくり閉じる扉の隙間から垣間見えた女王は、氷の彫像のように静かに座っていた。



 * * *



『お前、小さいの、恐ろしい』

『そう?』

『女王に口答え、ありえない!』


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ氷尻尾に生返事を返しながら、エリサは廊下の片隅に座った。また、グラートが腹が空いたとヒヨヒヨ鳴き始めたのだ。

 上着の中から顔を出したグラートが、大きな口を開けて早くくれとねだる。

 肉を上げて、おむつ代わりの枯れ草を替えて――それから、エリサはグラートのようすをじっくりと観察した。女王から「自分の目とする」なんて言われて、どこかおかしなところができてないだろうかと気になったのだ。


「エリサ、大丈夫。グラートは普通の雛鳥と変わらないよ」

「でもヴァロさん。女王が、グラートを目にするって……」


 あれはいったいどういうことなのか。

 お腹がくちくなってまたうとうとと丸くなるグラートを、エリサがじっと見つめる。エリサの見る限り、たしかに以前とまったく変わりないように見える。

 氷尻尾は、ここへ来る前のようにグラートを食べたいと騒がなくなっていた。それどころか、エリサたちとグラートを何かおそろしいもののように、やや遠巻きに見ている。


「あれは……私が思うに、エリサに与えられた女王の試練なのかもしれない」

「試練?」


 エリサがぼんやりとヴァロを見る。

 女王の試練といえば冬の氷原を生き残ることではないのか。


「そう。エリサが一生かけて成し遂げなきゃならない試練だ。エリサが、今まで自分自身で選び進んで来た道を間違っていたと考えてしまえば、あるいは、女王の定めた通りに生きることこそが正しかったと考えてしまえば、そこで終わりとなってしまう試練だ」

「そんな……」


 ただ、自分が決めたようにしたいと思うことが、そこまでの大事だなんて知らなかった。

 夫に頼り切りで生きていれば、いつか母のように娘しか産めなかった時に小さくなってお情けに縋らないと生きていけなくなってしまう。

 それは嫌だと思っただけなのだ。

 かすかに震えるエリサの手を、ヴァロの手がしっかりと握りしめた。


「心配はいらないよ、エリサ」

「ヴァロさん、でも」

「君は、君が思うように生きて構わない。誰でも、自分の意思でどう生きるかを決める権利を持っている」


 ふっと笑うヴァロを、エリサが見返す。


「だから君は間違えてない」

「でも、私、まだひとりじゃ何もできなくて……」

「そのために私が師匠になったんじゃないか。

 鷹であっても、巣立ったばかりなら狩りが下手くそなのは当たり前だ。縄張りだって定めるのはこれからだろう。その前に縄張り争いだってある」


 エリサの視線がグラートに落ちた。ふわふわの羽毛を指先で擽るように撫でながら、小さく息を吐く。ヴァロの言うとおりだ。今すぐグラートが換羽して成鳥になったとして、すぐに狩りも何もかも上手にできるとは思えない。


「これからぶつかる問題を自力で解決できるように、私がひとつずつ、いろんなことを教えて行くんだ。エリサは、これからゆっくりひとつずつ、しっかりと考えて選んでいけばいい」

「――はい、ヴァロさん」


 ようやく小さく笑ったエリサは、グラートを上着の中に入れた。

 立ち上がって大きく深呼吸をする。

 まだまだ一人前の野伏(レンジャー)にすら届いてないのに、それ以上のことをあれこれ考えても仕方ないことは確かだった。

 エリサの未来は、まだ、これからなのだ。


『氷尻尾、王様のところへ戻ろう』

『ああ』


 急に声をかけられた氷尻尾はぴょこりと飛び上がって、それから『こっちだ』と慌てて歩き始めた。


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