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氷原の娘は、半妖精の師匠と世界を歩くことにしました  作者: 銀月
2.冬と氷を司る、氷原の“女王”
18/22

氷原の“女王”

「」:大陸共通語

『』:北方語

という区分でお送りしています。

 巨人の王に命じられた犬頭(コボルト)が、『こっちこっち!』とエリサのマントを引っ張ってキィキィ鳴く。

 エリサはヴァロをちらりと振り返ってから、『はい』と返した。


 王に役目を与えられたことがうれしいのか、犬頭は得意そうに尻尾を振りながら、ふたりを先導する。

 どこか(おど)けているような仕草に、エリサは谷の異母弟妹を思い出す。エリサに同腹のきょうだいはいなかったが、腹違いのきょうだいはそれなりに多かった。よく世話を手伝っていたのだ。


『ねえ』

『なんだ』

『あなたの名前は、何ていうの?』


 犬頭は立ち止まると、不思議そうにエリサを見上げた。

 ぱちくりと目を瞬かせて、首を傾げる。


『名前?』

『そう。あなたのこと、なんて呼べばいいの?』

『おれ? おれのこと、皆、“氷尻尾”と呼ぶ!』

『“氷尻尾”?』

『犬頭の中で、おれの尻尾がいちばん白い! 氷よりも白い!』


 自慢げに鼻を鳴らす氷尻尾に、エリサはつい笑ってしまう。

 グラートがまた身動ぎをした。

 エリサは上着の合わせを少し開けて覗き込む。おさまりが悪いのか、何度も身動ぎを繰り返していたグラートが、開いたことに気づいてひょいと頭を出した。それからきょろりと周りを見回すと餌をねだってヒヨヒヨ鳴き始める。


『ちょっと待って』


 エリサが立ち止まると、ヴァロはぐるりと周囲を窺った。ちょうど、周りには何も見当たらない。

 氷尻尾が不思議そうに振り返る。


『食べるのか』

『え?』


 口を開けるグラートに小さな肉片を食べさせながら、エリサは首を傾げた。


『太らせた鳥、うまい。ごちそう。俺もひと口ほしい』

『たっ、食べないから!』

『なんでだ。雛鳥はすごくうまい。やわらかいし、汁気もたっぷり』

『食べない。この子は大人になるまで育てて、私の相棒になってもらうんだから』


 断固として首を振るエリサに犬頭は目を眇めると、『つまらない』と呟いた。


『ごちそう食べないのはおかしい。いらなくなったらくれ。俺が食べる』


 あまり通じてないのは、氷尻尾が犬頭だからなのか。氷尻尾にはどうにも「鳥を飼う」ということが理解し難いようだ。説明したところで徒労に終わるだけだろう。エリサは曖昧に笑って頷いた。

 それから、餌を食べ終わって満足したグラートの、オムツがわりに当てていた枯れ草を交換して、また上着の中に入れる。




 氷の宮殿は、とても大きかった。

 霜巨人たちの身体に合わせたからだろう。

 大きな巨人用の扉の横に犬頭用の小さな通用扉が作られていなかったら、部屋から部屋へ移動するだけでひと苦労だったに違いない。

 おまけに広すぎる。どこもかしこも氷でできた城内を歩くうちに、エリサには、今がどのあたりなのかもさっぱりわからなくなってしまった。ただ、きらきらと天井を通して降り注ぐ光が強くなっているように感じるのは、もしかして、聖堂が近いからだろうか。

 そういえば、もう日が沈む頃なのに、どうして暗くならないのだろうか。

 ヴァロはなぜだか落ち着きなくあたりを伺っている。緊張しているようだ。


「ヴァロさん?」


 エリサが小さく尋ねる。ヴァロは安心させるように笑った。


「大丈夫。ちょっと、この気配は何かなと思っただけなんだ」

「気配?」

「うん――」

『お前たち、運がいいぞ』


 言い澱むヴァロに被せて、犬頭が弾んだ声を上げる。


『運がいい、って?』

『冬だ。女王がいる』

『え?』

『お前たち、女王にごあいさつできる』


 女王? と呟いて、エリサは首を傾げる。霜巨人の王の妃だろうか、と。ヴァロも何のことかと訝しげに犬頭を見返して……すぐに大きく目を見開いた。


「女王って、まさか――」

「ヴァロさん?」

『まさか、“冬と氷の女神”のことか?』

『あたりまえだ。ここには女神以外に女王はいない』


 氷尻尾が憤慨したとばかりに鼻を鳴らした。ピシピシと尻尾で床を打ち、『女王はここがお気に入りだ!』と胸を逸らす。


『女神が、この世界(アーレス)に降臨するなんて、どうして……』

『ここは女王のお気に入りだ。最初に雪が降った日にここへ来るのが決まり。俺たちは順番に女王にごあいさつする。お前たちも女王にごあいさつしろ。女王を怒らせたらお前たちなんて氷漬けだぞ。気をつけるがいいぞ』


 シシシと笑って、氷尻尾はまた先頭に立って歩き出す。

 エリサとヴァロは顔を見合わせて……結局、ここで引き返すのは愚の骨頂だろうと、氷尻尾の後に続き――


「ヴァロさん」

「エリサ」


 また、背筋をぞくりと悪寒が走って、エリサは足を止めてしまう。


「ヴァロさん、今、私、何か……」

「ああ、何か……」


 ヴァロを振り仰げば、通路の先を睨むように目を細めていた。

 急に立ち止まったふたりにようやく気付いた氷尻尾が、少し先で振り向いた。


『急げ! 早くしろ!』

『えっ、でも』

『女王が待ってる! お前たち、運がいいんだ! 女王が待ってるぞ!』

『待ってる?』

『まさか』


 氷尻尾が、名前どおりの真っ白な尾でピシピシと床を打ち鳴らしながら『早くしろ』と騒ぐ。


『待ってよ、氷尻尾。まさか、女神様が待ってるのって私たちなの?』

『そうだ! 小さいのが来るのははじめて! くさい妖精が来るのもはじめて! お前たち、女王を崇めろ! 敬え!』


 ごくりとエリサの喉が鳴る。

 たしかに、“冬と氷の女神”はこの北の果ての氷原を統べる“女王”で、氷原の民は皆、“女王”の(しもべ)で――

 ヴァロも息を呑む。

 神々がこの地上(アーレス)写しの姿(アヴァター)で降臨することが稀にあるとは聞いていた。けれど、それは何百年に一度……いや、何千年に一度の奇跡のはずだ。


『氷尻尾、その女王は、なぜ私たちを待ってるんだ』

『知らない! 女王はここがお気に入りだ! 王様が女王のために作ったからだ! おしゃべりはやめろ。お前たち、早く女王にごあいさつしろ!』


 氷尻尾は早足に戻ってくると、エリサの腕を掴んでぐいぐいと引っ張った。


「ヴァロさん、どうしよう」

「巨人の王は、だから私たちに聖堂へ行けと言ったんだ」

「え?」

「銀竜殿はともかく、巨人の王は、ここに“女王”が降臨されていると知っていて、私たちを向かわせたんだろう」

「でも、でも、どうして」

「さあ……」


 ヴァロは肩を竦めて首を振る。


「“冬と氷の女神”は気まぐれで厳しい女神だ。気に入らない竜の代わりに、竜の連れとしてやってきた私たちを女王の前に引っ立てて――どうなるんだろうね」

「ヴァロさん」

「私にもわからない」


 眉尻を下げるエリサに、ヴァロも困った顔を返した。

 いかにヴァロでも、神に会うなんて生まれて初めてのことだ。しかも、自身が信仰している“森と狩りの女神”ならともかく、“冬と氷の女神”のことなんて通りいっぺんのことしか知らない。

 “ごあいさつしろ”なんて言われたって、何を述べればいいやらさっぱりだ。

 氷原の民の神子なら、こういう時どうやって女王に敬意を表すべきか知っているのかもしれないが――。




 ここが聖堂だと言われて押し込まれた部屋は、あの巨人の王の間よりもさらに広く、豪奢に飾られていた。

 氷だけでなく、さまざまな彩りの水晶で飾られた彫刻に、雪豹や雪熊の毛皮に、本来なら祭壇があるはずの場所には、氷の大きな大きな玉座が設えられ――そして、あの見上げるほどに大きかった巨人の王よりもさらに大きな女神が、その玉座に座していた。

 まさに“女王”然と座す“冬と氷の女神”は、つるりとした氷の仮面のような顔に、氷柱を連ねたような長い髪で、それから、渦巻く吹雪をドレスか長衣のように纏っていた。

 頭には複雑な形の雪の結晶が輝く宝冠を乗せている。


『女王、お客を連れてきた。巨人の王のお客の小さいのと、くさい妖精だ!』

【――何者か】


 明らかに女王のものだとわかる声が聖堂に響く。


『あ、の、私、“北爪谷の民”の、パーヴォの娘の、エリサです』

『私は、“森と狩りの女神”を奉ずる野伏にして、山向こうの“麗しの森”の森妖精キリアンと“霧氷の町”のヨンナの息子、ヴァロと申します』


 女王の顔には目も口もないのに、じろりと見られたような気がした。


【なぜ、そなたらはここにいる】


 エリサはごくりと唾を呑み込んだ。

 ぎゅっとヴァロのマントの端を握って、『あの』と口を開いた。


『それは、銀の竜の、ヴォレラシアーさんが、ここはとてもきれいなところだからって、連れてきてくれて……』


 しどろもどろになりながら、エリサはここまでの経緯を話すが、はたして女王は聞いているのかいないのか。

 ちらりと伺うエリサを、女王が目を眇めて見つめ返したような気がした。


【――それで、娘よ。そなたは氷原の民と名乗ったが、なぜ、ここにいる?】

『え……なぜ?』


 それは、さっき説明したように、銀竜に連れられて来たからで――


【家を守り、次代の強い戦士を育てるのが女の役目。そなたらの育てた戦士はやがて妾の下僕(しもべ)として妾のために働こう。

 そうして、氷原は回っていくのだ】


 エリサの喉がひゅっと音を立てる。


【それなのに、なぜ、そなたはここにいる。なぜ、氷原の掟を守らぬ。そなたら氷原の民は、すべてが妾のために存在するというに】


 大きく目を瞠ったエリサの顔から、スッと血の気が下がった。

 恐る恐る見上げた女王は、じっとエリサを見つめていた。


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