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氷原の娘は、半妖精の師匠と世界を歩くことにしました  作者: 銀月
2.冬と氷を司る、氷原の“女王”
15/22

広い世界

 嵐はそれから三日続いた。

 三日の間、三人は小屋に缶詰のままいろいろなことを話した……とはいっても、話し手は主にヴォレラシアーで、その嘘か本当かわからない話をふたりがひたすら聞くという形ではあったが。


 唯一心配なのは、ヴァロとエリサの手持ちの保存食ならふたりで五日分という食料の量だった。もちろん、ヴォレラシアーに手持ちはない。ほかに、捌いて外に吊るした鳥が二羽分あるが、こっちはフロスティの食料だ。

 それから、ヴァロの作った“癒やしの実”が数個。これはひとつで十分お腹が膨れるという魔法の実だ。いまひとつ食べた気がしないので最後の手段だが、ヴォレラシアーがいても、三日だけならなんとかなるだろう。

 最悪、風さえ弱まればフロスティが狩りに出られる。


 ――そう判断しての籠城だったけれど、思ったよりは長く続かなかったことに、ヴァロもほっとした。




「晴れたねえ。嵐の後は晴れるものだといっても、ここまで晴れるのは珍しい」


 ひさしぶりに外に出て、空を仰ぎ見たヴォレラシアーがにっこりと笑った。

 ヴァロとエリサも釣られて空を仰ぐ。この季節特有の薄く雲のかかった白っぽい空は夏のような鮮やかな青ではないが、ヴォレラシアーの言葉どおり、冬の初めとはいってもずいぶんと晴れ渡っている。

 完全な冬がくれば、たとえ嵐の後でもここまで晴れることは稀なのだ。

 ヴォレラシアーは機嫌よく伸びをして、ヴァロとエリサを振り向いた。


「風もすっかりおさまったし、今日は飛行日和だよ」

「ヴォレラシアーさん」

「ん?」

「本当に、私たちのこと連れて行くんですか?」


 おずおずと尋ねるエリサに、ヴォレラシアーはもちろんと笑顔で頷く。


「あの神殿はひと目だけでも見る価値のあるものだからね。それに、僕ひとりでは退屈なだけだが、君たちがいれば少しは気が紛れるだろう?」

「はあ……」


 どうしようと戸惑う視線を投げるエリサに、ヴァロは首を振って諦めた表情を返した。竜とは一度言い出したら聞かない生き物なのだろうかと、エリサも眉尻を下げて小さく息を吐く。

 そんなエリサの様子に苦笑を浮かべてから、ヴァロはゆっくりとフロスティに話しかけた。


「フロスティ。“君には領主(イェルハルド)殿への伝言を頼む”。私たちはヴォレラシアー殿に連れられて、北の果てに行くことになった、とね」


 ヴァロの手に耳の後ろを擽られてぐるぐると喉を鳴らした後、すくっと立ち上がったフロスティは、そのまま挨拶をするように尻尾を一振りして走り去った。

 エリサはそれをぽかんと見送って、「ヴァロさん」と声を掛けた。


「フロスティが、伝言、って」

「ああ、野伏の魔法だよ。ふたり揃ってこのまま黙って姿を消すわけにはいかないだろう? 領主殿はエリサの後見人でもあるしね」


 あれも魔法、とエリサは驚いた顔のまま、フロスティが行ってしまった方角をじっと見つめた。魔法なら、どう見ても言葉が話せそうにないフロスティにも、ヴァロの伝言を伝えられるのだろう。


「準備はできたかい? できたなら、僕の背に乗ることを許してあげよう」

「――え?」


 急に、ヴォレラシアーのさっきまでとは明らかに違う深く響く声が上から降ってきて、エリサはびくりと身体を震わせた。

 おそるおそる振り向いたそこには、いつの間にか現れていた見上げるような大きな竜がいた。周囲の雪よりも眩しく陽光を反射して銀に輝く鱗の、エリサを十人背中に乗せても大丈夫そうな、大きな大きな竜だ。

 銀の竜は、驚くエリサににいっと笑うように目を細めてみせる。


「ヴォレラシアー、さん?」

「いかにも。ほら、僕の翼を伝って登るといい」


 身を屈めて翼を地面との渡し板のように伸ばしたヴォレラシアーが、長い首を振り向かせて「さあ」と促す。

 エリサはグラートをしっかりと上着の中に抱え直して、ヴァロに支えられながら銀竜の背によじ登った。ヴォレラシアーの身体には、手のひらよりも大きくて滑らかで、鏡のように光を反射して輝く鱗が並んでいる。

 こんなにきれいな鱗ははじめて見たと、エリサはそっと触れてみた。

 ヴォレラシアーの背の座り心地も悪くなかった。背に並んだ太い刺も見た目よりずっとしっかりしていて、エリサが掴まったくらいではびくともしない。


「エリサ、念のためロープを結んでおこう」

「はい」


 後から登ってきたヴァロが、エリサを抱えるように後ろに座って、ロープの端を渡した。エリサはそれを受け取って腰にしっかりと巻きつける。ロープはさらにヴァロを繋いで、ヴォレラシアーの刺にもしっかりと結びつけられた。


「では、行くよ」


 ヴォレラシアーが地を蹴って走り出す。

 馬や羊どころか大角鹿(ムース)すら比べ物にならないほど大きな身体なのに、揺れはあまりない。力強く走るヴォレラシアーが大きく広げた翼を数度はばたかせると、急にふわりと浮きあがる。


「わあ……っ」


 ばさり、ばさりと翼をはためかせるたびに、地面がぐんぐんと遠くなる。

 地上からは見えなかった、地平の果てまで連なる北壁山脈を目で追って、それから嵐の間寝泊まりしていた小屋があっという間に小さな点になるのを見て、エリサは思わず自分を抱えるヴァロの腕をぎゅっと握った。

 万が一、こんな高さから落ちてしまったら、どうなるんだろうか。

 うっかりテーブルから落としてしまった煮込み料理がべしゃっと潰れてしまったことを思い出して、身震いをする。

 背中からエリサを抱えているヴァロが、トントンとエリサの腕を叩いた。


「大丈夫だよ、エリサ。あまり風を感じないだろう?

 銀色の竜は空と風の支配者だ。高い山の頂に雲を集めた宮殿を作り空に生きる竜で、他の色のどんな竜よりも飛ぶことが得意なんだ。

 私たちがうっかり落ちたとしても、ちゃんと受け止めてくれるさ」

「おいおい待っておくれよ。僕が自ら背に乗せた者をうっかり落とすなんて、そんな間抜けをするわけないだろう?」


 上空を流れる風に乗ったのか、ヴォレラシアーは羽ばたくのをやめて翼をいっぱいに広げた。ヴァロの言うとおり周囲に風が渦巻いているはずなのに、エリサの頬には微風程度にしか感じられない。


「それに、君たちのような地上に生きる者が、空を流れる風や寒さに弱いことくらいちゃんと知っているよ。偉大なる魔術師にして古き竜である美しき天のもの()が、備えないわけないだろう?」


 ヴォレラシアーは得意そうに目を細める。

 青味がかった銀色の頭は、角も含めて鱗や皮膚の凹凸がまったくない、まるで平らに凍った氷の表面のようにつるりと煌めいている。


 昨夜積もった雪のせいか、地表はどこまでも白一色に染まっていた。眼下を流れるように過ぎていく黒いものは、針葉樹か動物か。

 夏はもっとたくさんの色に染まっていたはずなのに、今は白一色に輝いて……冬の氷原はこんな風に見えるのかと、エリサはただただ見入ってしまう。地上を歩き回る自分とヴァロも、きっと空から見たらただの黒い点にしか見えないんだろう。

 谷からも町からも出て、歩いて歩いて――エリサが知るよりずっと広い世界を歩いたと思っていたのに、本当の世界は、もっとずっと広く果てしないものだった。エリサの知る「世界」なんて、本当の世界の、ほんの少しの、小さな点くらいでしかなかったのだ。

 青くかすんで見えない北壁山脈の果てはどこまで続いているのだろう。


「――ああ、すごいな」


 エリサの背後から、呟きが聞こえた。


「エリサ、世界はきれいだね」


 エリサはただ頷いた。

 北の果てまでずっとずっと……さまざまな色合いの白が、果てのわからないほど遠く青く霞む地平の向こうまで、永遠に続いている。ただただ美しく輝きを放ちながら続いている。

 ヴォレラシアーはいつもこんな世界を見ているのだ――そう考えると、エリサは少し羨ましいと思ってしまった。


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