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氷原の娘は、半妖精の師匠と世界を歩くことにしました  作者: 銀月
2.冬と氷を司る、氷原の“女王”

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11/27

到来

 再び氷原に出て五日。日に日に冷たくなっていく風に、ヴァロが「いつもより冬の訪れが早そうだ」と呟いた。


「ヴァロさん、降ってきた!」


 冷たく湿った風の匂いで、天候が崩れることはわかってた。

 この時期はまだ雨のはずで……けれど雨宿りできる場所までもう少しというところで降り出したのは、(みぞれ)だった。べしょべしょに解けかかった雪混じりの雨は、すぐに大降りに変わる。

 霙はただの雨や雪よりずっとマントに貼り付きやすい。これでは、いかに目が詰まっていてしっかりと油を引いた布でも、あっという間に服の奥まで水が染みこんで、びっしょり濡れてしまうだろう。

 おまけに、これからどんどん気温が下がって霙は雪に変わるのだ。すぐに乾かさないと身体の芯から凍り付いて命取りになってしまう。


 岩が重なりあった場所に駆け込むまでのたった四半刻(三十分)ほどの間に、マントの下までぐっしょりと濡れたエリサもヴァロも、歯の根が合わないほどにガチガチと震えていた。


「エリサ、着替えは無事か?」

「だ、大丈夫なのも、いくつか……」

「なら、毛布を被ってすぐに着替えるんだ。グラートを上着の中にいれて、いっしょに温まるといい」

「ヴァ、ヴァロさんは」

「私は先に天幕を張るよ。風が出てきたらまずい。エリサは着替えが終わったら火を起こしてくれ。火起こし棒を使っていいから」

「はいっ!」


 できるだけ乾いた場所を選んで、ヴァロは乱暴に天幕を広げて張っていく。

 エリサは凍えてままならない手で荷物を広げ、少し湿ってしまった毛布と着替えを取り出した。寒いのか、布に包まれたグラートはまん丸に羽毛を膨らませ、ヒヨヒヨと鳴いている。

 毛布を被って、どうにか乾いた衣服に着替えて、上着の合わせの下にグラートを入れるとようやく少しだけ温まった。鳴いて餌をねだるグラートに、凍りかけた肉を手で解かしてから与えると、もっと欲しいとさらに鳴いた。


「少し待ってね」


 広げた天幕を四方の岩に結びつけようと悪戦苦闘するヴァロをちらりと見てから、エリサは燃料袋から出した練炭をいつもより少し多めに積み上げた。そこに、火起こし棒を強く擦り付けるとたちまち青白い炎があがる。

 エリサは火起こし棒の炎を練炭の山に当てながら、さらに着火剤として集めておいた松ぼっくりや針葉樹の枯れ葉を上にのせた。


 魔術ではなく錬金術で作ったという火起こし棒は、不思議な薬を塗った指くらいの大きさの木の棒だ。エリサには何故そうなるのかわからないが、とにかくこうして練炭に擦り付けさえすれば火を起こすことができる、とても便利な道具だった。

 いつもなら火打ち石で難なく点火できても、今日のような悪天候の中では果たしてうまく点けられるかどうか。こういう便利なものがあって良かったと、火が移って赤く染まり始めた練炭にほっとした。


「ヴァロさん、火が点いたよ」

「ああ、よかった」


 ようやく天幕を張り終えたヴァロが、濡れそぼったマントを脱いだ。その下の衣服も、きっと下着までぐっしょりと濡れてしまっているだろう。


「ヴァロさんも早く着替えて。毛布は出してあるよ」

「ありがとう。じゃ、少し失礼するよ」


 濡れて色が変わってしまった革のブーツとグローブを火のそばに置いて、ヴァロはごそごそと荷物を漁る。その隙にフロスティは火のそばの良い場所を陣取って、自分の毛皮の手入れを始めた。


「荷物も完全に無事ってわけにはいかなかったな」

「でも、湿ってるくらいで、そこまで濡れてないから」


 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、毛布の中でヴァロが着替えている。

 エリサは小さな手鍋を出して火にかけた。中の水が湯に変わり、ふつふつと小さな泡が立ち始めたところに幾ばくかの薬草を入れてしばらく煮出す。最後に干し果実をいくつか入れた後、蒸留酒を注いで煮立てれば完成だ。


「ヴァロさんも、薬草茶飲むでしょう?」

「ああ、いただくよ」


 寒くて寒くて仕方ない夜、暖かく寝るためにと父の酒を拝借して母が作ってくれた薬草茶だ。“谷”を出る前にレシピを聞いておいて良かったと考えながら、エリサはヴァロにカップを渡す。


「ありがとう、エリサ。しかし参ったな。予想ではもう少し後に降り出すはずだったのに、こんなに早く雨雲が移動してくるなんて失敗した。

 おまけに明日は雪になりそうだ」

「今年は早く冬が来るのかな」

「どうだろう。そんな兆候はなかったと思うんだけど」


 ふうふうと吹いて、ヴァロはカップで手を温めながら口を付ける。それから、ほっと息を吐いて「ひとりじゃなくてよかったなあ」と呟いた。


「ひとりなら火起こしまで全部を自分だけでやらなきゃならなかったけど、エリサのおかげで天幕を張るだけで済んだ。おまけに、こんなに温まるお茶まである」

「でも、ヴァロさんならひとりでもすぐに全部できたんじゃ?」

「こんなに早く全部は無理だね」


 不思議そうに自分を見るエリサに、ヴァロは小さく笑う。


「エリサ、こっちにおいで」


 ヴァロが急にエリサを手招いた。まだ小さく震えていることに気づいたのだ。いっしょにフロスティも寄ってくる。


「グラートは?」

「上着の中で寝てる」

「そうか」


 ヴァロはエリサの手を引いて、毛布の中に招き入れた。フロスティはヴァロの背を温めるように後ろで丸くなる。片手にカップを持ったまま、もう片手でしっかりエリサを抱えて、ヴァロは毛布の合わせを閉じた。


「さすがにやっつけの野営では寒いな」


 天幕を叩く雨音はだんだんと静かになっていた。もちろん霙がやんだわけではない。雪に変わりつつあるからだ。

 エリサを毛布ごと抱え込むようにして、ヴァロは練炭をもうひとつくべた。


「一度、小屋に寄ったほうが良さそうだ。この様子じゃ明日は完全に雪だろう。朝になったら一番近い小屋へ行って、荷物を全部乾かさないと」


 この季節の夜の訪れは早い。まして、悪天候でもう夜のように空は暗かった。

 エリサが天幕を見上げると、隙間からひゅうっと吹き込んだ風が首を撫でると、痛いほどの冷気にぶるりと身体が震えた。


「髪は完全に上げないで、下ろしたほうがいいよ」

「え?」

「下ろして上着の中に入れたほうが暖かいんだ。首と背がね」


 しっかりと編み込んだ髪を巻いたエリサの頭に、ヴァロが顎を乗せる。

 そういえば――エリサは、羊番をする時、首と背があまり冷えないようにと、ゆるくまとめるだけにした髪をマントの下に入れていたことを思い出す。


「でも、邪魔にならないかな」

「顔の周りの髪だけ編めばいい。森妖精で髪の長い者たちは皆そうしてる。目にさえかからなけりゃ、あまり邪魔にならないからね」


 そんなことを言うわりに、ヴァロの髪は短い。顎のあたりで切り揃え、紐で押さえているだけだ。


「ヴァロさんは長くしないの?」

「私はいいんだ。うまく編み込めないから」


 ふうんと首を傾げて、それからふと、アイニに言われた言葉を思い出した――“ヴァロさんはどうなの?”という言葉を。


 なんでもかんでも結婚に結びつけたがるのは、アイニに限った話ではなかった。

 “谷”でだって、若い適齢期の娘が集まればそんな話ばかりしていたのだ。夫にするなら誰がいいか、どんな夫が欲しいか……たとえ父や長兄が決めることでも、そうやって好き勝手に夢を語るのは皆がすることだった。

 それに、こうして男とふたりきりでくっついて夜を過ごすなんて、たとえフロスティやグラートが一緒だとしても、“谷”ではありえない。


「――ねえ、ヴァロさん」

「ん?」

「アイニに聞いたんだけど、ヴァロさんはニクラス様と同じ歳って本当?」


 いきなりの質問に、ヴァロは目を瞬かせる。


「そうだね……正確には私のほうがふたつほど上かな」

「そうなの? でも、ヴァロさんは領主様と同じくらいにしか見えないのに」

「私は半分妖精だからね。長生きな分、人間より歳を取るのが遅いんだ」

「ヴァロさんは長生きなの? どれくらい?」

「そうだなあ……だいたい人間の倍くらいだって聞いてるよ」

「倍? じゃあ、千年くらい?」

「えっ?」


 千年? と、ヴァロがぎょっとした顔で腕の中のエリサを見下ろす。エリサも驚いた顔でヴァロを見上げていた。


「だって、“谷”でいちばん長生きのおばあはもう五百年くらい生きてるんじゃないかって言われてて……お母さんが子供の頃からずっとおばあは変わってない、あのままのおばあだって、だから、おばあの倍なら千年でしょう?」

「いやいや、いくらなんでも千年なんて、竜でもなきゃ無理だよ」

「でも」

「そのおばあも人間だろう? それならどんなにがんばってもいいとこ百年だ。極たまに、百年を少しだけ超えることもあるけどね。

 だから、半妖精(わたし)ならその倍で二百年ってところかな」

「ええ……?」


 なあんだと、エリサは少しがっかりする。

 妖精なんて種族なら千年も二千年も生きていたって不思議はないし、おばあだって五百年くらい生きていても不思議じゃないのに。


「がっかり」


 残念そうなエリサの後ろでヴァロがくっくっと笑い出す。

 笑いはなかなかおさまらないらしく、エリサを抱えたまま、いつまでもヴァロの身体が揺れていた。


「――町に帰った時に、イェルハルド様とパルヴィ様に君のことを聞いたんだ」

「私のこと?」

「そう、君のことだ」


 ようやく笑いがおさまって、ヴァロは大きく息を吐いた。


「“女王”を崇める氷原の民の女性は、普通、郷から外に出ようなんて考えないし、武器を持ったりもしない。それは“女王”と神子が禁じているからだ」


 いったい何の話をと思いかけて、エリサの心臓がどきんと跳ね上がる。

 もしかして、“谷”の娘のくせに神子や“女王”の教えを破るのかと責められるのだろうか。

 エリサはもう町に引き渡されて、“町”の娘になったはずなのに。


「でも、君は戦士になりたいと武器を持ったし、野伏になることを了承して氷原にも出た。いくら町では許されるといっても、どうして信仰する女神の教えに反してまでそうしようと考えたのか、不思議だったんだ」


 身体をこわばらせたエリサを落ち着かせるように――小さな子供を宥めるかのように、ヴァロの手のひらがポンポンとエリサの頭を叩く。

 大きく跳ね上がったエリサの心臓の鼓動が、少しずつ落ち着いていく。


「私、町に連れて来られて、領主様の妻になるんだとばっかり思ってたの」

「うん」

「町の長の妻だし、パルヴィが第一夫人でヘルッタが第二夫人なのはたぶん決まりだろうって考えてて――でも、ふたりが上位の夫人なら第四か第五夫人でもひどい扱いはされないだろうし、別にいいかなと思ってた」


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