彼女はいつまでも変わらない
「どうして多くのものを失ってしまうのに。ぼくたちは多くを手に入れようとするのだろう。」
夕焼けに染まる夜の手前。
辺りは静まりかえっている。
僅かに聞こえてくるのは車が行き交う音。タイヤが地面で擦れる音だ。
僕は目の前に少し胸を張って向き合っている女の子を見つける。僕の肩幅くらいの身長。肩まですらりと伸びった黒髪。そして、僕を真っすぐに見据える挑戦的な二つの双眸。どれも、僕にはないもの。
「どういうこと?」
僕は彼女に問いかける。彼女の言いたいことは分かるようなわからないような気がする。
「人が質問をしているのに質問で返すなんて失礼な人ね。まあ、キミみたいに下半身が頭脳の役割を果たしている類人猿君にはぼくの考えているわからないだろうね。」
僕の質問に対して彼女は大げさに肩をすくめて早口でまくし立てる。いつもそうだ。彼女は持ち前の頭の回転の速さを生かして浮かんだ疑問を僕に投げかける。ただ、ここで厄介なのは疑問を投げかけた時にはすでにその時点で彼女の中にはすでに満足が行く答えが出ているということだ。
あくまでも僕はただの壁打ち相手に過ぎないのだ。これが僕と彼女の日常。様式美だ。
「答えは出たの?」
彼女に尋ねる。聞くまでもないのに。
「愚問だね」
少し右小鼻を膨らませて彼女は上機嫌気味に答える。ほらね。
「そこに僕はいる?」
彼女は何かを試すような表情を浮かべたあと
「ぼくの世界に?」と答える。
「うん」
どっちなんだろう。できれば、できればね。
「どうだろう」
どうやら教えてくれないらしい。
彼女は一度目を閉じて、下唇をゆっくりと舐めた。
「そろそろ、帰ろうか。もういい時間だしね。」
「うん。」
彼女は本当に勝手だ。自分の都合で僕を強制的に連れてきては肝心なところでいなくなってしまう。
そんな彼女に対して、精一杯の朗らかな憎しみを込めて言ってやる。
「キミは本当に勝手だよな。そっちの都合で呼び出しておいて。気が済んだら帰ろうだなんて。」
彼女は口の端をほんの少しだけ釣り上げて
「ふふ。お互い様だろう。」と返してきた。
「まあ、そうかもね。」
そう言われればそうなのだろう。なぜかって。大体の場合彼女が全面的に正しいからだ。
僕と彼女は大通りから横道にずれた公園を後にして、帰宅することにした。 あたりが暗くなり、人々の生活が鈍化し始める時間帯。早口な君の姿勢。どこか虚勢を張っている表情。自称人嫌いを歌っていながら、人にとっても興味があるところ。彼女はそういう人間だ。どこにでもありふれた光景だった。
それなにありありと覚えている光景の一つだ。
窓から漏れ出てくる光を眠気眼にぼーと見つめる。
その数センチの光の周りには少し虹色がかって無数の汚染物質が纏わりついている。
記憶とは厄介なものだ。数多くの光の中には必ず暗闇がつきまとっている。
僕は頭を振る。覚醒してきている意識と残像を消し去ろうと努める。
でも、どうしてだろう。
いつまでたっても、僕の中に広がった墨汁のシミのような黒い黒いしこりは消えてはくれない。
「何やってんだか。」
独りぼっちの部屋に僕の声だけが響く。
次第に意識が覚醒していくのを感じる。辺りの音が少しずつ近くになったり遠くになったりする。
近所の小学生の笑い声。急にアクセルを踏んだのだろう車のブレーキ音。
そして、彼女の声。
「キミは、ほんとにわかっていないね。」
からかうような彼女の声がする。どことなく人を小馬鹿にした表情。
その通りだと思う。僕は何にもわかっていなかった。
あの時、あの時彼女が見せてくれた笑顔の意味なんてまるで。