1-9 その顔を見せて
「ありがとう、ございます……。許して、くれて」
「その代わり、他の人にあたしの正体を明かしたら殺すからね」
「もちろん、です。誰にも、言いませんっ」
ミミリーは涙を袖で拭いつつ、乱れる呼吸を整える。
リィナは立ち上がり、背を向けて歩き出す。慌てたミミリーは、涙を払いながら彼女の後を追う。
「その殺したいやつは、人間?」
リィナはエルの死体を見おろしながら、そう訊いた。
「そうですけど…」
「何か、深い訳がありそうだね」
「話すと、長くなると思います」
「あとで、ゆっくり聞かせて。あんたの過去を」
「逆に、聞いてくださるのですか?私のようなものの過去を」
「気になるだけ。勘違いしないで」
「は、はい……。でも、うれしいです。興味を持ってくれて」
「そう」
淡白な返事だけして、吹き飛んだ死体の傍らにしゃがみ込んだ。
上半身と呼ばれるものはもうこの世に存在すらしていない。行き場のない下半身は、草原の真ん中で血の海の中静かに横たわっていた。
爆発の衝撃で、ただでさえ見るに耐えなかった死体は、普通の人間だったら気絶してしまうほどの惨たらしさとなっていた。リィナの背後にいるミミリーは、口を手で抑え、顔をそらした。
エルのポケットの中から銀貨袋を取り出し、懐に仕舞い込む。
「リィナさん、何を……」
「盗賊に狙われたら大変。教会まで届ける」
「確かに、そうですね。私が持ちましょうか?」
「大丈夫」
一通り金目の物を取り終えると、一瞥もせずリィナはその場から立ち去る。ミミリーは一度エルの下半身を見やる。あまりの惨憺さゆえ直視しないようにしていたが、彼女を悼むためには仕方がない。
「エルさん」
胸の前で両手の指を交互に合わせ、目をきゅっと瞑る。
「私は、貴女とは比べものにならないくらい悪い子です。復讐だなんて、貴女の顔を見て言えたことじゃないです。きっとやっちゃダメなんだと思います。でも、私はやらないとこの気持ちはおさまらないと、そう思うんです。空で私のことを見ている貴女は、失望するでしょう。もしかしたら眼中にないかもしれませんね。……ごめんなさい、守れなくて。貴女のおかげで拾った命です。復讐を達成したら、慎ましく生きます。そして、貴女の分まで、長生きします。せめてもの、贖いです」
目を開けて、エルに背を向けた。いつの間にか、涙も枯れた。気づけば一つの決心だけが、ミミリーの内にある。
彼女の──リィナの足跡を辿って、自らのすべてを尽くしてやろうという決心だった。
太陽は地平線にその半身を預け、月光が空の主役を担おうと待ち構えている。気づけば青かった空模様は橙色になり、一層肌寒さが増してきた。ミミリーの治癒を終えたばかりなので、走るのは彼女の体に大きな負担となる。馬で何時間と駆けた道を、徒歩で戻ろうものなら途方もない時間がかかるのは目に見えている。未だに街の姿は見えず、人気のない森の中を、どんよりとした雰囲気のまま二人は歩いていた。
いつになったら休憩するんだろう、と息を切らしたミミリーは思う。それまでただひたすらに歩き続けていたリィナだったが、あるとき突然止まって、獣道の外れにある小さな洞窟を指さした。
「ここは夜になると冷えるだろうから、あそこの洞窟で一晩過ごそう」
「そ、そうですね……」
洞窟、とは言ったが、実態は洞穴であった。だが、一夜を過ごすなら十分である。
リィナは獣道に落ちていた枝を何本も拾い上げ、洞穴の中に投げ込んでいく。焚き火用の枝だ。ミミリーもそれを察知したのか、同じ真似をした。
二人は焚き火を点火し、それを囲んだ。もう日は沈みきってしまったようで、辺りは暗い。
「……あったかい」
ミミリーにとってそれは、疲れた体を癒やす心地の良い暖かさだった。すっかりと全身の力が抜け、薪の真上に咲く赤い炎に恍惚としている。
「リィナさん」
口を開いたのはミミリーであった。リィナは無言で彼女の方を向く。先程までの殺気はなく、むしろ穏やかであった。
「本当に、本当の本当にサナトスなんですか」
「本当だよ」
「私は、これまでの冒険でたくさんの龍人を見てきました。もちろん冒険者の方から、商人の方。それから、奴隷まで。その殆どが、ラズリとか、スターヴとかで。かれらの龍角は、特徴的で、例外なく同じような形をしていました。人によって大きさはまちまちでしたけど。でも、サナトスの方は、見たことがないんです。当たり前だとは思いますが……」
「ミミリーは、事情を知ってるんだね」
「はい……。沢山の人が、アスラン王と傍らに立つ勇者に賛美の声を浴びせていました。二人は国中を遊説しては、自分たちの功績を高らかに喧伝して回っていたんです。サナトスを絶滅させた、と」
「うん。あたしたちの家族や同胞は、その人間たちに殺された。絶対に許さない」
「昨今の龍人に対する人間の扱いはひどい。だからリィナさんは角を隠すためにフードを被っていたって、角を最初に見たときそう思ったんです。でも、まさかサナトスだったなんて……」
「あたしも、ミミリーがあれほどの復讐心を持っているなんて知らなかったから、びっくりした」
「……たくさん泣いちゃって、ごめんなさい」
ミミリーは赤くなった涙袋を手で拭って、紅潮した顔を下に向けた。
「でも、似てると思いませんか? 私達」
「……確かにね」
「大切な人を殺されて、その仇を取りたいと思ってる。そんなところまで、そっくりなんて」
「やっぱり似た者同士、運命の糸みたいなもので結びついてるのかな」
「う、運命の糸って、そんな……!」
「あたし何か変なこと言った?」
「い、いえ……」
リィナは口の角度ひとつ変えずに首を傾げているが、ミミリーは恥ずかしそうに目を泳がせている。
「そ、それより……! さっきの約束は覚えていますか……?」
「約束?」
「はい。フレゼリシアまで一緒に向かおうと、お約束をしたと思います」
「あー、そうだったね」
「そのことなんですけど、リィナさんはフレゼリシアに行った後は、どこに行こうとか……ありますか?」
「別にあんまり考えてないよ。気まぐれで行きたいところに行くだけだから」
「……私はこの五年間で、大陸中を冒険しました。ただ南のメロイアから縦断してきただけでなく、極東に行ったり、山脈を横断したり。私がリィナさんとパーティを組めば、あなた様のこれからの冒険の手助けができると思うのです。……だから、だから……」
消え入るような声音で、大事な結論を言い淀んでいた。
「つまり、フレゼリシア以降もパーティを組みたいと?」
「は、はいっ! ……ダメですか?」
「まぁ、もう正体もバレてるし、戦闘も相性良かったから、断る理由はないけど……。あんたはいいの?」
「私、ですか?」
「うん。だって、一度はあんたのことを殺そうとしたんだよ? あたし」
「……もちろん、怖い気持ちもあります。でも、私は分かるんです。リィナさんは強くて優しい人だ、って。自分勝手に暴力を働くような人じゃない。何か正当な理由があって、刃を向けているんだ、って。私は、そんな人と一緒に戦いたい」
「……あたしは、本当に殺すことを躊躇しない。それでもいいんだね?」
「はい。覚悟はできてます。もちろん、リィナさんの信頼は勝ち取ってみせます」
青い目を輝かせて、親指を立たせ、そう言い放つ。
「まぁ、いいよ。あんたがそれでいいなら。その代わりこき使うからね」
「ほ、本当ですかっ!? うれしいです!」
「こき使われたい欲求でもあるの?」
肩を揺らしながら、ミミリーは満足げに微笑む。先程までは畏怖の眼差しで見ていた彼女であったが、リィナに殺気がないと悟ると一気に距離を縮めてきた。
「それで、お願いなのですが……」
「まだなにかあるの?」
「不躾な質問だということはわかってます。でも、もう一度、フードの中身を見せてもらいたいんです。さっきは目が回るほど慌てていて、その、角をよく見れていなかったので。……すみません、冒険者特有の知的好奇心が……」
「……まぁいいけど。誰もいないから」
「や、やったっ!」
目を輝かせるミミリーを少々冷ややかな目で見つめながら、リィナはフードをゆっくりと持ち上げた。
徐々にあらわになるそれは、焚き火の焔に照らされる。
スッと消えて、透明な大気に溶けてしまいそうな白い肌。まるで、人の妄想を可視化したかのような完璧な輪郭に、艷やかな唇と高く伸びる鼻。瞳の中は躑躅のような真紅の宝石が蠢き、目尻まで続くアイラインはそれを際立たせる。誰もがショーケースに入れて飾っておきたい。そんな目鼻立ちだった。
乱れているがなおも美しく輝く夜色と菫色の混ざったミディアムヘアは、闇夜に輝く天の川を彷彿とさせる。側頭部には二方向に枝分かれした黒い角があしらわれており、東方の龍を象徴する造形であった。鋭く尖っていても、美しかった。
ミミリーの目に写った芸術品は、些か恥ずかしそうに紅潮し、口から吐き出る白い息は若干の熱を帯びていた。




