1-7 ただ、高潔さを携えて
文章中に若干のゴア表現が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
重たい感触の後、ダガーの切先から赤黒い血液が大量に吹き出す。返り血の不快な温みを頬で感じるも、拭う時間はない。
刃渡は短いけれど、やはりここの装甲は薄っぺらいのだろう。こんなおもちゃみたいな武器でも簡単に突き刺すことができる。実際にはおもちゃなどではないわけだが。
「よしっ!」
『リィナ、気をつけて! こいつめちゃくちゃ怒ってるよ!』
『そう、だろうねッ!』
彼奴は再び咆哮を上げ、痛みに悶えながら暴れ出す。背中に跨るリィナを振り落とそうと必死だ。
突き刺さったダガーを杭にして、それにしがみつく。晶石が真紅に光り、彼奴の傷口から小さな龍属性の赤黒いベールが見え隠れする。
魔晶は、魔力の込められた晶石だ。
使用者の魔力を消費することこそないが、一つの属性のみを使うことしかできない上製造コストがあまりにも高い。どれだけ質の良い晶石を生み出せたとしても、それから放たれる魔術の威力はたかが知れている。
リィナの持つそれを例外として。
ミミリーははっきりと捉えている。ギガントの背中に突き立てたダガーから放たれるその魔力量を。
その辺の魔術師が作ったものじゃない。魔法の使えない兵士に渡されるような魔法兵器についている魔晶なんかとは比べ物にならないくらい上質だ。
そのうえ希少な龍属性。
後で聞きたいことが増えたなと、ミミリーは思う。
致命傷ほどではないが、ギガントは確実に怯んでいた。背中の激痛に悶えるだけでなく、体内に駆け巡る龍属性の莫大な魔力が、心臓に向け侵食していく。
雷に打たれたかの如く身を震わせ、涎を垂らしながら呻吟する。
龍属性の攻撃はどんなモンスターにも強力な一撃を食らわすことができる。必要魔力は計り知れないが、晶石があればそんなの知ったことでない。
先ほどまで獰猛な咆哮を上げていた彼奴だが、その勢いはすっかりと衰え、荒い呼吸を地面に落とすのみとなっている。尻尾は地面にだらんと草臥れ、目は半開きになっている。
生物の体内に流れ込んだ龍魔法は、毒に似た効果を見せる。
決して派手ではないが、あまりやりすぎると地形が変動してしまう可能性すらある。危険だ。
「よっ、いしょっと。すっかり魔力が身体中に充満しちゃったね」
「リィナさんっ! 今のうちにエルさんを連れて逃げましょう!」
「わかってる! 今降りるから少し待ってて!」
ミミリーは肩の力を抜いて、大剣を背中に預ける。エルの隠れる大木の方を振り向き、急足で駆け出す。リィナはギガントの背中からダガーを引き抜き、溢れ出る返り血を回避するため身を捩る。
「うわっ。もぅ、服が汚れちゃう……」
『後で洗えばいいじゃん』
『あのね、ろんろんは服を洗ったことないからわからないだろうけど、返り血ってシミになるから二度と元通りに戻らないんだからね。肌についた血を水で流すのも難しいのに、服なら尚更だよ』
『ごめんごめん、帰ったら手伝うからさ。怒らないで?』
『まぁいいよ。とりあえず、降りよう』
『それにしても、ずいぶん楽勝だったね。さすがリィナ』
『歴戦のモンスターでもあたしにかかればこれくらい普通だよ。そこまで強くもなかったし。何より……』
リィナとローブの内から覗くろんろんは、同じ少女の背中を見つめていた。
一匹狼といえど、制約の中で戦えば、いつか負けてしまう強敵が来る。そんな中で必要なのは制約をものともしない強力な味方である。
実力自体はリィナの足元にも及ばない。だが、遥かに巨大なギガントの攻撃を受け流すほどの能力だ。
『ミミリーのこと、気に入った?』
『この後すぐ殺そうと思ってたけど、やめようかと思うレベルだよ』
『珍しいね! リィナが自分の秘密を知ってしまった人を殺さないなんて。明日は空から火の玉でも降ってくるんじゃないかな』
『殺さないなんて言ってないでしょ。どうせ、いつかは死ぬんだから。でも、少しは一緒に冒険を共にしてもいいってだけ。……あの子がこの角をサナトス特有だって知らなければの話だけど』
いつかは死ぬ。それは寿命などではなく、この厳しい世界で冒険者として生きる以上、死は避けられないのだ。魔王討伐を最終目標とするならば、こんな戦闘で苦労しているようでは、死まで秒読みだ。
でも、ここでは二人とも生き残った。ミミリーにとってこの成功体験は、これからの冒険の糧となるに違いない。
背中から一歩、鱗に足をかけて降りようとしたところで、ギガントが再び動き始めた。
身体中が震えるほどの重低音で唸っており、体内に充満した龍魔法によって苦しんでいることは誰の目から見ても明らかだった。
そして、その目には溢れんばかりの怒りが現れていることも。
『もしかして、あたしに怒ってる?』
『そりゃあ、怒ってるだろうね』
『ごめんね。本当はここまでやるつもりはなかったんだけど、こっちも面子とかそういう物があって……』
『そんなの彼にはわからないよ』
彼奴の背中に体を密着させ、囁くようにして彼奴に語りかける。
『この言葉が伝わるかわからないと思うけど、貴方もあたしと同じなら、同胞なら聞こえると思う。同胞殺しが大罪なのはあたしも知ってる。でも、大きな目的を達成するためには、たくさんの犠牲が必要なの。改めて言わせてほしい。ごめんなさい。あたしは、貴方の犠牲を決して忘れない。だから、苦しまず、ゆっくり死なせてあげるから。あたしに身を任せて』
ダガーを、もう一度彼奴の背中につきたてる。冷たい金属の切先が、硬質な肌に触れた瞬間であった。リィナがもう一言、漏らした瞬間であった。
突如として彼奴は立ち上がり、激しく体を震わせる。雷鳴のような咆哮を上げ、尾を大地に何度も叩きつけると、空気は震え、周囲の木々は勢いに負けて崩れていく。
そんな中二本足で不安定な背中に立っていたリィナは突然の出来事に対応もできず、あっけなく振り落とされた。
それだけでなく、鋼鉄のような尾が落下する彼女の横っ腹を躊躇なく殴りつけた。
あまりの勢いに声も出ず、リィナは脳震盪と複数骨折を一瞬にして経験した。砂埃と血飛沫を上げながら力なき少女は十馬身ほどの距離を途轍もない速度で前進していく。打ち上げられた魚のように横臥しているのだが。
やがて動きが止まると、視界に青空が広がった。雲一つないそれに、恍惚とした。最期に見る景色としては、少し贅沢だろうか。
「うぁ……あっ……」
『リィナ! 起きて! リィナ!』
「リィナさん! 起きてください!」
意識が遠のきながらも、ろんろんの必死な声色と、壁となるようにして迫り来るギガントに大剣を構えるミミリーの姿を見た。
手を伸ばした先に、エルの顔があった。もう耳は聞こえないが、必死に回復ポーションをリィナの体に塗りたくっている。痛みが引いていく。
これで助かる。
なんて簡単なことがあれば、よかった。
エルが顔を上げ、絶望の表情を見せる。
ミミリーの方を向けば、彼女は簡単に吹き飛ばされてしまっていた。木に体を打ち付けられたようだが、すぐに起き上がって再び戦おうと大剣を拾い上げている。
エルはリィナの腕をガッチリ掴んで地面を引きずっている、必死に助けようとしているのだ。
自分だけ逃げようなんて考えないのだろうか。
「早く、早く立ってよぉ! お願いだからぁぁぁ!!!」
必死の呼びかけ虚しく、リィナは脳震盪の影響で気を失った。
リィナはすっかり、死を受け入れていた。もちろん、彼女と運命を共にするろんろんもだ。
それが、サナトス種並びに龍族に共通する高潔さだ。
もう、ここで死んでもいいんだ。
おじいちゃんの姿が、目の前に見えた。五年ぶりに見た。
リィナは慌てて手を振る。そして、彼に向かって走っていく。
どうしてだろう。いくら走っても、近づけない。
彼はいつもみたいに鋭い眼差しでリィナを見つめている。本当は優しいって、リィナのことをいつも一番に思ってくれているって、知っている。
でも今回は違った。
槍を片手に持った彼は、リィナに背中を向けた。
置いていかないでと手を伸ばした瞬間、ハッとした。
最後に見た彼の姿は、その背中だった。
彼の死を、忘れた日はない。
そしておじいちゃんを殺したあの勇者の顔を、いつだって思い描いている。
絶対に殺してやる。
あたしはそのために生きている。こんなところで死んでたまるか。
あたしは、生きるためならなんだってしてやる。
仁義や人道を捨てたとしても。
肉塊が潰れ、何かが破裂する音がする。ミミリーらしき悲鳴と、荒々しいギガントの鼻息。不思議と痛みは感じない。目を開けてみれば、ボトッと、鈍い音を立ててエルらしき少女の腰から下が、リィナの横に添い寝していた。
彼奴はぐちゃぐちゃと、美味しそうに何かを頬張る。ボトボトと彼奴の口からいくつかこぼれたと思えば、それは目玉や肉塊、泥のように粘った血液。なにか見当もつかない、内臓のようなものたち。
エルのそれであるということは、この状況を見れば誰だって察することができる。数秒気絶していたリィナでさえ、理解することができた。
命が助かった上に、邪魔で足手纏いの人間が死んだ。高らかに笑ってしまいそうになるのを抑えて、リィナは立ち上がる。
惨憺たる光景に、寒気を覚えた。その光景をはっきりとリィナの目に映すかのように、照りつける陽光すら恨めしかった。薄緑の絨毯広がる大地の上で、太陽は三人を嗤っていた。
ふと、眼の前に転がったエルの下半身を見る。
腰部分で修道服が無造作に破れ、持ち主のいない両足は傷一つつかず、地面に草臥れている。異様なのは、歯型がつき臓器の垂れ下がった断面である。
砕けた骨が突き出て、周囲に血みどろを形成していた。醜悪な亡骸が、あまりに不気味なので冷ややかな目で見つめていた。
同時に、生存という営みは必死に生きて幸福となり、後世に命を紡ぐことなのにも関わらずこうして自ら他人のために命を投げ出す行為を愚かに感じた。
リィナは照りつける太陽とともに、転がる人間の死体を嘲笑するばかりであった。我に返ったのは、ほんの数秒後のことだった。




