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アザレアの射手  作者: 佐倉花梨
第一幕 冒険者篇
6/12

1-6 落下

 リィナにとって戦闘とは、自分を守るためだけの手段でしかなかった。タンクに前線を張ってもらってその間隙に遠距離からの攻撃を行うなんて考えもせず、その身軽な所作を活かして一方的に敵を叩きのめしていた。要するに一匹狼というやつで、今まで戦闘中に出くわした冒険者パーティの皆々が、口を揃えて「狂ってる」と言っていた。そりゃそうだろう。防御力の極端に欠けた弓使いの職分が、戦場で唯一人踊っていたら誰だって目を疑うし、それが夢でも妄想でもなく現実だったら、誰だって狂ったやつだと恐怖することだろう。

 だが今はそんなことを言っている場合ではない。守ると決めたら守り切る。サナトスの高潔さと誇りが、失われてはならない。

 矢羽を人差し指と中指で挟み込み、ストリングを目一杯引っ張って、ギガントの首元に狙いを定める。

 弓の巨大さゆえ、発射すればかなりの反動が身体にかかる。後ろに吹き飛ばされて狙いが明後日の方向に逸れたら元も子もない。後ろ足を地面に叩きつけ、ずりずりと抉り取る。

 軽い体重を地面に預け、姿勢を低くとる。広く足を広げるが下品には見えず、むしろ上品な構えに見えた。

 唇を噛み、慎重に的を絞る。ミミリーに今にも頭突きをしそうな彼奴は、太く黒光りする鱗を身に纏っている。堂々と弱点の首元を曝け出しているものの、今のミミリーは防戦一方で、手にかけることは叶わない。未だ気づかれてはいない遠距離職分のリィナならば。


 矢羽から指を離すその瞬間、リィナの脳裏を彼奴の目玉がよぎったような、そんな感覚がした。彼奴は、恐竜である。恐竜とは、いわば龍人と遺伝子を同じくする同胞なのだ。古龍ミラージュを共通の先祖とする、遠い親戚なのだ。同胞殺しなど、どんな仏でも許すことのできない悪行であり、誰も背負うことのできない重荷であるのだ。

 だがリィナの指先は、何の躊躇もなくその矢羽を放った。彼奴が恐竜であるという考えはあったが、それから何の逡巡もなく殺そうと決めた。

 彼女にとって同胞殺しは、何のとりとめもない、手段の一部分でしかないのだった。


 鋭い金属音とストリングの弾ける鈍い音のあと、矢は目にも留まらぬ速度で空気を切り裂き、彼奴の首根っこを捉えて突き進む。

 瞬きをする間に、事は終わった。

 否、何も起こらなかったという方が正しい。リィナの発した矢は、彼奴の首根っこに直撃したはずだが、気づけば遙か上空へ消えていった。

 鱗にまんまと弾かれてしまったのだろう。黒光りする表面には、何かが擦れた傷跡が残っている。たった、それだけしかできなかった。リィナは呆然とした。彼女は彼奴と同胞ゆえ、彼奴の特徴ならなんだって知っている。どれだけ厚い装甲であっても、リィナの持っている巨大で、貫通に特化した弓矢なら十分に貫けると踏んでいた。


「そんな……。狙いは正確だったのに……!」

「たった三人じゃ倒せっこないってことなのね……」


 そんなの誰が見ても明らかだ。まだまだ冒険を始めたばかりのような少女風情が、自らの体格の十倍もあろうかという化け物に、勝てるはずがないんだ。気づいていたのに、自分ならできるという慢心でミミリーを全然に唯一人置いていった。

 今こうやって傍観している間も、突進し尾を振り回す巨体を受け流す彼女は、息を詰まらせている。

 リィナは弓を下ろし、木に手を添えて前のめりになった。彼奴を観察する。

 必ず弱点があるはずだ。どんな生物も、完璧ではない。サナトスだって人間ほどではないが弱点は存在する。彼奴も完全生物じゃない。


「首以外の弱点は……」

「ギガントに、首以外の弱点なんてあるの?」

「よく見ると、お腹や尻尾に大きな傷が有ります。おそらくは、かなりの数の冒険者と戦ってるのかと。そして、それらの激戦を悉く制してきた」

「そんなの、勝てっこないじゃない!」

「いや、そんなこともありません」

「どうして?」

「おそらく彼は、冒険者たちがよく攻撃するところを自己再生し、重ねて鱗を生成してきた。世間的に弱点とされる部分が、さっきみたいに分厚い装甲で囲われているがゆえ、呆気なく弾かれてしまうんですよ」


 先ほどまでの引っ込みがちなリィナに反し、冷静に、そして饒舌に敵を分析するその様は、エルにとって奇妙に映っただろう。

 リィナが唇を噛んだと思えば、「そうか」と溢して口角を上げた。


「上だ」


 次の瞬間、大地を震わす咆哮が、天誅の如き轟音を伴う強風が、刹那の間に巻き起こった。

 あまりの気迫にミミリーは大剣で強風を遮り、エルは数歩退いて木の傍に隠れた。


「いやぁ! 助けて! 死にたくない!」


 エルがそう叫んだ後、不意にリィナの方を見た。そこには、先ほどの夜の帳を纏った少女の姿はなく、フードが脱げて後頭部の顕になった彼女の背中があった。


「り、リィナ、ちゃん……?」

「エルさんは、ここで待っていてください。すぐ終わらせますから」


 そう言って、リィナはミミリーの方へ向けて走った。

 エルはその姿を、ただ茫然と眺めるのみであった。


「ミミリーさん、大丈夫ですか」

「リィナさ……え?」

「御託はあとにしましょう。今は彼を倒さないと」

「そ、そうですね……。でも、先ほどの矢は弾かれてしまいましたし、私も攻撃する暇がなくて……すみません」

「上を狙えばいいんです」

「上? 上って言うと……」

「背中です。背中なら、装甲が薄いはず」

「でも、そんなところどうやって……」

「木の上から狙撃します。ミミリーさんは、引き続き彼の気を――はっ!」

「うわぁっ!」


 二人の間に、彼奴は尾を振りかざす。人間の反射神経だったら死んでいた。二人は咄嗟に飛び退き、受け身をとった。すぐに起き上がり、互いを見つめ合う。どちらも頷いて持ち場に向かう。

 認めたくはないが、一人で戦う時よりどこか楽しい。命を賭しているはずなのに、思わず笑みがこぼれる。ミミリーと気が合うのだろうか。連携をとりやすいのだろうか。

 まぁ、龍角を見られて時点で殺すことは決まっている。今だけの共闘だ。楽しもう。

 俊敏な所作でリィナは木の枝を次々と飛び移っていき、ついには彼奴の背中を狙える絶好のポイントについた。

 この木は樹齢が長いのだろう。他に比べて枝が太く、直立しても安定している。

 太く巨大な尾をばたばたと地面に叩きつけ、彼奴はミミリーを威圧する。鋭く尖った牙を剥き出しにして、涎にまみれた歯茎が不気味に光る。


「……来い」


 ミミリーがそう零した刹那、彼奴は再び突進を始める。

 先程までと異なる点が一つ。彼奴の動きが、俊敏になっていた。

 ただでさえ細く曲線の多い背中を狙うのだから、動作が瞬速になってしまえば狙いが定まらない。ミミリーの戦闘もかなり厳しくなることだろう。リィナは、背中から取り出そうとした弓を引っ込める。

 ここは、弓矢の出番ではない。彼女は遠距離職分ではあるものの、ある程度近距離戦闘はできる。そう、背中に飛び乗るのだ。

 彼女は腰に携えた小さな鞘からダガーを引き出す。

 古びた柄の傷ですら芸術の類ともとれるし、意匠を凝らしたブレードのフュラーには、稲妻のような赤黒いラインが走り見るものに攻撃的な印象を強く植え付ける。その模様は、龍属性魔法の象徴だ。

 それを裏付けるように、鍔には赤く光る晶石が植え付けられている。魔晶だ。

 

「はぁぁぁぁぁっ!!!!」


 ミミリーは大剣を大きく振りかぶって、突進してきた彼奴の攻撃を相殺する。先程よりも激しく、そして熾烈な剣戟だった。猛烈な頭突き攻撃は連続して繰り返され、それに合わせて彼女も大剣を振るう。三度ほど火花を散らしたところで、砂埃が大きく舞い、二者は数歩退く。


「けほっ、けほっ……。リィナさんっ、今ですッ!」

「わかってるっ!」


 好機と感じたのは、ミミリーも同じだったようだ。剣戟の連続で舞った砂埃によって彼奴の視界が悪化している。裏をかくのには絶好のタイミングであった。


「よっ、ほいっ、うわわっと……!」

『リィナ! すっごい揺れるんだけど! 僕のことも少しは考えてよ!』

『そんなのいちいち考えてらんない! 少しは我慢して!』

『戦場のど真ん中で枝を飛び移るやつがどこにいるっていうの!』

『ここにいるっ! もううるさいなっ! 今から集中しないといけないの! んしょっと!』


 ここからなら。

 少し高いけど。

 ダガーを逆手に持ち、彼奴の背中を見下ろす。地面を這う肉食恐竜は、視界不良の中獲物を探しキョロキョロとする。

 微風に揺れる青髪と、外套やスカート。その輪郭は間違いなく少女のそれなのに、目では捉えきれないほど巨大な力を孕んでいるようで。地上から見守るミミリーは、その気迫に圧倒された。

 

 次の瞬間、リィナは落下した。鋭い灼眼はしっかりと、一点を見つめていた。

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