1-4 小さな行軍
「この茶色い子がベスで、この黒色の子がシリィ。どっちも女の子だから、丁重に扱ってね。とても神経質なの」
馬小屋に入ると、堂々と鎮座する二頭の馬がいた。エルが近づいて鼻尖を撫でると、甘えた様子で彼らは華奢な手に身を預けるようにする。少女たちより図体は大きいものの、そこまで凶暴ではなさそうだ。神経質ということは、何か気に障るようなことをしたら蹴り飛ばされでもするのだろう。馬はそういう生き物だとよく聞く。
「二人はベスに乗って、私はシリィに乗るわ。乗馬の経験はある?」
「あ、あたしはないです……」
「私は少しだけ……」
「じゃあここはミミリーに任せようかしら。ちゃんとついてこれるかしら?」
「が、がんばります……!」
エルは機能性の悪そうな修道服をものともせず、難なくベスに乗馬した。ミミリーは少し尻込みした様子を見せたが、すぐにシリィへ乗馬し、リィナに手を伸ばした。
「リィナさん、乗れますか?」
「あ、ありがとうございます……!」
リィナはミミリーの手をしっかりと握り、その力に任せて後ろに乗馬した。思ったよりもミミリーの力が強く、反対側へ落下しそうになってしまう。慌ててリィナはミミリーの腰に手を回した。
「あ、ご、ごめんなさひ……!」
「大丈夫ですよ。少し力みすぎてしまいました。私こそごめんなさい」
「ふふ、ふたりとも初々しくて可愛いわね」
修道服の袖で口を隠し、エルは微笑みを見せる。くすくすと笑うエルに少し赤面するミミリーは、「早く行きましょう!」と急かす。リィナはぽかんと、口を小さな丸に変えて二人を見ていた。
「そうね、こうしている間にも陽が傾いてしまうわ! 夜になってしまったら大変だもの。行きましょう、ついてきて!」
二頭の馬とそれに乗る三人は、教会を出発した。まずは幅員の狭い古通りを難なくすり抜け、大通りを横切る。街外れの衛兵に挨拶すると、背の高い家々は消え去り、開けた草原が眼前に広がった。人通りが目に見えて減った。まばらに農家の影が見えるのみであり、窮屈な大都市とは対照的だった。リィナは、どこか気が抜けたように感じた。太陽を背に、小さな隊列はゆっくりと進んでいく。
どれほど進んだだろうか。前を進むエルは、すっかりと夢の世界に入っていた。よく乗馬中に寝れるなと、リィナは感心する。出発してから他愛もない話を展開していたのはエルだったが、当の本人の意識はどこか遠くに行ってしまったわけなので、ミミリーとリィナの間には数分の沈黙が流れる。
気まずい空気感の中で、先に口を開いた勇者はミミリーだった。
「あの、リィナさん……」
「は、はい……」
「つかぬことをお伺いしますが、その、なぜお顔を隠しているんですか……?」
これはまた核心を突く質問だなと、リィナは感じた。別に彼女は人間じゃないんだから正体を明かしても良い。だがおそらく彼女はかなり臆病な性格だ。人間と距離の近いラパンなら、人間と変わらない反応をすることも想像に難くない。悲鳴を出されようものなら、首を掻っ切って殺さなければいけない。もちろん、その現場を見てしまうであろうエルも。口封じというやつだ。
ここはとりあえず隠していこう。今まで使ってきた口実はいくらでもある。
「実は、顔に傷があって、見せたくないんです」
「そうなのですね……これは、失礼しました」
「だ、大丈夫です……よく聞かれますから、な、慣れてます」
「それは、今までの旅路でよく聞かれたということなのですか?」
「そうですね……。人間は好奇心旺盛で、加えて遠慮というものも知らないらしく」
「エルさんには聞かれたのですか?」
「聞かれてない……ですね」
「エルさんはあんな感じで、常識をわきまえていますよね。バカにするつもりはないですけど」
常識はあっても人間は人間だ。リィナにとってはどれも同じに見えてしまう。全てが憎く、全てが悪魔に見える。冒険者になって人間と距離が近くなったとしても、それは変わらない。
「いつか、リィナさんの冒険譚を聞いてみたいです。今までの旅路でどんなことを経験したか、どんな人と出会ったか。話してくれますか?」
冒険譚という冒険譚はない。故郷が無くなってから、地獄のような生活を送ってきた。そんな話を、誰が率先して聞きたがるだろうか。
しかも、話すならばまずサナトスであるということを先に教えなければならない。初対面の相手に、そこまでする義理はないだろう。
「ま、まぁ。いいですよ。聞いてくれるなら」
「もちろん! とても興味ありますから」
また、沈黙が訪れた。今回は不思議と気まずくない。
ミミリーは上機嫌なのか、鼻歌を歌っている。何の歌だろうか。
肩を小刻みに揺らして、リズムに乗っている。そんな様子がどこか子供のようで、リィナは思わず微笑んだ。
次に口を開いたのは、リィナであった。初対面の人と会話を進めるにあたって、大切なことはまず質問を投げかけることである。だが質問一辺倒になってはならない。相手においてもそれは同様である。相手だけが質問の独壇場をとってしまっては、相手の情報を何も得ることができない。……と言っても、リィナから出した情報はほぼ皆無であるが。
「ミミリーさんは、その、出身とかって」
「出身、ですか? 私は、フレゼリシアの出身です。王都のラップハーゲンで」
「フレゼリシア……。あたしがこれから向かおうとしてるところです」
「本当ですか!? 奇遇ですね。私も、南のメロイアからはるばる帰郷しているところなんですよ。大陸縦断、って感じですね。川を九つ越えて、数え切れないほどの国を越えて。何度も回り道をして、やっと手前までやってきました」
「メロイア、からですか……。気が遠くなるくらいの距離ですね……」
大陸の南端から、大陸の北端まで。リィナと同じくらいの少女が、大剣を背負って旅をする距離ではない。道中、多くのモンスターと対峙したことだろう。
ラパンなのに大剣を持つのが愚鈍と言って悪かったなと、少し反省する。
「それにしても、フレゼリシアの方がどうしてメロイアに?」
「それは……少し特殊な事情があって」
ミミリーもまた、一言では表せない特殊な事情があるに違いない。どうせこのクエストが終わったら別れる仲だ。あまり気にもならない。
「そ、そうなんですね。ミミリーさんの話も、いつか聞いてみたいです」
「もちろんです! じゃあ、こうしませんか? このクエストが終わってエルさんと別れたら、フレゼリシアまでキャラバンに同行して向かおうと思うんです。よければリィナさんもご一緒に、とか……」
今一番恐れていた質問をされてしまった。ともすればクエストが終わった途端、手を強引に引かれ馬車に押し込まれるに違いない。
一匹狼を生業とするリィナにとって、パーティへの勧誘を断るというのは避けては通れない。行動をともにするということは、それだけ正体を露呈する可能性が高くなるということだ。
「あたしで良ければ……。え、遠距離職分ですけど……」
「本当ですか!? いいんですか!?」
「は、はひ……」
「断られたらどうしようかと思いました……。でも私たち、似てると思うんです」
「え?」
「一人でたくさん冒険しているところですよ。小一時間じゃ話せないくらいの、引き出しを持っているところも」
「確かに、そうですね」
ミミリーはうんと微笑んで、リィナに笑いかけた。口元だけの少女は、一生懸命口角を上げてみせた。
畑の数々を抜け、虫の鋭い鳴き声が響く緑林を抜け、小さな集落を抜け。冒険というより遠出の雰囲気だった。
前を行くエルは、いつの間にか目を覚ましていた。こちらを振り向いて、「ねぇ、きれいでしょ?」と叫んだ。リィナはこくんと頷き、ミミリーは元気な声で返事をする。すっかり緑が満ち満ちた眺望で、周囲には花畑や薬草が群生している。意外にも三人以外に人はいないようで、静寂が包んでいた。
白く光る雛菊の香りが、旅路の疲れを癒すほどの心地よさだった。
やはり自然は素晴らしい。人間になんて、侵されてはならない。リィナは改めて、そう感じた。




