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アザレアの射手  作者: 佐倉花梨
第一幕 冒険者篇
13/13

1-13 この先

 次の瞬間、ジエンは槍を自らの黒き外套に突き刺し、体を翻して勇者の横っ腹をすり抜けるように投擲した。

 槍は矢のようにして直線に、凄まじい速さで前進し、外套をひらひらと靡かせていた。

 リィナの方向に進んでいた。

 血迷ったかと、そこにいた全てが思っていた。

 リィナですら迫りくる槍に困惑した。

 為す術の無くなったジエンは、素手で硬い勇者の装甲を殴る。鈍い音が響いたが、全く効いていなかった。


「おじいちゃん!」


 槍はリィナの僅か指一本分の傍をすり抜ける。

 大きな外套がリィナの体を覆い、勢いに押されリィナは後ろへ倒れる。

 何かが斬られたような音がした。

 顔にかかった外套を掻き分けて、ジエンの方に手を伸ばす。

 傾く視界のなかに、黒いヴェールが渦巻く。

 見知らぬ景色がサブリミナルに映し出される。

 暗く、どんよりとした世界。そして、目の前では縦方向に分裂するジエンの姿。

 リィナがもう一度、愛する人の名前を口にしたときには、空を見ていた。

 


「転送魔法……」

「禁忌の転送魔法を、おじいちゃんはこの服に仕込んでた。もちろんあれから使ったことはないよ。でもこの服は、仇として裁断して使ってる」

「命に代わるものはありません。それで、リィナさんが救われて良かった。でも、ほかの人は……」


 ごくりと、ミミリーが固唾を飲んだ。


「……あたしは、あの王が憎い。勇者が憎い。」

「辛かったでしょう。本当に」

「それから、あたしは一人で生きてきた。果敢に戦ったおじいちゃんの最期の姿を、一時たりとも忘れずに」

「……」 


 沈黙が夜陰に沈んだ。

 足元に漂う寒気に、二人はひたすら身を震わせる。

 それでも焚き火は燃え盛り、二つの躯体は熱くその身を繋ぎ止めていた。


「ごめん。長話しちゃって」

「いいんです。リィナさんのこれまでを、少しだけ聞けたから」

「ミミリーの続きも、今度聞かせて」

「はい……」


 ミミリーの声は段々とか細いものになっていく。眠気がその小さな体躯を支配しているのだろう。

 無理もない。昼過ぎから苛烈な戦闘に巻き込まれ、人の死を眼の前にし、一息つく間もなくこの洞穴へひたすら歩いてきたのだから。

 回復ポーションの副作用も悪さをしているはずだ。

 その柔い頬をリィナの二の腕にこすりつけては、ハッと目覚めて姿勢を正すと言った所作を繰り返していた。


「寝てもいいよ」

「はぁぃ……」


 リィナの優しい声掛けに、プツッと切れるようにしてミミリーは夢の世界へ旅立った。

 外套を彼女にかけてやって、リィナは洞穴の入口に一人座り込む。

 その足元を、ぴょんぴょんと跳ねるように歩きながら着いてくる半透明の小動物がいた。

 段々と彼は実体化していき、擬態の効果が解けてついには白磁の鱗が月下に輝いた。


『綺麗な夜空だね、ろんろん』

『そうだね、リィナ』


 地面に手をつき、幾億の星星が輝く宵の空を眺めていた。

 尻をつき、スカートの下に伸びる雪色の太ももに挟まれるようにして、ろんろんはちょこんと座った。

 寸刻の沈黙が流れる。


『それにしても、大胆な采配だったね。まさか恐竜を呼び寄せて、エルを代わりに殺させるなんて』

『おかげでエルの手持ちをこれだけ手に入れられたし、街に戻ったら教会にある貯蓄も盗める。一石二鳥ってやつかな』

『最初からそれ目的で薬草採取の依頼を受けたんだね』

『もちろん。そうじゃなきゃこんな地味なクエストやってられないよ。もっと手っ取り早く、そして違和感なく人間を狩って、資金を手に入れないと』


 リィナは笑顔で、手に持った銀貨数枚を眺める。これだけあればフレゼリシアには問題なく到達できるだろう。


『大義のためなら人を殺すのに躊躇がない。これぞサナトスって感じだ』

『当たり前だよ。〈八龍〉は再び大地の支配者となり、人間の時代は終わる。あたしは古龍の代行者。かつて龍から大地を簒奪した人間どもを一人残らず殺し尽くして、世界に永遠の平和をもたらすためなら、あたしは躊躇なんてしない。そう、もう後戻りはできないの』

『……〈八龍〉の復権のためなら、魔王とも手を組む、ね』

『おじいちゃんがそうしたように、あたしもそうする』


 リィナは一本の枝を取って、地面に線を引き始めた。


 

 転送魔法が発動したあと、眼前に広がる空を数秒間眺めていた。

 夜のそれよりも黒い、星空一つない空を。

 黒い水が、ピシャリと跳ねた。

 背中に伝うその不気味な感触。

 起き上がってジエンを探すも、何もない。文字通り、何もない。

 地形の凹凸が辛うじて確認できるくらいで、そこには植物も、生物も、存在しなかった。

 遠くの景色も地と空を識別できないほど黒に塗られていて、不気味の極みであった。


「おじいちゃん……どこ……」


 生まれたての子鹿のような足取りで、濡れた薄手のチュニックの不快感も忘れて、ひたすらにジエンを探し彷徨していた。

 どこにも見当たらなかった。


「いや……いやぁ……!」


 か弱い少女は、溢れ出る涙も止められず、その場に膝をついた。

 筆舌に尽くし難いというのは文字通りで、この世界は何も形容するようなものが存在しなかった。

 湿った地面に顔を擦り付けると、額に痛みが走ったのですぐさま手をあてがう。

 ただの水ではなさそうだ。肌に直接触れると、突き刺さるような痛感を覚える。


「もう……嫌だ……。死なせてよ……お願い……」


 およそ十歳の少女が零すべきでない独白。

 痛みを逃れようとリィナは立ち上がった。

 どうやら、台詞とは裏腹に、その信念は生存を欲しているらしかった。

 その毒の如き黒い水の効能にうんざりして、逃亡するような足取りでリィナは歩いた。

 ただひたすらに、生きているかもしれない仲間たちの元へ。あわよくば、大好きな祖父の元へ。

 だが、現実は非情であった。

 幼い彼女でも、身にまとわりつくこの外套の異様さが手に取るようにわかった。

 これは、あたしを見知らぬ大地に連れ去った、誘拐者だと。

 それでも、かなぐり捨て、手放すことはなかった。大切に、ちっぽけな拳で握りしめていたのである。

 理由は単純だ。そんな誘拐者を利用して、祖父はリィナを助けたからだ。

 あの修羅場から、リィナ一人だけでも助け出すため。自分の命は捨て置き、唯一の血縁者の命を救うため。

 それくらい、リィナにも理解できた。

 気がつけば、外套の布地は涙でいっぱいになっていた。


「あたしが弱いから……! あたしが弱いからおじいちゃんは……!」


 自分は強いと思い込んでいたのに、いざ敵を前にしたら何もできなかったのである。

 それを強いと誰が形容するであろうか。

 彼女はひたすら、絶望に暮れていた。


 どれほど泣いたであろうか。

 やがて涙も枯れ、僅か十歳の少女は途方もない黒の世界を仰いでいた。

 その世界はまるで、数年前に祖父から聞いた、魔大陸のよう――。


 影が蠢いた。するするとまるでヘビのように、リィナの周囲を駆け巡る紫色の影は、やがて立体となり、彼女の前へ立ちふさがる。

 彼女は驚愕に喘ぎを漏らしながら、だが疲れ切った体でまともな守勢はとれず、曖昧な影に対して震える右手を向けた。


「人間が、憎いか」

「な、何?」


 まるで龍人の操る特殊言語のよう。

 ずんと重い声音が、リィナの脳幹にのしかかる。


「祖父を殺した奴らを、同じ目に遭わせたいか」

「どういう……」

「龍の支配する世界を、その目で見たいか」

「……っ!」


「力が、欲しいか」


 紫煙のような影は膨張し、やがて黒と金の装束を纏った人型の――骸骨が現れる。

 黒い空からは、巨大な魔法陣が現れ、複雑怪奇の黒城が顕現する。

 その城――魔王城の絶大さに呆然とするばかりのリィナに、魔王はひとつ、歩み寄る。



 星空を見上げていたリィナは、自らの身体に目線を落とし、白く淡い右足の太ももをタイツを挟んで抑える。

 紫色の光る入れ墨が、存在感を放っている。


『おじいちゃんは、最後の最後であたしを魔王城に転送して、その野望を託した。あたしは、それに答えないといけない』

『もう、後戻りはできないね』

『うん。あたしは、絶対に世界を変えてやる』


 リィナの持つ枝は、役目を終えてその場に崩れ去った。

 地面には、枝の作った溝で描かれた、地図があった。

 

『先進と常冬の国、フレゼリシア。生者と死者の国、鬼火。現世とあの世の境、迷境。灼熱と金の国、メロイア。エルフと暴風の国、ヘイレム。遠雷と連峰の国、ラエド。人類の大帝、アスラン。そして、あたしの故郷、龍谷。大陸中に眠る〈八龍〉を、あたしが蘇らせる。魔王軍を使って人類をなぎ倒し、世界は龍と魔王が支配する。それで、そ、れで……』

『リィナ?』

『龍と、魔王……』


 リィナは言葉に詰まった。

 魔王がこの世界から人間を滅ぼし、文字通り全てを支配下に置いたあとの世界を、思い描いていた。

 生き残った種族は枯れ果てた大陸で飢えに苦しみ、いつ大地を跋扈する魔王軍に嫐られるかわからない生活に絶望する。

 最終的に、恐怖や絶望と言った感情、更には色欲を捕食する魔族が頂点に君臨し、その他の種族はそれの奴隷となる。

 拷問され媚薬を盛られ使い捨てられる。地獄と形容するには生温い、そんな世界が訪れる。

 リィナはただの協力者であって魔族ではない。

 人間を滅ぼす手伝いをしたならば、もう用済みだ。

 きっと彼女も、他種族と同じ運命を味わう。

 そんな辱めを受けるために、自分は生きるのか。


『ごめん、なんでもない』

『そう? ならいいけど』

『……明日も早いし、あたしたちも寝ようか』

『そうだね。おやすみ、リィナ』


 眠りに落ちるろんろんの姿を見下ろすリィナは、虚ろな目をしていた。

 きっとろんろんとも、ミミリーとも永遠に会えなくなってしまう。

 スカートの裾をガッチリと掴んだリィナは、ある一つの信念を胸にしまい込んだ。

 今はまだ、誰にも知られない秘密の扉に。

 太ももの入れ墨はやがて光を失い、白い肌に戻っていく。

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