1-1 外套の少女
石レンガでできた街道を、鉄靴の重い音を立てながら軽快に歩くリィナ・ロンシャンは、田舎の村から街に出てきた少女のように、傍から見ると印象付けられた。
その想像は的確であり、リィナにとってたくさんの人が行きかうその光景は、新鮮かつ未熟なその心を高揚させるものであった。
だがそんな高ぶった感情と対照に、彼女は鎖骨上に巻き付けられたフードを深く被り、自らの容貌をひた隠しにしている。
外套は黒く特徴の一つこそないが、背中には大きな盛り上がりを見せている。彼女のスキップで揺れると、隠されたその内部が顔を見せる。巨大な造形をする何かの機械のようなものは、恐らく武器だろう。そしてその武器は十中八九弓だ。くびれのやや下に位置する矢筒が外套の左右から少しはみ出している。
そしてその矢筒の上部あたりから、小さな翼を持つ存在が、リィナに語り掛ける。
『リィナ、そんなにはしゃいだらフードの中見えちゃうよ』
それは彼女にしか聞こえない、特殊な言語で。その言語を、彼女も巧みに操る。
小さな存在が言った「フードの中」には、青紫色の鮮やかなグラデーションヘアだけでなく、側頭部にあしらわれた黒い龍角と、瑞々しく煌めく灼眼があった。
『大丈夫だよ~。別に』
リィナは背中に佇む小さな存在に腕を回し、撫でてそう言うものの、懸念はあるのか、細く小さな指先でフードの先端部を握り、少し深く被ってみる。
『ろんろんこそ、あたしの背中から飛び出していかないでね。あんた、人見つけたらすぐ火吹いちゃうんだから』
『はいはい。わかったよぉー』
二人は。いや、一人と一匹は、目を合わせることなく、そして口から音を発することなく話していた。だからこそすれ違う他人に会話の内容が露呈することなく、存分に楽しむことができた。
顔の見えない少女は、引き続き街を貫く広い道を歩き続ける。その容姿はまるで夜の帳を身にまとうよう。
揺れるマントの中には、金属音を立てる様々な装備がある。肩当はマントを盛り上げるほどに大きく、また胸の装甲は少女らしからぬ膨らむそれの影響で、かなり薄そうな素材でできている。
腹に装甲はなく、足先から首まで伸びるタイツの途上があった。漆黒の布の奥には真っ白な肌色が透け、へそ部分は食い込んで縦長の、どこか妖艶なそれが浮かび上がっていた。
腰には茶色のミニスカートが風に靡き、それを覆うようにして装甲が下がっていた。
足元には硬質の立派なブーツがあり、膝上まで伸びている。太ももにはレッグリングとそれに取り付けられた強壮ポーションが目立つ。レッグリングによって腿には黒と肌色の混じった山が二つ形成され、十五の少女にしては妙な艶かしさを仄かに匂わせていた。
すべての装甲は黒と銀を基調にした無難なもので、過剰でないどころか些か頼りない。巨大な弓を背中に眠らせながら駆けるため、装甲の削ぎ落しは必然的なのだ。
防御力を犠牲に機動力を取るという少女の思想をその装甲に込めているようで、小柄な体躯の未完成さを表象させるものではない。
それが彼女なりの最適解であり、同時に嗜好でもあるかもしれない。
街を歩くと、なにやら劇の公演があった。リィナは足を止める。荘厳な噴水の前に設けられた即席の小劇場で、それは進行していた。
白髭をふんだんに生やし、豪奢な王冠を載せる老人は剣を掲げ、冗談みたいに小さな龍の着ぐるみを着た人物を迫真の面持ちで突き刺していた。龍殺しの物語だ。
リィナは遠目から観察するようにする。それ以上は近づこうとせず、ただスカートの裾を強く握るのみだった。
『あの龍はミラージュだねぇ、リィナ。それで、あの王様みたいなのは……』
『初代アスラン王』
『ひどいもんだ』
『ほんとに』
フードの影から覗く両の灼眼は讃美をあげる観客の背中を見やる。
彼らの信ずる神が殺された場面を美化され、誉れ高き偉業と謳われていたらどんな反応を示すだろうか。
こんな狂信が、龍殺しという名の虐殺が、許されるどころか称えられているなんて吐き気がする。
リィナは無反応で、またコツコツと靴を鳴らしながら立ち去る。
少し進むと、次は市場の入り口で吟遊詩人が物語を詩歌とともに届けていた。数人の観客に紛れ、リィナもそれを聞く。吟遊詩人を観るのはこれが初めてだった。
『リィナは吟遊詩人を見たことがあるの?』
『ううん。龍谷には来なかったから』
『まぁ、普通の人ならそんな険しいところ近づこうともしないよね』
ろんろんが気に障ることを言ったが、別に反論もできないので無視した。
『これ歌なの?』
吟遊詩人は手持ちのライアーを弾きながら語り続けているが、その詞はリズムに乗っていると思えない。それまでの価値観に照らしているから、これが異質なものに見えるのだろうか。
内容はよくある恋愛歌で、田舎者の戦士と貴族の娘が禁断の恋に落ちるというもの。
『その人が歌と言えば歌なんだよ、多分』
『ふーん』
詞によく耳を傾けてみると、その内容は彼女にとって不快なものでしかなかった。
また、龍殺しの内容だった。
登場する龍は、古龍であるミラージュとは無関係のものだが、とある水龍が戦士に倒され、悪役として描かれる水龍の信奉者は戦士に屈服した。
最も気に障ったのは、戦士が貴族の女を捨て王女と結婚するというものだった。
実話ではないものの、人の醜悪さが如実に表される、失恋歌だった。
だからリィナは、人間が嫌いだ。いや、さらに嫌いになった。
彼女は龍族であり、サナトスである。
龍族や竜族の多くは、頭に角を持っていることが多い。そのなかでもサナトスの角は特徴的であり、鹿のように枝分かれしている。
この世の龍の始祖たる古龍ミラージュの末裔がサナトスであるが、かの龍は邪龍として人口に膾炙している。その為に、古来からサナトスは人間やその他の種族から迫害、排斥されてきた。
そして、サナトスは五年前に絶滅した。文字通り、姿を消した。
リィナはその生き残りであり、現在唯一生きるサナトスである。
『ボクたちの仲間を殺したのが偉業なんだね』
ろんろんはサナトスの里───龍谷に住む子龍だ。通常は攻撃的な彼らだが、サナトスたちとは友好的だった。
サナトスの全てと、彼らの大半が人間によって殺された。侵略行為というより、当時のアスラン王たった一人の名声の獲得ただそれだけの為に、彼らは未来を奪われたのだ。
『……それで、ギルドには行かないの? リィナ』
『そうだった。ごめん、ろんろん』
涙を流す観客たちを後に、リィナは再び歩き出す。
あんな物語を思いつく人間は、きっとあたしたちとは相容れないんだろうな。と、リィナは思った。
だからこそ、何故人間社会はここまで広がったのだろうかと、疑問に思った。
『本当にそれでいいの? 人間は嫌いだって、あんなに言ってたじゃん。別に冒険者にならなくったって、方法はいくらでもある』
ギルドの立派な建物を前に、ろんろんはリィナを一度引き留める。
『あたしには、大事な責務がある。この大陸で歴史が始まって以来、一番大事な。その為なら、あたしは自分の人生だって賭けてみせる』
『でも、リィナが危険にさらされるところなんて、見たくないよ』
『大丈夫だよ。あたしを誰だと思ってるの? 人間や他の種族とは、根本的に違うんだから』
龍人は他種族より圧倒的に強いうえ、サナトスは龍人のなかでも飛びぬけて強い。魔力に関しては世界最弱と言っても過言ではないが、それを除いた身体能力は、負けることがない。
だからこそ人間に迫害され、だからこそサナトスの高潔さは、類を見ないほどである。
人にとってサナトスは邪龍の末裔で、化け物のような身体能力を持ち、古サルゴン王国のように人を力で支配しようとする、悪魔のような民族だったというわけだ。
対してサナトスにとっての人は、その逆である。いや、悪魔のような民族であるという捉え方は同一か。
『じゃあ、ろんろんは隠れててね』
『うん、わかった』
背中から白龍の姿が消え、跡形もなくなった。だがその重さはある。擬態化の戦技だ。
リィナはそれを確認して、ギルドの入り口をくぐった。
高鳴る拍動は、新たな生活への期待か、人見知りゆえの緊張か、それとも別な感情か。




