110.難解ばけがく
ミーヤは子供の頃のある出来事を思い出していた。確かあの時は最初苦しかったけど段々眠くなり気持ちよくなった記憶がある。気を失う寸前で父親にプールから救い出されたのだが、さっきの出来事と少し似ているところがある。
「ねえ、もしかしたらだけど私わかっちゃったかも。
あの洞窟の秘密に!」
「え! それ本当!? それなら明日はナウィンも連れて行けるってこと?」
「それは多分無理だけど……
でも自分たちが注意すべきこともはっきりするかもしれないわ」
一瞬明るくなったナウィンとレナージュの顔が再び曇ったのを見て、ミーヤはもう少し言い方を変えれば良かったと反省していた。しかし仮説が正しいか否かに関わらずナウィンを連れていくことはできないだろう。
「あのね、チカマの言っていたことがヒントになったのよね。
チカマったら偉いわね、さすがよ」
「えへん、ミーヤさまもっと褒めていいよ。
ボク褒められるの大好きだもの」
「いやいや、今はそんなこと良いから本題に入ってよ。
私たちにも関係はあるのでしょ?」
「ええ、これはあくまで仮説だけど、あの洞窟の地表近くには酸素がないんだと思うの。
二酸化炭素のほうが空気より重いから下に貯まっているのよ
だから背の低いナウィンだけが被害を受けたんじゃないかしら」
ミーヤは自分がおぼれた時のことを思い出して、今回ナウィンを襲った出来事を推察してみたのだった。これは勉強が苦手だったミーヤにしてみたらすごいひらめきだったのでかなり誇らしげに披露した。しかし――。
目が点というのはこう言うことなのかという見本のように、全員が何言ってるのと言いたげにミーヤを見つめている。もしかして的外れだったのか……
「ねえミーヤ? あなたが時々よくわからないことを言うのにも大分慣れたんだけどさ。
知らない言葉を使う時にはもう少し説明してくれるかしら?」
「知らないって何が?
今の説明でおかしなところあったのかしら」
「さんそ? なにたんそ? それはどういう意味なの?
別に地面に何かあった様子はなかったわよね」
レナージュの言うことももっともだ。この世界には科学と言う概念がほぼ存在しない。つまり酸素なんて言葉自体が聞きなれないものなのだろう。かといって、その概念を説明するほどミーヤは賢くない。
「えっとね…… 私達って呼吸をしているでしょ?
吸って吐いてってやつね。
でも水にもぐったり口を押えたりしたら苦しいじゃない」
「そんなの当たり前だわ。
息が出来なかったら死んでしまうもの」
「その時に吸っているのは酸素ってもので目には見えないのね。
逆に吐き出しているのが二酸化炭素ってものでこっちも目には見えないの。
この二酸化炭素を吸い続けると、おぼれたように気を失ってしまうのよ」
「つまりどういうこと?
誰かが息を吐いていたってこと?」
うーん、ミーヤのへたくそな説明では理解してもらえないようだ。がっくりとうなだれるミーヤへヴィッキーが声をかけてきた。
「つまりはあれでしょ?
狭い部屋で暖炉を使い続けると、眠るように気を失うってのと同じじゃないの?」
「それよ! ヴィッキーさすがね。
物を燃やすのにも酸素が必要で、燃やすと二酸化炭素が発生するのよ。
だから薪をくべているときは窓を開けるでしょ?」
「全然わからないわ。
誰も薪なんてくべてなかったじゃないの。
それがどうして息ができないこととつながるわけ?」
「もういいわ、レナージュは黙ってなさい。
私は理解できたわ。
初めて王宮でやらされてた勉強が役に立った気分よ」
「王宮でこういうこと勉強するの?
ちょっと意外だったわ」
「魔法について習ったときにちょっとね。
火弾のような燃やす魔法は周囲の環境によって強弱が出るんですって。
それは空気中の見えない成分によって差があるらしいけど未解明だって教わったわ」
ああ、誰か知らないけど科学的な勉強をさせておいてくれて助かった。一人でも理解者がいると思うと少しだけ安心できた。こんな事ならもっとちゃんと勉強しておけばよかったと、もう何度目になるかわからない後悔をするのだった。
「じゃあさ、実際にどうしたらいいわけ?
ナウィンが背を伸ばせないなら連れて行かれないのはわかったわ。
でも私たちが注意することなんて別に無さそうでしょ?」
「まあ屈みこまないとか息が少しでも苦しかったら誰かに伝えるくらい?
あとは転んだらすぐに起き上がるとかかしら」
「オッケー、なんだか頭を使いすぎて痛くなってきたわ。
少し横になりたい気分ね。
チカマ、私にもあれちょうだいよ、水飴」
今まで賢くて経験豊富だと思い込んでいたレナージュが始めて見せた苦手分野への弱気に、ミーヤは申し訳なさと安心感の入り混じった複雑な気分だった。同時に、これからはもっと探りながら話をすることにしようと思った。
それでも後に引きずらないのがレナージュのいいところだ。チカマと二人で水飴をこねながらすでに笑顔を見せている。そして大分白くなった水飴をナウィンへ手渡した。それを見ながら物欲しそうにしているヴィッキーへミーヤが木の棒を渡すと、喜んでチカマへ水飴をせがんだ。
なんだかいい雰囲気で心が安らぐ。ヴィッキーは王族なのに気どることはないのですっかりなじんでいるし、ナウィンだっていつまでも落ち込んでいないのは助かる。
こんな風にのんびりとカナイ村で過ごしていきたいと思うと、またマールが思い出されて寂しい気持ちにもなってしまうのだった。
しかしそんな憂鬱めいて悲しげなままではいさせてくれない。全員がミーヤをじっと見つめて言うのだ。
「「夕飯の支度はまだ始めないの?」」
一瞬で現実に引き戻されたミーヤは精いっぱいの笑顔で応える。だって今の仲間だって最高なんだし、あれもこれもと欲張り過ぎなのは反省しなければならない。カナイ村へ戻ってからならずっとマールと一緒に居られるのだから。
「そうね、今日は何にしようかしら。
ヴィッキーはクリームシチューが気に入ったみたいだから似た物にしようかしら。
久し振りにパスタにしようかな。
うん、ホワイトソースのラザニアにするわね」
「ミーヤさまお肉入れる?
ボク取ってこようか?」
「そうね、鶏肉があると嬉しいかな。
手持ちにはベーコンと干し肉くらいしかないのよね」
「わかった! ちょっと行ってくる。
すぐ戻ってくるからね」
チカマにとっては見知らぬ場所ではないと言うこともあってかいつもより積極的だ。 チカマを見送ってから調理道具を出して準備を始めるミーヤは、なんだか食べ盛りの子供たちを切り盛りする母親みたいだな、なんて考えて一人笑うのだった。
科学:この異世界ではスキルや神の力等不思議な力が多々あるため科学が発展していない
ラザニア:伸ばしたパスタ生地でチーズや具材を挟み重ねてソースと共に焼いた料理




