77 帰り道
カールが溜息をついた。
「みなさんそれぞれ大変なんですね…」
「そう言うカール、お前は彼女とか居ないのか?」
「……居たら苦労してません」
遠い目をして呟く。
「声を掛けてくれる人は居るんですよ? でも、何回か食事に行ったりして、良い雰囲気だなって思っても、『お友達』以上にはなれないって言うか…」
「おう…」
「それは踏み込みが足りないんじゃないの?」
「でも踏み込んだら、振られた時に『お友達』でも居られなくなるじゃないですか」
「そ、そうね…」
ヴィクトリアがちょっと視線を逸らす。
何か心当たりでもあるんだろうか。
「そこを行けるかどうかだなぁ」
トラヴィスがカールの肩を叩く。
「一応アドバイスしとくとだな、一緒に食事に行けるって事は、多少なりとも脈はあると思うぜ」
「そうでしょうか…」
「ま、悩め悩め! 若者の特権だからな!」
とても楽しそうだ。
ヴィクトリアが顎に手を当てる。
「そういえば、トラヴィスは奥さん居るんだったわね」
「おう! 妻と娘と息子な!」
ニカッと笑い、トラヴィスは頷いた。
「命の危険は無いからっつって冒険者辞めてギルドに就職したけどよ、正直冒険者やってた時の方が時間は自由に使えたな。今は休みも少ねぇし、残業夜勤当たり前だしよ」
「会計部門なのに夜勤があるのですか?」
意外過ぎて訊くと、
「夜勤は基本、受付担当と、ギルドの中でも腕に覚えのある奴が複数人チームを組んで回すんだよ。夜中にギルドに来る冒険者は、大抵トラブルを抱えてるからな」
「ああ…なるほど」
普通、冒険者は日中しか活動しない。
夜中にギルドにやって来るのは、酔っ払いか相当向こう見ずな冒険者、あるいは緊急のトラブルに見舞われた者くらいだ。
相手が興奮していたりして話が通じない事もあるので、冒険者を取り押さえられる者の同席が必須なのだそうだ。
「…その理屈だと、私も夜勤に組み込まれてもおかしくないと思うのですが…ヴィクトリア、ギルド長に教えていませんね?」
「う」
私がじろりと見遣ると、ヴィクトリアがあからさまに視線を逸らした。
ジュリアが首を傾げる。
「貴女も夜勤にって…」
「格闘術の心得があるので、一応、『腕に覚えのある』方に分類されると思うのですよ」
「…そういや、ちょっと前の誘拐事件を解決したのもお前さんとヴィクトリアだったか」
トラヴィスが納得の表情で頷いている。
「え、でも、夜中に来る冒険者って、結構遠慮無く暴れたりするから危ないですよ?」
「その辺の冒険者にだったら負けない自信はありますよ。武器を持っていないので、相手が勝手に油断してくれますし」
「そうは言っても…」
カールが懐疑的な目を向けて来る。
…まあ女性だし、筋骨隆々としているわけでもないので、ちょっと想像しにくいのかも知れないが。
ヴィクトリアが苦悩するように呻いた。
「…あのね、この子、アタシに格闘術を教えてくれた師匠の娘なの。って言うか姉弟子なの。そこら辺の冒険者だったら本当に片手で伸せるし、何だったら私より断然強いわよ、冗談抜きで…」
『え?』
ジュリアたちが一斉に私を見た。
「…全然そうは見えないんだけど…?」
「私が学んだ格闘術は、自身の筋力より相手の力や勢いを利用するのですよ。だから見た目、それほど筋肉質にはならないんです。──ヴィクトリアの方が例外ですね」
厳密には格闘術ではなく古武術だが、今の話題にはあまり関係無いので割愛する。
ヴィクトリアは明らかに何らかの武術の心得がありそうな体つきだが、父も私も、弟のマーカスもパッと見には一般人だ。
よく見ると姿勢や足さばきに違いがあるのだが、そうと知っていないと分からない。
「アタシの場合はほら、治癒室勤務でしょ? 見た目で舐められると困るから筋肉つけたのよ」
「…それで筋肉つけられるのもすごいと思います」
「あら、そーお?」
ヴィクトリアはちょっと嬉しそうに笑った。
──結局私の夜勤参加は、『見た目強そうじゃないから余計トラブルを呼びそう』との事で、全員一致で却下された。
その後。
「ほらヴィクトリア、しっかり歩いてください」
「んー……」
案の定飲み過ぎてへべれけになったヴィクトリアに肩を貸し、私は帰路についた。
ジュリアとカールとトラヴィスとは、帰る方向が違うからと店の前で別れた。
魔法道具の街灯が照らしてくれているので、夜道もそれほど暗くない。
昼間よりずいぶん涼しい夜風が頬を撫でて行く。
(久しぶりに職場の人と飲んだな…)
気の置けない同僚と楽しく飲んで語らうのは、王宮文官時代、それもアードルフが室長になる前には何度かあったが、それ以降縁が無かった。
アンガーミュラー領での『祓いの儀』の後の冒険者たち向けの慰労会は、客ではなく主催者側の立ち位置なのでそれなりに気を遣う。
純粋に酒と食事と会話を楽しむ場は、とても久しぶりだった。
…なお先日ギルドでの宴会で複数人を片っ端から酔い潰したのは、『楽しく語らっていた』訳では無いので除外する。
(こういうのは楽しいんだよね)
酒を強要するでもなく、上下の立場に気を遣うでもなく。
食事に舌鼓を打ち、酒を楽しみ、どうという事も無い話をする。
こういうのも、たまには良い。
「…ねえ、クリスー」
ヴィクトリアが千鳥足なので、歩みは遅い。
それを存外心地良く思っていると、若干呂律が怪しい口調でヴィクトリアが呟いた。
「今日は楽しかったー?」
「ええ、楽しかったですよ」
「それは良かったー…」
ふにゃ、と笑う。
街灯の明かりに紫色の髪が艶めき、とても綺麗だ。
今日は打ち上げがあるからと、シルクには先に帰ってもらっている。
この場には私とヴィクトリアしか居ない。
(…好きだなあ…)
普段は意識的に目を逸らし、見なかった事にしている思い。
こうして2人きりで歩いていると、泡沫のように胸中に浮かんで来る。
(…私も酔ってるな)
内心で苦笑しながらゆっくり歩いていると、またヴィクトリアが口を開いた。
「あのねー、クリス」
「はい」
「…書類仕事に慣れててー、度胸があってー、荒事に対応できてー、当主のパートナーになれる人が、クリスの理想のお相手なのよねー…?」
「ええ、そうですね」
酔っていてもきちんと憶えているらしい。
私が頷くと、ヴィクトリアはこてんと首を傾げた。
「お見合いの話とかー、来てるのよねぇ?」
「それなりには来てますけど、全部断ってますよ」
「どうしてー…?」
「純粋な文官だったり、例の大規模汚職事件で検挙された人間だったりで、条件に合わないからですね」
──厳密には『条件に合わない』のではなく、『断るための理屈を並べ立てている』だけなのだが。
(…ヴィクトリアが『ヴィクトリア』として生きていくと決めた時点で、私も決めたから…)
叶う事の無い恋心。
もしかしたら将来『ヴィクトル』よりも好きになれる人が現れるかも知れないと思っていたが、残念ながら今のところ出会えていない。
それでも、ヴィクトリアがヴィクトリアらしく生きて行けるように、全力で支えて行こうと決めたから。
「……ねえ、クリス」
不意にヴィクトリアが真面目な表情になった。
深い青の瞳が、じっと私を見詰める。
「──貴女のお相手、アタシじゃダメ?」
「…………え?」
思わぬ発言に、時が止まった。