76 雑談
「もう、固いわね~」
グラスの中身を飲み干したヴィクトリアがまた私の頬をつついた。
「折角一緒にご飯食べてるんだもの、もうちょっと砕けても良いと思わなーい?」
例えばその敬語とか。
言われて、私は若干渋面になる。
「ヴィクトリア、私が敬語を使う理由、知っているでしょう?」
「知ってるけどぉ」
今日は絡み酒らしい。とても粘着質だ。
ジュリアが首を傾げた。
「敬語を使う理由?」
「別にみんなに遠慮してるとか、距離を置きたいとか、そういう訳じゃないのよ~」
ヴィクトリアがへらへらと笑う。
…まあ、秘密にしておくような事でも無いか。
私は頷いて種明かしした。
「私が敬語を使うのは、相手の立場によって口調を変えるのが面倒だからです」
「ゴフッ!」
トラヴィスが酒を吹いた。
カールとジュリアがぽかんと口を開けている。
予想通りの反応に、私は敢えて笑みを浮かべた。
「ですので、敬語だからと距離感を気にしなくても大丈夫です。本当に嫌だったら物理で距離を取るので」
「この子こんな見た目だけど、中身は結構アレなのよ」
むに、とまた頬をつつかれたので、その指を掴み、ちょっと曲がらない方向へ力を籠める。
「あだだだだだっ!?」
「まあこのように。──しつこいですよ、ヴィクトリア」
「ごめんなさい!」
「わあ…」
謝罪を叫ぶヴィクトリアに、カールが若干引いている。
トラヴィスがぼそりと呟いた。
「…お前ら、本当に仲良いんだな…」
「ええそうよ! クリスはアタシの幼馴染で親友だもの!」
すかさずヴィクトリアが胸を張った。先程悲鳴を上げていたのが嘘のようだ。
私も頷く。
「ここに来たのも、ヴィクトリアの紹介ですから。──まあ仕事の関係上、期間限定なのですが」
「仕事? クリス、他に仕事があるの?」
「仕事と言うか、うちの家業ですね。私は一応跡を継ぐ事になっているので、やる事が色々ありまして」
アンガーミュラー家の役割を『家業』と呼んで良いのかどうかは微妙な線だが、それ以外に表現のしようが無い。
トラヴィスが感心したような声を出した。
「跡継ぎか。女が跡継ぎってのは珍しいな」
「ええ。大抵は長男が継ぐものですからね」
その辺りは貴族も平民も変わらない。『家』の『顔』になるのは基本的に男性だ。
私が頷くと、あれ、じゃあ、とカールが首を傾げた。
「クリスさん、結婚してるの? それか、婚約者が居るとか?」
「こら、カール!」
失礼だぞ!とトラヴィスが慌てて止めに入るが、今更発言は取り消せない。
私は苦笑した。
「いいえ、結婚はしていませんよ。──正確には、相手が居ない、と言いますか…」
「え?」
ちょっと遠い目になると、ジュリアが意外そうな声を上げた。
どうして、と顔に書いてあるので、肩を竦めて応じる。
「家業の性質上、書類仕事に慣れていて、かつ度胸があって、冒険者のように荒事に対応できて、当主ではなくその配偶者として振る舞える人でないと困るんですよ。…居ると思います?」
「…あー……思い当たらねぇな」
「…ですね」
トラヴィスとカールが疲労感のようなものが漂う表情で呻いた。
納得いただけたようで何よりである。
そんなこんなで、雑談は進む。
「最近アランが配属されたでしょ? そしたら、ホントに楽になって…あの子書類の書き方覚えるのも早いのよ。これなら早いうちに5勤1休になれそう」
「ヴィクトリア、今はどんな勤務形態でしたっけ? 7勤1休?」
「10勤1休から15勤1休」
「…それ体力持つのか?」
「正直気力で持ってるトコはあるわね」
「休みましょうよ…」
カールに突っ込まれ、ヴィクトリアが酒をあおる。
「アタシだって出来る事なら休みたいわ。けど、怪我人っていつ来るか分からないじゃない? 休むと妙な後ろめたさがあるのよ」
「ああ…ちょっと分かります。休んでると、トラブルが起きてないか心配になるんですよね」
「そうそう!」
ジュリアとヴィクトリアが頷き合う。
(…よく訓練されたナチュラルブラック…)
蒸留酒を手に、私は内心で呻く。
「出来ればもう一人くらい欲しいけど…」
「あ、けど、今年の冬には入院施設がオープンするんじゃないですか? そしたら、そっちにも回復術師が入るんですよね?」
カールの指摘にヴィクトリアは大きく頷いた。
「それよ。そっちが軌道に乗ったらだいぶ楽になるでしょうけど、その前に教育しなきゃならないでしょ? 書類の書き方とか、備品の配置とか」
「ああ…」
「今クリスにも手伝ってもらって案をまとめてるんだけど、『誰にでも分かりやすく』ってのが難しくてねぇ…」
その言葉を聞いてふと思い付いた。
「ヴィクトリア、いっそジュリアさんたちに案を見ていただいたら良いのでは? 誰にでも分かるようにするなら、何も知らない状態の人に見ていただいた方が色々な意見が出ると思いますよ」
ヴィクトリアがぱあっと顔を輝かせる。
「それだわ! ──ジュリア、カール、トラヴィス、今度頼んでも良いかしら?」
「良いですよ」
「お役に立てるか分かりませんが…」
「ま、素人目線で良いなら任せとけ」
「ありがと!」
かなり酔っ払っているのでこのやり取りがヴィクトリアの記憶に残るか若干不安だが…今まで記憶を飛ばした事は無いようだし、大丈夫だろう。多分。
「…でも、ヴィクトリアは良いですよね。クリスが手伝ってくれて」
突然ジュリアが愚痴り始めた。
何杯目か分からない果実酒のロックを片手に、テーブルに突っ伏すような体勢で呻く。
「私なんか受付担当のはずなのに、実質半分以上ギルド長の手伝いですよ…手伝いが欲しいのはこっちだって言うのに…」
「ジュリアさん、よくギルド長に呼ばれてますもんね…」
「書類はどこだ、で呼びつけるのはやめて欲しいよな…」
カールとトラヴィスが同情の視線を注ぐ。
「お陰で残業が増えて、休みが減って、デートもままならないのよ…」
「え、ジュリアさん彼氏居たんですか!?」
「………振られたわ。『家庭に入る気の無い女性はちょっと』って……」
「うわ」
「え、バカなの?」
「私だって好きで仕事に時間取られてる訳じゃないのに……!!」
とうとうジュリアが突っ伏して叫んだ。
受付業務をしている時のスマートな印象とはかけ離れた嘆きに、カールとトラヴィスが何とも言えない表情になる。
私はそっとジュリアのグラスに酒を注いだ。
「ジュリアさん、考え方を変えましょう」
「え?」
「平気でそんなことを言う男性です。結婚したらしたで、『家事は女がやるもの』『俺は外で稼いでる』『お前を養ってやってる』とか言って、好き勝手に振る舞うでしょう。そんな相手、こちらから願い下げだと思いませんか?」
「そうよ!」
ヴィクトリアがジュリアのグラスに氷を入れる。
ちょっと零れたが、ヴィクトリアは気にせず拳を握った。
「貴女だったらそんな奴より、もっと良い人が見付かるわ!」
「…ありがとうございます」
ジュリアが上体を起こし、少しだけ笑った。




