73 酒盛りする時間は無い。
「お前ら、よくやったな!」
誘拐犯捕縛の翌日。
出勤したらギルド長室に呼び出され、出向いたらロベルトの第一声がそれだった。
机に身を乗り出し気味の、満面の笑み。
(あー、この流れは…)
「今夜は宴会だ! お前ら主賓だから、当然参加だぞ!」
「イヤよ」
「お断りします」
ヴィクトリアと私、2人で即答したら、ロベルトは目を剥いた。
「何でだ!? ギルド挙げての祝賀会だぞ!? 飲み放題の食べ放題だぞ!?」
断る人間が居ること自体、理解できないらしい。
…前回の惨劇を忘れたのだろうか。
「──もう一度酔い潰されたいですか? ギルド長」
「あ」
にっこりと威圧混じりに問い掛けると、ロベルトの表情が固まる。
ロベルトは毎回勝手に酔い潰れているらしいが、他人、それも女性と飲み比べて負けるという醜態は二度も三度も晒したくは無いだろう。
ヴィクトリアが溜息をついた。
「あのね、ロベルト。私たちを労いたいなら、もっと他にやりようがあるでしょ」
「え? …例えば?」
「治癒室の予算、増やして頂戴」
その要求に、ロベルトがぽかんと口を開ける。
「は? 予算? 十分あるだろ?」
「………それ、本気で言ってます?」
「…!」
「クリス、殺気が漏れてるわ」
ヴィクトリアに肩を叩かれ、私は我に返った。
(…いかん、ちょっとアレな上司を前にすると自制が)
1回深呼吸して、改めてロベルトに向き直る。
…あまりビクつかないでいただきたい。
「…ギルド長。この支部の収支については、毎年報告が上がって来るはずですが」
「あ、ああ。だから、治癒室の収支は毎年黒字だろ? 予算は十分じゃないのか?」
その言葉に天を仰いだのはヴィクトリアだった。
「…盲点だったわ」
「ヴィクトリア?」
盲点だったとはどういう事か。
「──この支部の年度末の収支報告って、各部署の『合計収入』と『合計支出』が羅列されてる紙が一番最初に来るの。一応その後にそれぞれの明細が入ってるんだけど…ギルド長のサイン欄、1枚目の紙にしか無いのよね…」
「…つまり、1枚目にサインしてあれば、2枚目以降は見ていなくても書類の処理自体は進められると?」
「そういう事」
「……なるほど?」
薄らと笑顔を浮かべながら見遣ると、ロベルトはあからさまに動揺した。
「し、仕方ないだろ! 年度末は多忙なんだ! だから集計した結果が1枚にまとめられてるんだよ!」
「忙しいから何だと言うのです? 各部署の現状を把握しなくて良い理由にはならないでしょう」
「うぐ」
気持ちは分からないでもないが、合計金額だけで黒字か赤字かを判断するのはあまりにもお粗末過ぎる。
私は溜息をついた。
「──仕方ありませんね。では、今から把握しましょうか」
「え」
「ヴィクトリア、昨年度の収支決算書の場所は分かりますか?」
「ええ。こっちの棚に──あったあった。これよ」
ヴィクトリアが迷う事無く書棚を開き、分厚い書類の束を出して来る。
流石、仕事が早くて助かる。
…治癒室所属のヴィクトリアが何故ギルド長室の書類の配置を知っているのかについては、突っ込まない事にする。
「──なるほど。確かにこの表紙だけ見たら、全ての部署が黒字ですね…」
ロベルトの机に書類を置き、私はページを繰り始めた。
「お、おい、俺には今日の仕事がだな」
「大丈夫です、全部終わるまで30分も掛かりません」
「は!? その量で!?」
「書類に関しては見るだけなので」
収支決算書の見方は、昨年アンガーミュラー領に移住して来た会計士、ヒューゴ・ブライトナー男爵に教えてもらった。
どこに何が書いてあるのか、不正があるとしたらどういう風に書かれている事が多いのか──王都で商会や工房の相談に乗っていた実績と、元王宮文官の経験から提供される情報は、大変に貴重なものだった。
「…よし」
程無く全てのページを見終わり、私は顔を上げる。
目の前のロベルトは呆然としていて、隣のヴィクトリアは苦笑している。
…何故だろう。
深く考えない事にして、私は書類をロベルトに示す。
「とりあえず、先に治癒室の件についてご説明します。──昨年度、治癒室の予算はおよそ半年で尽きています」
「は!?」
ロベルトが目を見開いた。
本当に知らなかったらしい。
(…仕事しろよ上司…)
内心で悪態を吐く。
…いや、話を聞く気はあるようだから、『過去』のクソ上司よりはマシか。
気を取り直して、説明を続ける。
「主な支出は薬や包帯などの消耗品費、それから人件費ですね。特に錬金術師が作成する薬の購入費用が高額になっています」
「錬金術師の薬は高価だもの。値引きもしてくれないし…」
「ええ。それについては、何らかの対策が必要かと思います。…そして予算が足りない中、どうやって治癒室を回しているかですが──」
私はページをめくり、一番分かりやすい書類を見せた。
「こちら、『収入』欄に『薬の売却』と書かれているのが分かりますか?」
「あ、ああ。…これは、余った薬を売り払っているんじゃないのか?」
「そんな余裕ある訳無いでしょ。南の半島から材料を採って来て、自分で薬を作って他の支部に買い取ってもらってるのよ」
ヴィクトリアが溜息をつき、ロベルトが目を見開いた。
「買い取り!? んな事、お前今まで一度も」
「前ギルド長の時代からずっと、治癒室はそうやってお金を確保してたの。てっきり貴方も知ってるもんだと思ってたんだけど…」
まさかの伝統だった。
…これはアレだ。前ギルド長が、ロベルトに都合の良い事だけ教えて適当に引継ぎした結果だ。
(そりゃあ、自分にとって都合の悪い事は言いたくないもんね。自分はもう無関係になるんだし…)
引継ぎあるあるだが、残される方にとっては大変迷惑な話である。
「ちなみに、他の部署も似たようなもんよ。まあそっちは積極的にお金を稼ぐ手段が無いから、部署で使う紙を粗悪品に変えたり、壊れた機材を使い続けたり、そういう涙ぐましい努力をしてる感じだけど」
「げっ」
「……本当に知らなかったんですね、ギルド長」
思わず呟いたら、ロベルトはがっくりと項垂れた。
ちょっと可哀想だが、ここらでトドメを刺しておこう。
「ちなみにそんな中、この支部が何に盛大に予算を使っているかと申しますと、貴方が毎回毎回バカ騒ぎして真面目なギルド職員たちが大変な迷惑を被っている、例の宴会ですね。これがあるせいで、レンタル品の圧縮バッグや携帯コンロの新規購入がなかなか出来ないという事態に陥っています」
「んなバカな!?」
「その馬鹿馬鹿しい事態が現在進行形で起きているのですよ。実際昨年度、レンタル用物品の新規購入実績はありません。恐らく今年も、買えたとして1つか2つでしょうね」
「……」
とうとう絶句したロベルトに、私はにっこりと笑い掛ける。
「…丁度良い機会ですし、折角ですから見直された方が良いのではありませんか? 色々と」




