66 宴の翌日
翌朝出勤すると、ヴィクトリアがさわやかな笑顔で迎えてくれた。
「おはよう、クリスティン。昨日はお疲れさま」
「おはようございます、ヴィクトリア」
宴会の片付けの後、私は借家に戻ったが、ヴィクトリアは治癒室に泊まった。アランが治癒室に居たからだ。
そのアランは朝イチで宿に帰ったらしく、治癒室のベッドは全て空いている。
…が。
「ヴィクトリアー……」
幽鬼のような顔色のギルド長が、身体を引きずるように治癒室へやって来た。
「ふ、二日酔いの…薬を…」
「無いわよ」
髪もぼさぼさ、昨日と同じ服装──恐らくホールの片隅に転がされてそのまま朝を迎えたのだろう。
げっそりとやつれた二日酔い患者に、ヴィクトリアはにべもない。
「明日二日酔いになってても薬は出さないって、昨日言ったでしょ?」
「そんなん…覚えて…ない…」
「酔ってた時に聞いた都合の悪い事は忘れる人って、多いですよねー」
「覚えてようが忘れてようが、こっちで決めた事は変わらないけどねぇ」
ヴィクトリアと2人、したり顔で頷き合う。
ロベルトがべしゃっと床に突っ伏した。
「な、なんで…」
もう酔いは抜けているはずなのに、とても酒臭い。
「なんでも何も、ご自分の自業自得では? 翌日仕事があるのに二日酔いになるほど飲んでいる時点で、自制が出来ていない証拠でしょう」
私が冷たい目で見詰めると、ロベルトはなおも食い下がった。
「…俺が、こんな状態だと、今日の業務に支障がだな」
「知らないわ。自分で何とかなさい」
ヴィクトリアが冷たく言い放ったところで、ロベルトの首根っこをほっそりした手が掴んだ。
「朝から申し訳ありません、ヴィクトリア、クリス」
「あら、おはよう、ジュリア」
「おはようございます、ジュリアさん」
おはようございます、と笑顔で応じるジュリア。
ロベルトの首根っこを掴むその白い右手には、青筋が浮いている。
「ギルド長はこちらで回収します。本日もよろしくお願いしますね」
「了解、よろしくね」
「よろしくお願いします」
「待っ…──」
ああああああ、と絶望感溢れる呻き声を上げながら、ロベルトがジュリアに引きずられて行く。
(…何か昨日から、大の男が誰かに引きずられてる絵面が多発してる気がする)
深く考えてはいけないのだろう、多分。
その後いつも通り業務を始め、昼過ぎ、私はおつかいのため街に出た。
ヴィクトリアには、帰りは夕方になっても良いと言われている。
休日も何だかんだとヴィクトリアの仕事の手伝いをしているので、息抜きをして来いという意味だろう。
《目的地は?》
ギルドを出ると、シルクが合流する。
彼女は私が業務をしている間、街を散策している。
昼休みには一旦ギルドに帰って来るので、午後街に出ると話をしたら、一緒に行ってくれる事になった。
私はまだこの街の地理には疎いので、正直かなり心強い。
「ええと…『タッカーの武具工房』ですね。この街唯一の、ドワーフが営んでいる武具工房だそうです」
《ああ、それなら街の北西ブロックね。こっちよ》
シルクは迷う事無く歩き出した。
ギルドが面している大通りを北に進み、北門の手前で左に折れる。
武具や魔法道具の工房、各種素材を取り扱う商店などが立ち並ぶ通りを抜け、程無くして小さな建物の前に着いた。
「ここが?」
《ええ、そのはずよ》
扉の上の看板には、大きなハンマーのシルエットに剣と槍の彫刻。
建物の上から突き出す煙突はとても立派で、煙こそ殆ど出ていないが、先端からゆらゆらと熱が立ち昇っているのが見えた。
「ごめんください」
扉を開け、少し大き目の声で呼びかけると、おう!という野太い声が応えた。
丁度休憩中だったのか、すぐにがっしりとした体格の男性が奥から出て来る。
思ったより背が低いのは、彼がドワーフだからだろう。
重厚感のある筋肉質な体つきに、鉄鈍色の髪と髭。
意外に柔和な瞳が印象的だ。
「お? お前さん、初めて見る顔だな。──俺はこの武具工房の主、タッカーだ」
ドワーフと会うのは初めてだ。
興味深く観察していたら、先に名乗られてしまった。
私は急いで背筋を伸ばし、丁寧に一礼する。
「冒険者ギルドのクリスティンと申します。こちらは、相棒のシルクです。整備をお願いしていたハサミを受け取りに参りました」
「ああ、あれか! ちょっと待っててくれ。──ロゼ!」
タッカーはすぐに理解したらしく、奥へ向かって声を掛ける。
《はーい!》
「そっちに置いてある5番の箱を持って来てくれ!」
《分かったわ!》
響いたのは念話だった。
程無く、小さな金属製の箱を持った少女が小走りにやって来る。
《これで良い?》
「ああ、大丈夫だ」
満足そうに頷いたタッカーが少女から箱を受け取り、蓋を開ける。
中に入っていたのは銀色のハサミ。
錆落としと噛み合わせの調整を頼んでいたらしいが、きらりと輝く色合いといい、新品にしか見えない。
「ヴィクトリアの依頼だったな。書類の控えは持ってるか?」
「はい」
ヴィクトリアから預かった書類をタッカーに渡し、タッカーが出して来た別の書類にサインする。
「代金は後で冒険者ギルドに請求するからよ、ヴィクトリアにもそう伝えといてくれや」
「分かりました」
ハサミを受け取り、顔を上げると、興味深そうな顔をしたタッカーと目が合った。
「あの…何か?」
「ん? ああ、スマン! クリスティンって事は、お前さん、ヴィクトリアの幼馴染のクリスティンか? アンガーミュラー領の」
「ご存知でしたか」
多分ヴィクトリアが話していたのだろうが、ちょっと驚く。
私が肯定すると、タッカーは納得したように頷いた。
「やっぱりな。聞いてた通りだぜ」
「…ヴィクトリアは、何と?」
彼女が私の事をどう話しているのか、正直とても興味がある。
「昔っから落ち着き払ってて、誰に対しても敬語を使ってて、書類仕事に関しては右に出る者が居ない切れ者。そのくせ、部屋は取っ散らかってるし魔法の制御は下手だしで、次に何をしでかすか分からない」
一体他人に何を吹き込んでいるのだ。
(…ちょっと頬をつねって問いただした方が良いかも…)
私が内心で呻いていると、タッカーは楽しそうに笑った。
「お前さんがこっちに来るってんで、随分楽しみにしてたんだぜ。何せ──」
《タッカー、喋り過ぎよ》
ロゼが突然タッカーの言葉を遮った。
タッカーはすぐにはっと表情を変え、ああいやスマン、と苦笑いする。
「年寄りは口が軽くなっていけねぇな。──ま、そんなわけだ。滞在中御贔屓に」
「はい、よろしくお願いします」
何だか思い切りはぐらかされた気がしたが、素直に頷いておいた。




