65.5 【ヴィクトリア視点】ザルと枠と虚無
手っ取り早く潰して来ます、と、とてもイイ笑顔でクリスティンが出て行った後。
一度大きな歓声が上がり、何回か一気コールが聞こえ──回を追うごとに声が遠慮がちになり、1時間もしないうちに、ホールからの声はほとんど聞こえなくなった。
「…静かになりましたね…」
アランが布団から顔を出し、不思議そうに呟く。
原因が分かるアタシは、少々頭痛を覚えていた。
「…あの子、やったわね…」
「やった?」
「宣言通り、潰したのよ。酒盛りしてた連中を」
アタシが告げると、アランはきょとんと目をしばたいた。
「潰したって……え? 殴って黙らせる、とかじゃないです…よね?」
…まあ、クリスティンならそれも平気でやるだろうけど。
残念ながらそっちじゃない。
「多分、強いお酒で飲み比べを仕掛けて、片っ端から酔い潰してった感じね」
「え…?」
ああ見えて、クリスティンは異常に酒に強い。
本人曰く、自分だけじゃなくて家族全員強いから多分血筋、との事だが。
今のアンガーミュラー家の中で一番酒に強いのは、クリスティンの母、ジャスティーン。
彼女はどんな酒を飲んでも全く酔わない。
酒豪の冒険者たちが束になって掛かって来ても、飲み比べ勝負を余裕で勝ち抜く。
現当主のハロルドと、クリスティンの弟、マーカスは、それなりに飲める方と自称しているが、アタシから言わせると十分酒豪の部類に入る。
所謂『ザル』だ。
クリスティンはハロルドとマーカスの上を行く。
ザルじゃなくて『枠』だろう。
…ジャスティーンは……枠すら無い。
彼女の胃に入った酒がどこへ行くのか、まともに吸収されているのか、甚だ疑問だ。
ただし、アタシの中で飲み比べをするなら絶対勝負したくない相手は、ジャスティーンではなくクリスティンである。
「クリスだったらやるわ。あの子滅茶苦茶酒に強いし、それ以上に相手に飲ませるのが上手いから」
にこにこととてもイイ笑顔で冗談のように度数の高い酒をなみなみと注ぐ様は、そっと目を逸らしたくなるような迫力がある。
…アンガーミュラー領に滞在していた頃、クリスティンを冗談半分で酔い潰そうとして返り討ちに遭った冒険者が居た。
曰く、『あの笑顔で酒を注がれると止めようが無いし、向こうがどんどん酒を飲み干すもんだからこっちも飲まない訳にはいかなかった』そうだ。
それ以降、クリスティンに無駄に飲ませようとする輩は現れなかったし、クリスティンも相手を酔い潰すようなダメな飲み方はしなかったのだが──今回うちのギルド長は、寝た子を起こしてしまったらしい。
心の中でそっと手を合わせる。
同情の余地は無いけど。
「ちょっと様子を見て来るわ。貴方は大人しく寝てなさい」
アランに言い置いて、アタシはホールへ向かう。
廊下を抜けると、概ね予想通りの光景が広がっていた。
「あら、ヴィクトリア」
完全に素面の顔色でテーブルにつき、優雅に琥珀色の液体が入ったグラスを傾けるクリスティン。
その横でグラスの中身を飲み干し──そのままぱったりと倒れ伏す冒険者。
…どうやら、それが最後の一人だったらしい。
周囲のテーブルには冒険者やらギルド職員やらが突っ伏し、床にまで複数人が転がっている。
死屍累々。目を覆いたくなるような光景だ。
(…誰が片付けるのかしら、これ…)
ホールの反対側に視線を向けると、身を潜めるようにして数人がテーブルを囲んでいた。
彼らは飲み比べに参加しなかったのだろう。
顔色が悪いのは、次々相手を酔い潰すクリスティンの所業を間近で見てしまったからか。
アタシは溜息をつき、クリスティンに苦笑した。
「まーた見事にやったわね、クリス」
「久しぶりに頑張りました」
どう見ても『頑張った』様子の無いクリスティンが、しれっと言い放つ。
その時、一番近い場所に転がっていた一人がアタシのズボンの裾を掴んだ。
「……ビ、ヴィクトリア……」
「あら、ロベルト。あんたも惨敗してたのね」
アタシが首を傾げると、ぐふっと変な声を上げたロベルトが、必死の形相で手に力を籠める。
「…おかしいだろ、何なんだ、あれ……」
「見ての通りよ。あの子にお酒飲ませようとしたんでしょ? 返り討ちに遭ったって文句は言えないと思うけど」
「お、俺は、あくまで親睦を深めようとだな…」
「お酒だけが親睦を深める方法じゃないわ。大体、全員が全員酒盛り好きだと思うなって前から言ってたでしょ」
アタシとロベルトが言い合っていると、席を立ったクリスティンがこちらに近付いて来た。
「一気飲みは危険ですし、そもそもお酒の強要は体質によっては命に関わります。少しは分かっていただけましたか?」
「うぐ……」
とてもイイ笑顔だ。
いくら酒に強くても、飲み過ぎは体に悪い。
限界を超えればこうして無様に床に転がる事になる。
クリスティンは、酒を強要する連中に身をもって味わってもらいたかったらしい。
「クリスティンの言う通りよ」
アタシもそれに便乗する。
「お酒は食事と一緒に楽しんでこそ。倒れるまで飲むのが礼儀だと思ってるならそうしたい連中だけでやって頂戴。──ああそれと、明日二日酔いで治癒室に来ても、薬は出さないからそのつもりでね」
「そんな殺生な…!」
「いい加減反省なさい」
捨てられた子犬のような顔になるロベルトに、ジト目で告げる。
「いい大人が、いつまで限度を知らないバカ騒ぎを続けるつもり? 功績を挙げた冒険者を祝福するなら、もっと他にやり様があるでしょ」
それ以上言うべき事は無い。
アタシはクリスティンを視線で促し、ホールの反対側に居る職員たちに声を掛けた。
「騒がせてごめんなさいね。こっちはアタシたちが片付けておくから、貴方たちは自分たちが使った部分だけ、片付けてもらえるかしら?」
「わ、分かりました」
1人が立ち上がって頷いた。
騒ぎたい連中は全員クリスティンが潰したので、後は片付ければ今日の宴会は終わりだ。
…片付けがあるから余計に、この宴会はギルド職員たちに評判が悪いのだが…ロベルトは毎回酔い潰れているのでその事実を把握していない。
(そろそろ本気で何とかしないと、退職者に歯止めが掛からないわよね…)
床に転がっている冒険者をホールの端に引きずって行きながら、アタシは真剣に考える。
冗談のような話だが、このバカ騒ぎが嫌で退職する職員が毎年一定数居るのだ。
それも、真面目で丁寧な仕事をしてくれる職員ばかり。
表向きは家庭の事情だったり結婚だったり、当たり障りの無い理由を口にしているが、個人的に話を聞いてみたら『宴会が苦痛』という意見が多数出て来た。
──ひょっとしたら、クリスティンが居る今がチャンスかも知れない。
アタシはそっとクリスティンを見遣る。
酒盛り好きを片っ端から酔い潰した『アンガーミュラーの女傑』は、自分よりはるかに大柄な冒険者を片手で引きずり、ホールの片付けを始めていた。
※この世界では子どもの飲酒は合法ですが、現実では違法です。
飲酒を強要するのはやめましょう(←お酒飲めないのに飲まされた結果吐いたことがある人)
…お酒は美味しく飲める人が、楽しく飲むものだと思いますよー…。




