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61.5 【ヴィクトリア視点】可愛いあの子

 とうとうクリスティンがこの街にやって来た。


「…はあ…」


 夜、家に戻ったアタシは、服もそのままにベッドに突っ伏した。


 クリスティンとシルクを住まいに案内し、買い出しにも付き合って、ついでにアタシ一押しの食堂で少し早めの夕食をとって、今ようやく家に帰って来たのだが。


「……顔、ニヤけてなかったかしら……」


 むにむにむに、と自分の頬を引っ張ってみる。


 正直ずーっと笑っていた自覚はある。

 変にニヤけていなかったかが気掛かりだ。


 クリスティンにだけは、アタシのそんな顔は見られたくない。


(でも……滅茶苦茶美人になってたわね…)


 思い返して、あああ、と内心で身悶える。


 春に会った時も思ったが、クリスティンは歳を重ねるごとに美人になっている気がする。

 ふんわりほんわかとした『可憐なお嬢さん』ではない。

 大体常に微笑んでいるのでパッと見には分からないが、あの子の顔は『怜悧な美貌』と表現するのが相応しい。


 女性としては高めの身長と引き締まった体つき、自然に伸びた背筋、見る者が見れば分かる武芸者の足さばき。

 口調は丁寧で礼儀正しく、頭の回転も速い。


 できる美女、という表現がこれほど似合う者も居ないだろう。


「…愚弟が惚れるだけの事はあるわ…」


 ぼそり、呟いて──自分の言葉で真顔になってしまう。


 6年前に王宮に出仕したクリスティンは、何の因果か、アタシの弟、ユリウス・ヴァイゼンホルンに一目惚れされた。

 あの愚弟、昨年クリスティンが王宮の大規模汚職事件を告発した際は、結婚してくれだの何だの、こちらの頭が痛くなるような発言を繰り返していたらしい。


 地頭は悪くないのに自分の興味がある事以外には全く注意も労力も払わないあの性格で、クリスティンを娶ろうなど笑わせる。


 彼女の結婚相手は、少なくともアタシを納得させられるくらいの相手じゃないと──


(…いや、アタシにあの子の結婚相手を決める権限なんて無いんだけど)


 内心で突っ込む。


 でも少なくともユリウスは無い。絶対に無い。


 ただ、クリスティンは既に成人してから数年経っている。

 一般的な貴族の結婚適齢期はもう過ぎていると言っても良い。


 実際、クリスティンの父──アンガーミュラー家現当主、ハロルド・アンガーミュラーは、何度かクリスティンに見合いを勧め、候補の釣書を何件も見せているらしい。


(…その候補者を、その場で全部仕分けて一刀両断して断ってるのよね、あの子…)


 (いさぎよ)いと褒めるべきか、ちょっと考えてあげても良いんじゃない、と苦言を呈するべきか。



 ──だが、クリスティンが見合いを断っていると聞いて、自分が喜んでいるのも確かなわけで。


(ややこしいったら……)



 …正直に言おう。


 アタシは、()()()()()()()()()()()()


 別にユリウスの二番煎じとか、そういうのじゃない。

 むしろあの愚弟の方が二番煎じだ。



 ──アタシは、『()()()()()』が『()()()()()()』である事を当たり前の顔で受け入れてくれたあの子の事が、心底好きなのだ。



 『女性』が女性を好きという辺り、本当に拗らせていると自分でも思うけど。


 …叶わないのは重々承知だ。


 だって彼女は、アンガーミュラー家の──ダスティン公爵家の次期当主。

 対してアタシは、王族の責務も責任も放棄して王都を出奔した、元王族。


 当主の配偶者が『こういう』人間だなんて、貴族社会で認められるはずが無い。



(…それでも)



 会いに来てくれて、笑い掛けてくれる。それだけで、心が浮き立つ。


 だからせめてクリスティンには、誰に恥じる事も無い、幸せな人生を送って欲しい。


 そのためだったら、こんな想い、いくらでも封じてやる。


「…とにかく明日からは、冷静に、冷静に…」


 頬に手を当てて、何度も自分に言い聞かせる。




 ──どこからか、《このヘタレ》という悪態が聞こえた気がした。





 翌朝、ドアを開くと、丁度隣の建物の扉が開くところだった。


「…あら、ヴィクトリア?」

「おはよう、クリス、マダム・シルク」


 きょとんと目をしばたくクリスティンに苦笑する。


 アタシが挨拶をすると、すぐに彼女は我に返った。


「おはようございます、ヴィクトリア」

《おはよう》


 シルクが若干ジト目なのが気になる。


 不思議そうな顔で首を傾げているクリスティンに、アタシは軽く肩を竦めた。


「そういや、言ってなかったわね。貴女たちの隣の家、アタシが住んでるの」


 実を言うと今回、大家を拝み倒して自分の隣の家を貸してもらったのだ。


 …だってこの街、治安はそれなりだけど、独身女性が一人で出歩いて『安全』かって言われるとそうでもないし。

 クリスティンの実力なら、別にもっと治安の悪い所でも全然平気なんだろうけど…心配は心配なわけで。


 ──断じて『お隣さんだったら通勤も一緒に出来るわよね!』とか思ったわけではない。


 決して。


「丁度良いし、一緒に行きましょ。この時間帯だと中央通りは混むから、裏道を教えるわ」

「ありがとうございます」


 クリスティンの微笑みに、アタシは平静を装って笑みを返す。


「さ、行きましょ」


 隣に並んで歩き出し、日差しを浴びると、クリスティンは眩しそうに目を細めた。


「流石に、こちらは暑いですね…」


 季節は真夏。まだ朝だが、日差しは既にジリジリと肌を焦がしそうな強さだ。


「この国最南端の街だもの。今日はまだマシな方よ?」

《…ゾッとするわね》


 シルクも暑いのは苦手らしい。しっぽを下げ気味にして、眉間にしわを寄せている。


 その姿に苦笑するクリスティンは、今まで見た事の無い服装をしていた。


 ボートネックの半袖に、7分袖のジャケット。

 そして、下は細身の膝下丈のパンツスタイル。


 …そう、()()()



 生足が…ふくらはぎが…見えてる…!



 ヒールの低いパンプスと相まって、普段は見えない生足がとても眩しい。


 白い。白すぎる。



 ──元々、貴族には生足を見せる文化は無い。


 アンガーミュラー家は貴族にしてはかなり緩い──平民に近い感覚のある家だが、そもそもあっちはここよりずっと冷涼な気候だから、半袖になる事はあっても足を露出する事は無い。


 つまり、クリスティンの生足は、ものすごく貴重。



(おぅふ…)



 内心で変な呻き声を上げてしまう。


《…》


 シルクの視線が痛い。


 …多分、アタシの内心、バレバレね…。


 でも仕方が無いと思う。出勤初日から刺激が強過ぎるのがいけない。



「荷物の片付けはもう済んだの?」


 動揺を全力で押し殺し、平静を装って話題を振ってみる。


「ええ、おかげさまで。収納も多くて良い物件ですね」


 クリスティンが笑顔で答える横で、シルクが溜息をついた。


《今回は散らかさないで頂戴よ、クリス。王宮文官寮の二の舞は御免だからね》

「あの頃もそんなに散らかしてはいなかったと思いますが」

《一応何度でも言っておくけど、貴女の『散らかす』の基準、絶対おかしいから》

「あら」


 シルクの指摘に、クリスティンがとぼけた顔で視線を逸らす。


 アタシは思わず噴き出した。


「…っふふふ…相変わらず、片付けは苦手みたいね」


 完璧超人に見えるクリスティン、実は昔から自室は散らかし放題で、掃除が苦手だ。


 『自室は自分で片付ける』がアンガーミュラー家のルールなのだが、アタシがアンガーミュラー家で過ごしていた頃から、クリスティンの部屋は大変な散らかり様だった。


 限度を超えると当主命令が下され、クリスティンと使用人、数人掛かりで片付ける。

 それで一時的に片付いても、あっという間に元に戻ってしまう。


 仕事机はきちんと整理整頓できるのに、意味が分からないのだが…『仕事』と『私生活』は別物という事なのだろう。


 なおシルクがクリスティンの相棒になってからは、アンガーミュラー家基準の限度を超える前にシルクが魔法で片付けてしまうため、クリスティン自身が部屋の片付けに手を出す事はなくなった。


 多分、今でもそうだろう。


「マダム・シルク、一度貴女も限界まで我慢してみれば良いんじゃないの? でないと、いつまで経っても本人が片付けるようにならないわよ」

《…それ、文官時代にやってみたんだけどね》


 三毛の美麗なケットシーは、物憂げに溜息をついた。



《……床が見えなくなってもベッドが埋もれても平気だから、私の方が耐えられなかったのよ…》



「……ワオ」





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