7 王宮のケットシーたち
「皆さん、そこに居ますね?」
私が声を掛けた直後、塀の上に複数の影が躍った。
《いよう! さっすが姐さんとお嬢だなー!》
念話ではしゃいだ声を上げたのは、大きなキジトラ柄のケットシー。
《惚れ惚れするっス!》
《耳元で拍手されただけなのに、あの顔! ホントウケるよなー!》
続いて、白黒柄と、真っ白。合計で3匹のケットシーが塀の上に並ぶ。
キジトラが、『ボス』。この王宮に住んでいるケットシーの取りまとめ役だ。
ただし初対面でシルクにこてんぱんにされて以降、彼女を『姐さん』と仰ぎ、すっかりシルクの舎弟と化している。
私を『お嬢』と呼ぶのはシルクの相棒だからで、まあつまりついでである。
白黒はボスの弟分の『ブチ』。真っ白いケットシーは茶トラの元ライバルで、現在は実質ナンバー2の『はやかぜ』。
どちらも馴染みの顔で、ちょくちょくおやつをあげたり、ブラッシングをしたりしていた間柄だ。
《あら、3匹だけなのね》
《全員来たらさすがにうるさいだろ? 代表して俺たちだけだ》
《ホントは、みーんな来たがったんスけどねぇ》
王宮に住むケットシーは、現在12匹。確かに全員来たら収拾がつかなくなりそうだ。
しかし見送りに来てくれるとは、大変嬉しい。
見たくもない顔を見た後なので、特に。
「ところで、ボス」
それはそれとして。
《うん?》
「昨夜、繁華街でへべれけに酔っ払った私の元上司の頭上に汚物を振りまいたのは、あなたたちのうちの誰か、ですね?」
根拠は無いが、予感はある。
案の定、ケットシーたちは顔を見合わせて肩を竦めた。
《いやいや、あんなの挨拶代わりだろ?》
《もっと過激な案も出てたんスけど、一応元上司だから穏便にしとこうって事でああなったんスよ》
《人事部長とかドン引きしてたけどな》
《…誰か、じゃなくて、全員だったみたいね》
シルクが若干呆れている。
昨日の夜中に『奴の頭上にネズミの臓物ぶちまけてくる』と宣っていたのは、彼女の名誉を考えると黙っておいた方が良いだろう。
「人事部長も居たのですか?」
はやかぜの言葉に引っ掛かりを覚えて訊いてみると、ケットシーたちは頷いた。
《居たぜ。あと、人事部長の取り巻きが2、3人と、別部署の──確か総務部の若いねーちゃんたちだったかな》
意外と大人数でどんちゃん騒ぎをしていたようだ。
しかし同席していたのが人事部長というあたり、いかにもアードルフらしい。
総務部の女性陣が積極参加だったのか強制参加だったのか、気になる所である。
「総務部の女性たちには、汚物は掛からなかったのですか?」
《ああ、そこは大丈夫だ》
《一応ジブンら、ちゃんと調整しましたんで》
「流石は皆さんですね」
ケットシーたちを褒め称えると、彼らは得意気に胸を張った。
敬意を払う相手も配慮する相手も、自分たちで決める。
当然、悪戯する相手も加減もきっちり考える──良くも悪くも。王宮のケットシーたちの流儀だ。
「そうそう、皆さんに一つお願いがあるのですが」
私が切り出すと、ケットシーたちは表情を改めた。
《なんだ?》
「例の──王宮で女性の退職が相次いだ件。引き続き情報収集をお願いしたいのです」
私は王都を離れるので、現地での情報収集は難しい。
しかし、ボスたちの本拠地は王宮だ。
王都も庭のようなものだし、これ以上の適任者は居ない。
《ああ、あれか》
ボスはすぐ合点が行ったという顔をした。
《どうにも、きな臭い雰囲気はあるな。──分かった。引き続き、情報を集めておく》
この件に限らず、彼らには日頃から色々な情報を集めるようお願いしていた。
その報酬は、おやつだったり、ブラッシングだったり、居心地の良いお昼寝ベッドだったりと様々だ。
今までユリウスに報告した『裏情報』のうち、8割以上が王宮のケットシーたちが集めたものだったりする。
ボスが頷くと、ブチが真剣な顔をした。
《絶対に真実を突き止めてやるっスよ》
《そういえば、退職した女性のうちの一人とすごく親しかったのよね? ブチ》
《はいっス。とっても真面目で品行方正、しかもジブンらにも優しい、非の打ち所の無い女性だったっスよ》
「そうなのですか?」
ブチが調査対象の一人と親しかったというのは初耳だ。
私が首を傾げると、ブチは決まり悪そうな顔をする。
《…あくまで、ジブンの印象っス。退職する時にはジブンらに何も言わないで突然辞めて行ったし、家に行っても会えず仕舞いで…》
「…」
肩を落とすブチの証言に、私は強い引っ掛かりを覚えた。
ケットシーを大事にする王宮で、ケットシーと親しくしていた者が、彼らにきちんと挨拶もせずに突然辞める──あまりにも不自然だ。
仮に王宮で会えなかったとしても、わざわざ自宅を訪ねて来たケットシーとの面会を断る理由は無い。
…普通なら。
「──ブチ」
私は目を眇め、白黒柄のケットシーを見詰めた。
「出来る範囲で構いません。あなたは、親しかったというその女性の足取りを徹底的に追ってくれませんか? できれば私も、本人から話を聞いてみたいのです」
ブチがハッと顔を上げた。
諸々の業務が忙しかったため、この件についてはあまり調査が進んでいない。
精々、不自然な理由で辞めて行った女性の名前と当時所属していた部署、担当業務、出身地などをリストアップしたくらいだ。
当然、当人からの証言など全く取れていない。
そもそも本人の現在の所在がはっきりしないのだ。行方不明ではないが、『病気で療養中らしい』『実家の領地で事業に携わっているらしい』『とっくの昔に嫁に出たらしい』など、不確かな情報が飛び交っている。
しかし、もしもブチが本人に会えれば、そして私を紹介してもらえれば──なぜ彼女たちが『自己都合』で退職したのか、その理由の一端が分かるかも知れない。
《…分かったっス。頑張ってみるっスよ》
ブチが目に強い光を宿して頷く。
なら、とシルクがボスを見た。
《何か分かったら、ホット・ラインで知らせてちょうだい》
《姐さん、良いのか?》
ボスが軽く目を見開いた。
ホット・ラインは、ケットシーだけが使える特殊な魔法だ。
この魔法を使えば、親しいケットシー同士に限り、どんなに遠く離れていても自分の『声』を相手に届けることが出来るのだという。『遠隔念話』とでも言おうか。
ケットシーにとって、これを使う相手は『自分が心を許した存在』。
親兄弟や子どもといった非常に近しい血縁者や、配偶者、あるいは親友などがそれに該当する。
姐御と舎弟という間柄でそれが成立するのは珍しいと思うのだが。
《クリスにとって必要なんだもの。それに一応、あなたの事は信頼してるしね》
《姐さん…》
何と、私のために特別な魔法を使ってくれるらしい。
ちょっと目を逸らし、早口で告げるシルクがとても可愛らしい。ボスも感動したらしく、ぱあっと表情が輝いている。
「シルク…」
私が名を呟くと、シルクはあからさまに視線を逸らし、聞こえないとでも言うように軽く耳を伏せた。
どうしよう、私の相棒が世界で一番可愛い。いつもだけれど。
ボスがハッと我に返った。
《──合点承知。姐さん、魔力を…》
《ええ》
ボスとシルクが向き合い、同時に魔法を展開する。
互いの鼻先に複雑な魔法陣が浮かび上がると、顔を突き出してそれを重ね合わせた。
とても重要な動作なのだろうが、動き自体は完全に『鼻つん』だ。
《──これで良いわ。何か分かったら知らせてちょうだい》
魔法陣が消えると、シルクはするりと私の隣に戻った。
ボスは他のケットシーたちと顔を見合わせて頷き合った後、こちらに向けて胸を張る。
《任せてくれ。全部調べ尽くしてやるぜ》
本当に王宮とその近隣を隅々まで調査し尽くしそうな勢いだ。
無茶をしないか少々心配になる。
「くれぐれも、危険には近付かないようにしてくださいね」
《ああ、もちろんだ》
《心得てるっスよ》
《心配ない》
力強く頷いてくれるが、果たして。
私がさらに念を押そうとすると、ボスが眉間にしわを寄せた。
《俺たちよりも姐さんとお嬢だろ、危険な所にホイホイ首突っ込むのは。ホント、気を付けてくれよな》
私は思わず視線を逸らした。
「……善処します」




