おまけ⑫【ボス視点】お嬢の敵討ち(後)
王宮のケットシー、ボス視点、後半です。
状況を把握した姐さんは、『退去の準備をしないとね』と溜息をついて帰って行った。
俺たち王宮のケットシーは、改めて裏庭に集合し、情報を共有する。
《本っ当に阿呆だな、あいつら!》
《何のためにお嬢がここに居たのか、分かって無かったのかよ》
《分かるワケ無いて。見たやろ? あのアホそうな笑顔》
《マジ有り得無いんだけど》
…もとい。
情報共有と言うより、ただの愚痴大会か。まあそれも仕方ないが。
──王宮のケットシーにとって、クリスティンは大事な存在だ。
勿論、姐さんの相棒だから、というのもある。
だがそれ以上に、俺たちケットシーに対する親愛の情と柔らかな態度、そして何より、王宮文官としての能力の高さと状況を変えて行こうとする姿勢は、俺たちが敬意を払うのに十分だった。
俺たちだって王宮の住民だ。王宮文官たちの仕事が激務なのは知っている。
だから、それを変えてくれそうなクリスティンを、期待を込めて見守っていた。
…その結果が、コレなのだが。
《あー、あいつらの机にネズミの死骸でも置いて来てやりてぇ》
《それ良いな! 机の上より、一番良く使う引き出しの中の方が効果的か?》
《引き出し開けたらネズミ! いっそ生きてるヤツのが良いんじゃないか?》
俺が考えている間に話が逸れ、はやかぜを筆頭にヤバい事を言い始める仲間が数匹。
《おい待て待て。どんな奴相手でも、仕事中は迷惑を掛けないのが俺たちの流儀だろ》
王宮のケットシーには、自分たちで定めたいくつかのルールがある。
例えば、王宮内の全てのトイレや王族の寝室には基本的に立ち入らない。覗かれたら俺たちだって嫌だからだ。
あと、王宮で働く全ての人間に対して、勤務中には迷惑を掛けないよう配慮する。
相手が仕事以外の事にうつつを抜かしていても、注意すべきはそいつの上司であって俺たちではない。
それに、そんな奴に悪戯を仕掛けたら、余計に仕事の進みが遅くなるだけだ。
…まあ今回の場合、仲間たちが阿呆どもに嫌がらせをしたい気持ちは、非常に良く分かる。
分かるが、
《少なくとも職場でネズミはやめとけ。書類を汚したらマズいだろ》
《そりゃあそうだけどさ…》
俺が止めると、仲間たちは不満そうにヒゲを震わせる。
…どうやら、勘違いしているようだ。
《──ま、職場以外では、何をしようと俺たちの勝手だけどな!》
《!》
続けた言葉に、仲間たちの顔がぱあっと輝いた。
《そうこなくちゃ!》
《さっすがボス!》
《ただし!》
一応、釘を刺しておく。
《他の人間には迷惑を掛けないこと! 特に、お嬢と姐さんを煩わせるようなやり方は禁止だからな! 細心の注意を払って計画を立てるように!》
《おう!》
《合点承知っス!》
仲間たちが額を突き合わせて作戦会議を始めるのを見届け、俺は一旦場を離れる。
王宮の出入り商人を捕まえ、王宮文官の女子寮に引っ越し荷物を梱包するための木箱を届けて欲しいと頼み込むと、商人は二つ返事で引き受けてくれた。
《すまねぇな》
「なに、お安い御用です。すぐに手配いたしましょう」
話が早くて助かる。
すぐに裏庭へ取って返すと、仲間たちは既にいくつかの案を出していた。
《酔っ払ったところに生ごみ降らせるとか》
《いやいや、生ぬるいって! やっぱ頭上にぶちまけるならネズミの臓物だろ!》
《店から出て来た瞬間に、奴の足元だけ凍らせてツルッツルにするのは?》
なかなか良い案が出ている。
なお『ネズミの臓物』は、ケットシーにとって相手に対する最上級の侮蔑を意味するアイテムだ。
(いや、侮蔑だから『最上級』じゃなくて、『最低』か?)
それはともかく。
《アードルフの奴、今日はウォルターとその取り巻き連中と一緒に飲みに行くらしいッス》
どういう状況かブチに問うと、返って来たのはそんな説明だった。
なるほど。言うなれば『クリスティンを放逐出来た打ち上げ』か。
最低だが、とてもお誂え向きの状況だ。
《酔っ払って油断したところに俺たちの一撃が炸裂するわけだな》
《はいっス!》
キリッとした顔でブチが頷く。
《しっかし、今日か…ネズミを集めるのには時間が足りないかも知れないな》
俺が呟くと、確かに、と仲間たちも同意した。
王宮にはネズミなんて居ない。
ネズミが侵入したら最後、俺たちが狩り尽くすからだ。
王都、それも平民街あたりまで行けば見付けられるだろうが、阿呆どもの飲み会が終わるまでに必要な量を確保できるかどうかは微妙なところだ。
…どうせなら、がっつりやりたいよな。
きょろきょろと視線を彷徨わせ──目に入ったのは、庭の一角に設置された大きな木箱。
木箱と言っても底は抜けていて、四方を囲む板の上から蓋が被さった形のものだ。
《…これだ!》
《へ? ……あ!》
木箱に駆け寄り、魔法を使って蓋を開ける。
途端、とんでもない刺激臭がぶわっと辺りに広がった。
《ぐはっ!?》
《ブチー!?》
《気ぃ付けやー! そっち風下やで!》
《ボス、いきなり開けないでください!》
《うわっ、スマン!》
慌てて蓋を閉め、魔法で風を起こして臭いを散らす。
至近距離で悶絶していたブチが起き上がり、あーびっくりした、と全身をブルブルさせた。
《いやでも、いいっスねこれ! 堆肥っスか》
《おう。それも発酵途中の、一番臭いがきっついヤツだな》
王宮の専属庭師たちは、土作りに使う堆肥をここで作っている。
中身は、王宮の食堂で出た野菜くず、王宮で飼育されている馬たちの糞、落ち葉や枯草、それに契約農場から持ち込まれる鶏糞や牛糞、豚糞などだ。
当然、素材自体の臭いもなかなかなのだが──発酵中の堆肥の臭いはまた系統が違う強烈さで、まともに嗅ぐと気絶しそうになる。
さっきのブチのように。
《これ持って行って、アードルフの頭上にばら撒いてやるか》
《おう!》
《賛成!》
全員の同意を確認し、俺たちは早速行動に移った。
先行して数匹が飲み会会場になる店を下見し、ついでに近隣の店の看板ケットシーたちに根回しをする。
残りは手分けして堆肥の運搬と試運転だ。
庭師の一人に許可を取り──クリスティン・アンガーミュラーが辞めさせられて、マダム・シルクも追い出されてしまうから敵討ちをするのだと説明したら、ヤって良し!と真顔で許可をくれた──堆肥箱の上で何回か、堆肥を撒き散らす練習をする。
《他の人間に被害が及ばないようにって、意外と難しいな》
《風魔法で何とかするしかないか》
満足の行く試験ができたら、堆肥の中でも飛び切り臭い部分を選りすぐって持ち出す。
周囲に臭いを撒き散らさないよう、浮遊魔法と風魔法で対策も万全だ。
その後、先行した仲間の案内で飲み屋の屋根の上にスタンバイ。
アードルフたちが入って行ったのを見届け、数時間後──
《出て来たッス!》
《よし今だ、やれ!》
《おう!》
「な、なに──ギャー!!」
店から出て来たアードルフに、俺たちは盛大に堆肥を振り撒いた。
大部分は地面に落ちてしまったが、一部は上手いことアードルフの頭に着弾する。
発酵途中で水分量が多いから、薄い頭髪にべっちゃり付いて、顔の方へたらりと垂れた。
連れのウォルターや総務部の女性陣は、ギョッとした顔で堆肥まみれになったアードルフを凝視している。
「何だ…まさかクソ──ぐはっ!? 臭い!!」
アードルフが盛大に咽る。
まともに臭いを吸い込んだらしい。
《やった!》
《ざまあみろ!》
仲間たちが快哉を叫ぶ。
アードルフが何かを探すようにぎょろりとした眼を方々に動かした。
念話はケットシーにしか聞こえないよう調整しているのだが、アードルフにも、多少なりとも自分がこんな目に遭う理由について思い当たる節はあるのだろう。
すかさず俺は指示を出した。
《お前ら、ずらかるぞ!》
《イエッサ!》
《了解っス!》
王宮のケットシーたちが一斉に逃げ出す。
その背後で、あっ!というアードルフの声が響いた直後、盛大な水音がした。
《お客さん、丸洗いするから動かないでください!》
「ごぼぼぼぼぼっ!?」
どうやら、近隣の店の看板ケットシーたちが、寄ってたかってアードルフの洗浄を始めたらしい。
…あいつらにも事情は説明してあるし、お嬢と姐さん、こっちでも大人気だったからな…。
親切な顔して水責めするあたり、看板ケットシーたちもなかなかだと思う。
翌日、クリスティンと姐さんは、新しい依頼を残して王都を出て行った。
1人と1匹の姿が見えなくなってすぐ、俺たちは行動を開始する。
《ブチ、お前はお嬢に頼まれた事を優先してくれ》
《分かったっス》
《はやかぜ、俺たちは手分けして他の情報を集めるぞ。割り振りを決めるから、全員裏庭に集合だ》
《おう。なら、西棟の連中に招集掛けて来るわ》
ブチとはやかぜが頷いて駆け出す。
俺も王宮の東棟に足を向けながら、先程のアードルフの暴言を思い出していた。
──『大体貴様、畜生の分際で──』
(…あの阿呆、これ以上俺たちに暴言吐きやがったら、頭頂部の髪の毛全部むしってやる)
──ウォルター一派の大規模汚職が明るみになり、アードルフの髪が頭頂部はおろかほとんど全て抜け落ちるのは、これから数ヶ月後の事である。
※アードルフはお貴族様なので、汚物と発酵中の堆肥の区別がつきません。




