おまけ⑪【ボス視点】お嬢の敵討ち(前)
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本編1話から4話くらい、王城のケットシー、ボス視点のお話。前半です。
その日、いつものように王城の食堂で朝ごはんを貰い、午前の昼寝スポットである文官棟の屋根の上で微睡んでいたら、信じられない言葉が耳に飛び込んで来た。
『クリスティン・アンガーミュラー君。仕事を選り好みするような者は、我が部署に必要無い。今日をもって、君を解雇する。今まで大変ご苦労だった』
《………はあ!?!?》
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
《ボス、どうしたんスか!?》
少し離れた所で寝ていたブチが飛び起きる。
思わず放った指向性の無い念話だったため、周囲のケットシーたち全員に聞こえてしまったようだ。
集まって来る仲間たちに静かにするよう身振りで指示し、俺は視線で屋根の下を示した。
この真下は、王宮の総務部第2統括室の隣の会議室。
窓の建付けが悪く、部屋の中での会話が屋外に筒抜けになるため、利用率はとても低い。
直せば良いのにと思うのだが、予算の都合もあるし、他に実用に耐える会議室はいくらでもあるので後回しになっている。
そういうトコやぞって感じですよねぇ、とは、俺の敬愛する『姐さん』ことマダム・シルクの相棒、クリスティン・アンガーミュラーのコメントである。
──今、そのクリスティンを、解雇するという言葉が聞こえた気がするのだが。
聞き耳を立てていると、馴染みのある声がした。
『アードルフ室長、今日付けは流石に…仕事の引継ぎもありますから、最低でも1ヶ月は猶予をいただきたいのですが』
クリスティンの声だ。
どうやら、解雇の日程を遅らせるよう交渉するつもりらしい。
解雇そのものに抵抗するのではなく、解雇された後に残される者の事を考えるあたり、いかにも彼女らしい行動だ。
だが、クリスティンの上司、アードルフ・フォルスターは斜め上の発言をした。
『引継ぎ? なに、心配は要らん。──お前の仕事は、私が引き継ごう。全て把握しているからな』
…
……
………?
《………え? バカなんスか?》
ブチの言葉に、俺も他のケットシーたちも無言で頷く。
言っちゃあナンだが、第2統括室長のアードルフは仕事が出来ない。
誤字脱字は当たり前。
締め切りは破るもの。
自分が言った事すら覚えていない。
そのくせ咄嗟の言い訳には長けているから、言われた事を鵜呑みにしやすい統括部長の第2王子は、奴が絶望的なまでに仕事が出来ないという事に気付かない。
あまりの惨状に、クリスティンは自分の業務とユリウスからの依頼をこなす傍ら、アードルフのフォローをしていた。
俺たち王宮のケットシーには周知の事実だ。
…絶対クリスティンの仕事を把握なんかしてねぇぞ、あの禿げオヤジ。
そんな現実を直視しようともしない阿呆は、書類手続きは済んでいるだの何だの、勝ち誇ったように並べ立てている。
『…お話は分かりました』
やがて聞こえて来たクリスティンの声からは、見事に感情が抜け落ちていた。
《…あ、見捨てたな、お嬢》
白いケットシー、はやかぜがぼそりと呟く。
そうっスね、とブチも頷いた。
そりゃあそうだろう。
いきなり解雇を宣言されて、自分の仕事を把握しているはずも無い上司から『お前の仕事は私が引き継いでやろう』とか言われたら、誰だってぶち切れる。
クリスティンの場合は、切れる前に一周回って冷静になってしまったようだが。
その後、寮も明日までに退去するようにと言われたクリスティンは、極限まで感情を抑制した声音で『承知いたしました』と応じ、会議室を出て行った。
《…お嬢、よく我慢したな…》
《ぶん殴っても許されると思いますが》
《それは流石にアカンて。余計面倒な事になる》
屋根の上に改めて集い、仲間たちが言葉を交わす。
その中で、ブチが首を傾げた。
《…お嬢が出て行くって事は、姐さんも出て行くんスかねえ…》
《あ!》
俺は慌てて立ち上がる。
クリスティンが退去するなら、当然相棒である姐さん──シルクも一緒だろう。
これは出来るだけ早く知らせてやらなければ、大変な事になるんじゃないか?
《──俺は先に姐さんに知らせに行く! お前らは、どうしてお嬢が辞めされられるのか、情報を集めてくれ!》
《合点!》
《分かった!》
《任せろ》
皆が口々に了承を返してくれるのを確認して、俺は急いで屋根を蹴った。
姐さんお気に入りの昼寝スポットは、王宮の奥、王族居住区画に近い裏庭の温室だ。
特に冬の晴れた日は暖かく、雨が降っても濡れる心配は無い。
なお、夏は同じ裏庭の、噴水近くの木陰で寝ている。
《──姐さん!》
予想通り、姐さんは温室の中で寝ていた。
庭師と交渉して用意してもらったという麻袋のクッションの上、鮮やかな三毛の毛並みが今日もきれいだ。
が。
《……なによ》
薄ら開けられた目が大層不機嫌で、俺はその場でびたりと固まった。
…そういや姐さん、滅茶苦茶寝起きが悪いんだった…。
《寝てたとこスマン、姐さん》
内心冷や汗をかきながら謝罪する。
どこからどう見ても可憐な三毛のケットシーだが、姐さんはこう見えてとんでもなく強い。
爪も牙も鋭いし、判断も的確だ。
何より、どこでそんなもん覚えたのかと問いただしたくなるくらい、あらゆる魔法に精通している。
…初めて会った時、ちょっとした好奇心で姐さんに挑んで見事に返り討ちに遭ったのは、今でもちょっとしたトラウマだ。
《今しがた、とんでもない情報が入ったんで聞いて欲しい。お嬢の事だ》
《…》
背筋を伸ばして伝えると、姐さんは黙って身を起こした。
先を促す視線を受け、俺は気合いを入れて念話を続ける。
《お嬢が、今日付で王宮文官を解雇された。寮も明日中に出て行かなけりゃならないらしい》
《………》
姐さんは目を軽く見開いて固まった。
…流石に衝撃的過ぎたか。
が。
《……まあ、いつかやるだろうな、とは思ってたけど…》
深い溜息と共に零れた言葉は、今の状況を予期していたと取れるもの。
《驚かないのか?》
思わず訊くと、姐さんは金色の目を眇めて首を横に振った。
《あの無能上司とクリスの相性が最悪なのは知ってるでしょ?》
まあ、あの無能と相性が良い部下なんてどう考えても碌なもんじゃないけど。
ぼそりと吐き捨てる。
《クリスの雇用期間が延長される時だって、散々上司に文句言ってたもの。どんな手を使ったか知らないけど、勝手に解雇されるくらい、今更驚かないわよ》
…マジか。
俺が唖然としていると、姐さんは視線を斜め上に向けて考え始めた。
《…でもそうなると、ちょっと忙しくなるわね…。引っ越しの手配に移動手段の確保、後は道中の護衛と…》
と、こちらに目を向け、
《ボス、梱包資材が足りないんだけど、木箱を今日中に複数用意できる店とか王都にあるかしら?》
《あ、ああ。それだったら、王宮に出入りしてる店に頼んでみるとか…良ければ、俺が声を掛けてみるぜ?》
王宮出入りの商人たちは、俺たち王宮のケットシーには一定の敬意を持って接してくれる。
多少の無茶も聞いてくれるだろう。
俺が提案すると、じゃあそれでお願い、と姐さんは頷いた。
あの姐さんが、まさか俺たちに頼みごとをしてくれるとは…。
《──ボス!》
感動を噛み締めていると、温室にブチが駆け込んで来た。
《お嬢の解雇理由が分かったっス!》
《おう! で、どういう事だったんだ?》
《それが──》
──後に聞いたところによると、ブチの説明を受けた俺と姐さんは、ほぼ同じ表情をしていたらしい。
つまり、
《……筋金入りの大馬鹿野郎じゃねぇか…》
《……それは、クリスが見捨てて当然ね……》




