おまけ⑩【暗殺者ギルド長視点】移住の誘い(後)
暗殺者ギルド長視点、後編です。
口から飛び出た斜め上の発言に、思わず沈黙する。
一応、仮にも、暗殺者ギルドが命を狙っているのだ。
釘を刺しに来たか、それともいよいよこちらを潰しに来たかと身構えていたのに、この呑気さは一体何なのか。
あまりの状況に、居合わせたギルド員たちもぽかんと口を開いている。
あっけにとられるこちらを気にせず、クリスティンはアンガーミュラー領へ移住した場合の条件を並べ立て始める。
全ての職種は基本的に4日勤務したら2日休み。
他に、自由に使える『給料の出るお休み』が勤務年数の長さに応じて複数日与えられ、年末年始などの行事ごとの休みもある。
職種は、領内の森を見回り魔物などを狩る『狩人』のほか、御者、料理人、針子、庭師、直営の牧場の従業員や農夫など、本人の希望や適性に応じて選択が可能。
住居は職種に応じてアンガーミュラー家が用意。
屋敷内の従業員用の部屋か、敷地内の離れか、牧場などの場合は現地に従業員用の寮もある。応相談。
給与は一律で決まっている基本給に、それぞれの仕事内容に応じた手当てが加算される。
さらに狩人の場合は、狩った獲物をアンガーミュラー家が買い取るので、それも収入に出来る。
「ちなみに獲物の買取価格の相場は?」
いつの間にかクリスティンの説明に聞き入っていた若いギルド員が挙手する。
クリスティンは笑顔で答えた。
「需要に応じて変動するので一概には言えませんが、冒険者ギルドで冒険者が売却した場合と同額になるよう調整しています」
ざわ、と空気が動いた。
給料が支払われる上に、獲物は適正価格での買い取り。話がうますぎやしないか。
「…お前さん、何を考えとる?」
胡乱な目で見遣ると、クリスティンが首を傾げた。
「なに、とは?」
「ここのギルド員は暗殺者じゃぞ? 犯罪者じゃろうが。それを真っ当な職種で雇おうなどと、普通は思わん」
「あ…」
若人の一人が小さく呻いて視線を落とした。
自分で言うのもなんだが、ここは暗殺者ギルド。
殺人はどんな場所でも大罪だ。その罪を商売として請け負う我々は、表の世界では生きて行けない。
しかしクリスティンは、沈んだ空気をものともせずに首を傾げた。
「みなさん、アンガーミュラー領で活動していた実績はありますか?」
「…は? ──いや、無いが」
うちのギルドの活動範囲は王都限定だ。そう言えば、クリスティンはにっこりと笑った。
「では、何の問題もありませんね。王都でどんな仕事をしていたかなど、うちでは関係ありませんので」
「…いや、関係あるじゃろ」
思わず突っ込むが、
「それにこれは、みなさんの適性を見込んでのお誘いなのですよ」
「適性…?」
クリスティンは指を一本立て、
「アンガーミュラー領は、少々特殊な土地柄でして。年に一度、普通の魔物ではない存在を討伐する仕事が発生します」
その存在は、倒されると周囲に負の感情を撒き散らす。
恐怖、憎悪、嫉妬、悲哀、怨嗟。
倒した者は、そういった剥き出しの感情を真っ向から浴びる事になる。
「それなりに場数を踏んだ冒険者でも、それに耐えられる者はそれほど多くありません。こちらでも精神的ダメージのケアは行っていますが、どうしても限界はあります」
だから、暗殺者ギルドに声を掛けたのだ、とクリスティンは言う。
「言い方は悪いですが、このギルドで働いている以上、そういった感情にも耐性があると思うのです。アンガーミュラー領へ移住してくださった場合、普段は狩人やその他の職種で働いていただき、年に一度、この討伐の仕事だけは全員に参加していただく──それが、私からみなさんへのご提案です」
「…暗殺者に『普通の仕事』を斡旋する代わりに、危険な仕事も任せる、という事か」
「その通りです」
なるほど、それならば話は分かる。
そこらの冒険者では耐えられないような精神的にきつい仕事。
こちらが暗殺者ギルドだからこその提案なのだろう。
「ちなみに、今まで行っていたような『暗殺』のお仕事は、一切回しませんので。快楽殺人者の気がある方はお断りします」
「…」
きっぱりと釘を刺されて、少し考える。
今のギルド員には、殺人に悦楽を覚える者は居なかったはずだ。
全員、生きていくためにやっている。
この王都での罪を問わず、普通の仕事を斡旋してくれると言うのなら、手を挙げるギルド員は多いだろう。実際、何人かは既に目を輝かせてクリスティンを見詰めている。
微妙な表情をしている一人が、そっと口を開いた。
「…なあ、その、俺には家族が居るんだが…」
「勿論、家族ぐるみでの移住も歓迎します。ただし、ご家族全員の同意を必ず確認してくださいね。住む環境が変わるのを不安に思われる方も多いですから」
なお、移住に掛かる引っ越し費用はアンガーミュラー家持ち。
一緒に移住する家族が就職を希望する場合は、そちらへも仕事を斡旋する。
次々挙げられ、このギルドでは珍しい家族持ちの男は、納得したように頷いた。
「他に何か、質問のある方はいらっしゃいますか?」
「狩人になった場合、装備は自分で用意するのか?」
「基本的に、初期装備は全てアンガーミュラー家が用意します。あまりにも特殊な装備品だと準備に時間が掛かってしまいますが…。勿論、愛用の武器防具があるのなら、そちらを使っていただいても構いません。その後、新しい武器防具を購入したくなったら応相談ですね。狩りの成果や働きに応じて、ある程度の割合までは購入費用を補助します。ちなみに、武器防具の整備は身内価格で業者に依頼できます」
「狩人以外の職種で雇われた場合、年に一度の討伐の仕事の時の装備はどうなる?」
「アンガーミュラー家の備品を使っていただく事になります。事前に希望を伝えていただければ、それに合った装備を備品として用意しておきますよ」
「戦闘向きではない者も居るのだが…」
「もしその方が移住を希望するのであれば、勿論歓迎します。やって欲しい事は、年に一度の討伐以外にも色々ありますから」
全ての質問に即答するクリスティン。
もはや完全に、彼女の独壇場だ。
その後もいくつかやり取りをし、質問が出切ったのを確認したクリスティンは満足そうに頷いた。
「──これで、大体分かっていただけたでしょうか?」
「ああ」
若いギルド員が肯定する。
…こやつは、移住希望だな。
見渡せば、この場に居るほぼ全員、先程までと表情が違う。
乗り気になっているのは明らかだった。
まあこんな千載一遇のチャンス、逃す手は無い。若い者たちならなおさらだ。
長年付き合いのある『仲間』が減るのは、少し寂しいが──彼らの将来を考えるなら、快く送り出すべきだろう。
その時、
「──…っふ、あははははは!」
クリスティンの背後で控えていたラフェットが、突然笑い始めた。
「本っ当、貴女と居ると飽きないわね! 暗殺者ギルド丸ごと引き抜き掛ける気!?」
…丸ごと?
まさか、暗殺者ギルド長の自分も、対象に入っている?
目を見張ってクリスティンを見遣ると、彼女は大真面目な顔で頷いた。
「ええ。ここ最近の情勢を考えると、それでも足りないくらいです。我が家としては何としてもみなさんに来ていただきたいのですよ」
我が家──つまりこの誘いは、クリスティンの独断ではなく、アンガーミュラー家の意向。
…どうやら自分は、彼女の事を見くびっていたようだ。
アンガーミュラー家は、クリスティン・アンガーミュラーは、ある意味、この暗殺者ギルドを潰そうとしている。
「…随分壮大な計画を立てているようじゃな」
西の果てとはいえ領地持ちの貴族だ。
10人にも満たないようなギルド一つ、潰すのは訳無いのかも知れない。
若干の皮肉を込めて呟くと、クリスティンは小首を傾げた。
「壮大──他人の人生を左右しようと言うのですから、そうかも知れませんね。ですが、この機会を利用するか否かを決めるのは本人です。私としては、是非来ていただきたいところですが」
良い返事を期待していますよ──そう言って、クリスティンはラフェットと連れ立って帰って行く。
去り際、ラフェットが振り返り、『私が言うのもなんだけど、クリスティンは言った事を守るタイプだから、移住するなら待遇には期待して良いと思うわよ』と片目を瞑った。
その後ギルド員全員を集めて話し合った結果、ほぼ全員がアンガーミュラー領への移住を希望した。
例外は、妹に持病があるから王都を離れられないという若いギルド員。
半ば予想はしていた。
彼の妹御は、半年前に石化病になった。それまではたまに顔を見せに来てくれていたが、今ではアパートの一室で寝たきりになっている。
当然、私も居残りだ。
「ギルド長、良いんですか?」
「何のことじゃ? わしはただ、この歳で長距離を移動するのは無理だと判断しただけじゃよ」
が──
それから数日が経ち、移住希望者の状況をクリスティンの相棒である三毛のケットシーに伝えたら、数時間後、クリスティンが再びギルドに現れた。
「どうも、数日振りですねギルド長」
「…だから扉を蹴破るなとあれほど……」
「ああすみません、気が急いてしまって。──で、石化病に冒されているというギルド員の妹さんはどちらにいらっしゃいますか?」
「なに…?」
「あ、私が突然お邪魔してもびっくりしてしまいますね」
ポンと手を打ったクリスティンは、カウンターの上にガラスの小瓶を置いた。
「こちら、石化病の特効薬です。ギルド員の妹さんにどうぞ」
「!?」
石化病の特効薬といえば、希少素材を大量に使い、熟練の錬金術師が魔力を注ぎ込んで作る希少な薬だ。
その金銭的な価値は勿論、素材を揃えられる機会が滅多に無いため、入手が非常に難しい。
妹御が発症してから半年。
ギルド全員で方々手を尽くして特効薬を探していたが、この王都でも病の進行を抑える薬しか手に入らなかった。
そんな幻の特効薬が、目の前にある。
「……いくらじゃ?」
どんな金額でも、自分が一旦支払って、その後ギルド員に少しずつ返してもらえば良い。
あの優しい少女が、手足の末端から結晶化して行く様など見たくはない。
問うと、クリスティンは首を横に振った。
「私の手元にあった物ですから、お代はいただきません」
「じゃが、希少なものじゃろう?」
対価を支払わないのは、どう考えてもだめだろう。
「暗殺者ギルド員の多くが移住を決めてくださったので、そのお礼とでも思ってください。石化病はケットシーに頻発する病ですから、ケットシーの相棒を持つ私としては、他人事とは思えないのですよ」
クリスティンがずいっとガラス瓶を押し出して来る。
「という訳で、差し上げます。早く持って行ってあげてください。──ああちなみに、完治した妹さんとそのお兄さんが移住を希望するとおっしゃるのであれば、大歓迎ですので」
にっこり、有無を言わさぬ笑み。
「……済まぬ、恩に着る」
一度、目をきつく閉じ、小さなガラス瓶を押し頂いた。
その後、特効薬を飲んだ妹御は劇的に回復し──
感謝の涙を溢れるほど流したギルド員は、妹共々、アンガーミュラー領への移住を決めた。
これで、王都に残ると言っているのは自分だけ。
散々迷ったが──ギルド員たちと話した結果、暗殺者ギルドを畳み、自分もアンガーミュラー領へ移住することにした。
「こんな老いぼれに出来る仕事があるとは思えんが」
「それはクリスティン・アンガーミュラーが何とかするでしょう」
現時点で、妙にクリスティンを信頼しているのが解せないが。
実際移住してみたら、金勘定とギルド員への仕事の割り振りをしていた自分には『会計役兼従業員の相談窓口』という役割が与えられ、なるほどこれが適材適所というやつか、と納得せざるを得なくなった。




