おまけ⑨【暗殺者ギルド長視点】移住の誘い(前)
本編42話あたりから終盤まで、暗殺者ギルド長視点のお話、前編です。
「──どうしてくれる!? 私が主に怒られたではないか!」
目の前の男が、唾を飛ばしながら怒鳴っている。
黙ってそれを眺めながら、こっそりと溜息をついた。
この男は一応依頼人だ。付き合いはそれなりに長い。
──暗殺者ギルドなどという組織と複数回取引をしている時点で、社会的にも人間的にも色々と問題があるのは確かだが…大口顧客に文句は言うまい。
「どう、と言われてもじゃな…ターゲットの詳細を教えてもらわん事には、適切な対処も出来ん。失敗して当然なんじゃよ」
今回の仕事は、依頼が来た時点で失敗するだろうと予測がついた。
何せ、ターゲットの外見特徴を上げ連ねられただけで、肝心の名前が分からない。
王都内に居るのは確かだと言われたが、居場所も、よく目撃される場所も不明。
名前に関しては、この男に訊いたら『そんな情報は不要だろう』と鼻で笑われた。
依頼するにしても、あまりに杜撰。
仕方なく、これも経験だと割り切って、ベテラン1名に比較的若いギルド員を3名付けて動かした。
結果はある意味予想通り。
まんまとターゲットに誘き出され、相手からの伝言を預かって帰って来るという暗殺者ギルドにあるまじき失態。
ベテランには『相手がアレなら断っていた』と恨みがましい目で見られ、最近簡単な依頼ばかりで調子に乗っていた若手3人は魂が抜けたようになっていた。
ギルド長としては、すっかり憔悴したギルド員たちの肩を叩いて慰めるくらいしか出来なかった。
ともあれ、その伝言を昨日、失敗の報告と共に依頼人に伝え──その時点でこの男は盛大に怒鳴り散らしていたが適当に丸め込んで帰らせて──本日、『主がお怒りだ』と、ご丁寧にも再度ここへやって来たわけだ。
お貴族様とその手下には、暇人が多いらしい。
「失敗して当然とはなんだ! 貴様ら、プロだろうが!」
「プロでも何でも、出来る事と出来ない事があるんじゃよ」
──まさか、相手があのクリスティン・アンガーミュラーとは。
外見特徴を聞いた時は、もしやと思った。
もしやと思った後、まさかそんなはずは、と打ち消した。
あのアンガーミュラー家の直系に武力で喧嘩を売る阿呆が居るとは思わなかったのだ。
うちの暗殺者ギルドは、20年以上前、アンガーミュラー家現当主のハロルド・アンガーミュラーとその他数名によって甚大な被害を受けた。
当時のギルド長はその責任を取って辞任。
100名以上居たギルド員は散り散りになり、行くあての無い数人だけがギルドに残った。
自分がギルド長に就任したのは、残った者の中で一番年嵩だったからだ。暗殺者以外の生き方を知らぬ者たちを無責任に放り出す事も出来なかった。
その後、細々と仕事を続ける中、今度はクリスティン・アンガーミュラーが現れた。
ハロルドの娘は1人の冒険者を伴い、殺気立つ留守番のギルド員をあっさり気絶させてギルドの中を一通り物色し、駆け付けた自分と少々話をした後、失礼しました、と笑顔で一礼して帰って行った。
後の調べで、その冒険者の人探しを手伝っていたのだと判明したが──貴族令嬢が冒険者と行動を共にし、たった2人で暗殺者ギルドに乗り込む。
意味が分からない。
その時は留守番のギルド員が叩きのめされた以外に被害が無かったため、他のギルド員たちには侵入者の名前だけ教え、人相の情報を共有する事は無かったのだが──失敗だったかも知れない。
顔を知っていれば、ターゲットが奴だと判明した瞬間に逃げる事もできたはずだ。
──とはいえ、そんな事を口に出せるはずも無く。
「そんな言い訳が通ると──」
激昂した依頼人が、カウンターの天板を叩くために拳を振り上げた瞬間。
──バン!
「!?」
盛大な音が響き、室内に居た者たちは一斉にそちらを見た。
「…?」
開いた扉の向こう、にゅっ、と足が一本、室内に向けて突き出されている。
先程のは扉を蹴破った音だったらしい。
…この状況、とても覚えがある。
「どうも、お邪魔しますね」
足が引っ込んだ後、落ち着き払った足取りで入室して来たのは、若い女。
それが予測と寸分違わぬ相手である事を認識して、溜息をつく。
…来たか。
「く、クリスティン・アンガーミュラー…!?」
依頼人がギョッとして後退った。
まさかこんな所に、自分が殺害依頼を出したターゲット本人がやって来るとは思わなかったのだろう。
王都住まいの貴族連中は、『アンガーミュラー』を甘く見過ぎだ。
「あら…私をご存知の方がいらっしゃるようですね」
依頼人の姿を認識し、すっとクリスティンが目を細める。
その後ろから、やはり見覚えのある顔が覗いた。
「あ、そいつギルド員じゃないわね。依頼人かしら」
身なりや気配で判別したのだろう。
あっさり言い放った冒険者の女──ラフェットが、クリスティンの横で腕組みした。
「丁度良かった、かしらね」
「…っ!」
にやり、不敵な笑みを浮かべる女冒険者に、依頼人がざっと血相を変えて駆け出し──クリスティンとラフェットの横を通り過ぎた先で、ぴたりと動きを止める。
「──ベレスフォードの縁者だな」
出口を塞ぐ冒険者風の男が依頼人を見遣り、断定口調で呟く。
「ち、ちが──」
「ええ、間違いありませんね。懐中時計にベレスフォード公爵家の紋章があります」
「!?」
クリスティンが、手元の懐中時計を見て言った。すれ違う一瞬で依頼人の持ち物を掠め取ったらしい。
どう考えても貴族令嬢のやる事では無いが、今更か。
「レオン、申し訳ありませんが、この方を衛兵部隊の本部へ連れて行っていただけますか? 今の時間なら、ジェフリーが居ると思いますので」
彼に『クリスティンが『重要参考人だ』と言っていた』と伝えてもらえれば、良い感じに対応してくれますから。
さらりと言われた冒険者風の男──冒険者ラフェットの相棒、『双頭龍』の片割れレオンは、懐中時計を受け取り、承知したと頷いて依頼人の肩を掴んだ。
「では、行くか」
「は、ハヒ…」
依頼人が真っ白な顔でカクカクと頷き、レオンと共にギルドを出て行く。
…終わったな。色々と。
現実逃避したくなるのを何とか堪え、クリスティンとラフェットの方へ向き直る。
「以前も言ったような気がするが、扉を蹴破るのはやめてくれんか、クリスティン嬢」
「すみません。今日も建付けが悪いようでしたので」
クリスティンが白々しい笑顔で言った。
ギルドの扉には常に鍵が掛かっている。基本的に、関係者以外は開けられない。
開錠する手間を惜しんで、物理で無理矢理突破したのは明らかだ。
「表に居る見張りの方々の心を折って開けていただくよりは良いでしょう?」
「………そうじゃな」
気配を探った限り、その見張りは魔法か何かで気絶させられているようだが。
トラウマを植え付けられるよりはマシか。
「──それで、かのアンガーミュラー家のご令嬢に、天下の『双頭龍』が連れ立って、こんな場末に何の用かの?」
用向きを訊ねると、クリスティンは軽く頬に手を当てた。
「一応お聞きしたいのですが、先日私を襲撃した件、依頼人は先程の男という事で間違いありませんか?」
「そうじゃ」
問われ、即座に頷く。
襲撃者がうちの手の者だというのはバレているようだし、依頼人はつい先程連行されて行った。下手に隠し立てするのも労力の無駄だ。
クリスティンは満足そうに頷いて、本題はですね、とあっさり話題を変える。
「こちらのお若い方に『うちの領に来ないか』とお誘いを掛けたのですが、詳細な条件をお伝えしていなかったな、と思いまして」
「………」
後編は明日の9時に投稿予定です。




