おまけ⑦【リサ視点】新たな日々
魔法道具技術者のリサ視点。本編終了時くらい、アンガーミュラー領での日々のお話。
「──って感じで、ここの基礎方陣は簡易式の螺旋紋に変えて…」
「いや、そうするとこっちとの接続レベルが一段下がるだろ? だったら、螺旋じゃなくて複層式方陣を入れれば──」
「ああ、なるほど! …素材はやっぱりミスリル銀ですかね?」
「いや、このサイズだと予算がなあ…銅、いや、ミスリル混の鉄か、いっそ純銀あたりで」
「うーん…それだと重くなりすぎませんか? ツインヘッドの骨とかでもいけそうですけど」
「骨か…面白そうだな。やってみるか?」
「ぜひ!」
「…朝から賑やかですねえ」
唐突に背後から聞こえた言葉に、私はハッと我に返った。
「え、もう朝!?」
「リ、リサ!」
「あ」
思わず口走ると、目の前のマーカス様が声を上げ、一瞬遅れて状況を理解する。
「…マーカス、リサ」
ひんやりとした空気が背後から漂い、言い知れない圧力を感じて、私は恐る恐る振り返った。
「………お、おはようございます、クリスティン様…」
マーカス様の姉君、クリスティン様が、とても綺麗な笑顔を浮かべて立っている。
それを見て、私の背中にぶわっと汗が噴き出した。
ここ数日で理解した。
この整った笑顔は、クリスティン様が怒っている時の顔だ。
「おはようございます、リサ。──で、どこに逃げようとしているのですか、マーカス」
「!」
振り向くと、マーカス様がこっそり出口へ向かおうとしていた。
…なんということでしょう。上司が逃げようとしている。
「マーカス様の裏切り者―!」
即座に叫ぶと、マーカス様は慌てた表情で首を横に振った。
「ちっ、違うって! ちょっとトイレに行こうとしただけで」
「マーカス」
「ハイ!」
クリスティン様が声を掛けると、マーカス様がビシッと直立不動になった。
「………徹夜だけはするなと、何度言ったら分かるのでしょうね……」
深い深い溜息。
呆れているのが分かるクリスティン様の表情に、私はしゅんと肩を落とす。
…徹夜しようと思ってしたわけじゃない。
時間の経過が早すぎるのがいけないんだ。
「リサ、時間は勝手に過ぎるわけではありませんよ」
「う」
私の内心を読んだように、クリスティン様が釘を刺す。
…ホント、どうして考えてる事が分かるんだろう。
「姉上だって以前は書類仕事で徹夜してたじゃないですか」
ズバッとマーカス様が切り込んだ。
クリスティン様は誰もが認める仕事人間だ。
──ああいや、クリスティン様自身は否定していたから、『誰もが認める』って言うのは違うか。
「ずいぶん前の話でしょう? 今は、日付が変わる前には就寝するようにしています」
涼しい顔で切り返しているが、私はマーカス様から聞いて知っている。
クリスティン様の睡眠時間が確保されているのは、ケットシーのマダム・シルクが無理矢理仕事を取り上げて、寝るよう促しているからだ。
《どっちもどっちなのは事実だけど、マーカスとリサはやり過ぎよ。これで連続何日目だと思ってるの?》
クリスティン様の横から、マダム・シルクがこちらを見上げて溜息をつく。
窓際に座っていたもう1匹のケットシー、シフォンが、ぺたんと耳を伏せた。
《ごめんなさいお母さま。昨日は『強制停止』で魔法道具を止めたんですけど、今度は魔法回路の改造のお話で盛り上がってしまって…》
「…マーカス」
「…」
クリスティン様に睨まれたマーカス様が、即座に視線を逸らした。
シフォンが必死に『今日はもう終わりにしましょう!』と呼び掛けていたのは知っている。
知っているが、それで止められるかどうかは別問題だ。
昨夜は良い感じにアイデアが浮かんで来て、それを形にするまでは──と思ってマーカス様と話し始め、気が付いたら朝だった。
マーカス様は本当に優秀な魔法道具技術者だ。
私は新しい魔法道具の案を出したり、そのために必要な機能を魔法回路にひたすら詰め込んで構築する事は出来るが、その魔法回路を実現可能なレベルまで簡略化したり改良したりするのが難しい。
魔法回路を素材に書き込もうとしたら、必要面積が広すぎて希望するサイズにどうしても収まらないなんて事は日常茶飯事。
父さんの義足だって、案を思い付いてから実現するまで、3年近く掛かった。
でも、マーカス様は違う。
こんな魔法道具を作りたいんですと魔法回路の案を見せると、その日のうちに改良を始め、気が付くと素材の選定や追加機能の回路構築まで終わっている。
早ければ翌日には実用レベルの試作品が作れるのだ。
最初はその展開の早さについて行けなかったが、最近はマーカス様と改良に関する議論も出来るようになってきた。
それが、とても楽しい。
が。
「…シフォン。次からは、『暗夜の帳』の魔法も併用して構いません」
《は、はい!》
「うえっ!?」
クリスティン様は容赦が無かった。
視界をゼロにする魔法の名前を出されて、マーカス様が顔を引きつらせる。
…マーカス様、真っ暗闇がどうしてもダメなんだって言ってたもんね…。
今まで使わなかったのは、シフォンなりの優しさだったんだろう。
さらに、マダム・シルクも真顔で言う。
《どうしても困るようなら私を呼びなさい、シフォン。強制的にベッドに放り込むくらいは出来るわ》
《ありがとうございます、お母さま》
「そこでホッとしたような顔をするな、シフォン!」
…どうしよう。味方が居ない。
もうちょっとで改良案が形になるのに…。
「リサ」
「はい!」
「たまにはデリックの所に顔を出して、親子水入らずの時間を過ごしたらどうですか? 先日会ったら、『娘が会いに来てくれない』と嘆いていましたよ」
「え…」
思わぬところで父の名前が出て来た。
会いに来てくれないって言われても…
「…今やっている魔法道具の改良は、父の義足のためなんですが…」
ぽろり、零すと、クリスティン様は一瞬動きを止めた。
「……それは、仕方ないですね…」
眉間に手を当て、複雑な表情で呻く。
「でしたら、近況を手紙にでも書いてあげてください。何の知らせも無いのが不安なのでしょうから」
「わ、分かりました」
まさかそこまで父が気にしているとは思わなかった。
…でも考えてみたら、私は以前、貴族に拉致監禁されていたのだし、今の雇い主のアンガーミュラー家もお貴族様だ。
あの脂ぎったオッサンとアンガーミュラー家の方々は似ても似つかないけど、父が気を揉むのは当然かも知れない。
私は元気です、って、手紙くらいは書こうかな…。
「何であれ、無理は厳禁です。たとえ自覚が無くとも疲れは溜まります。今日は一日、きちんと休んでください」
「え、でも」
せっかく頭が冴えているのに。
思わず呟くと、クリスティン様はちょっと厳しい表情になった。
「雇用主命令です。間違っても、休む振りをして魔法回路をメモに書き散らかすなんて事はしないように。良いですね?」
「………ハイ」
また注意されてしまった。
でも、さっきまで話していた事を書き留めておくくらいは良いよね?
寝て起きて、忘れちゃったら困るし。
「ああ、それと」
「?」
部屋を出ようとしたクリスティン様が、扉を閉める直前にこちらを振り返った。
「ツインヘッドの骨は、魔法回路を刻もうとするとボロボロになって崩れ去るらしいので、パーツとしてならともかく回路を刻むのには向きませんよ」
「えっ!?」
「マーカス、以前実験していたでしょう。記憶を掘り起こせないくらい疲労しているのですから、素直に休みなさい」
『……』
ぱたん、扉が閉まると、私とマーカス様は無言で顔を見合わせた。
見詰め合うこと暫し。
「……寝るか」
「……そうですね……」
ひとつ、分かった事がある。
…どうやら私たちは、どう頑張ってもクリスティン様には勝てないらしい。