おまけ⑤【ヴィクトル視点】アンガーミュラー領という魔窟(2)
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ヴィクトル視点、アンガーミュラー領での日々その②です。
アンガーミュラー領での日々は、私の想像の斜め上を行っていた。
例えば、鍛錬。
アンガーミュラー家の人々は、全員、何かしらの武術や武器の修練を積んでいる。
当主のハロルドは大剣使いと聞いていたが、徒手空拳での格闘術も嗜んでいた。
むしろ格闘術の方が習熟度は高いらしい。
当主夫人のジャスティーンは、言わずと知れた武の名門、アーミテイジ侯爵家の出身だ。
身の丈以上ある長柄戦斧を軽々と振るう姿を見て、こちらに嫁ぐ前の二つ名、『赤金の戦姫』が誇張でも何でも無かったという事を知った。
クリスティンはハロルドから格闘術の手ほどきを受けていて、武器は色々と模索中だそうだ。
現在の第一候補は母親と同じ長柄戦斧だそうだが、『遠距離から敵を打ち抜くという点では、弓にも心惹かれますね』と笑顔で言われた。
…貴族令嬢が打ち抜く『敵』って、何だろうな。
マーカスはまだ幼いので、武器武術の鍛錬と言うよりは、筋肉や骨格を作るために身体を動かしているらしい。
武器は既に決まっていて、『7歳になったら細剣の訓練を始める予定です』と言っていた。
総じて、ちょっとおかしい。
何がおかしいって、鍛錬の密度が段違いなのだ。
私も王宮に居た頃、騎士団幹部から剣術の手ほどきを受けていた。
その頻度は、3日に1度、2時間程度だ。
一方この一家は、毎朝3時間みっちりと身体を動かす。
朝食前に2時間、朝食後に小休止を挟んで1時間。
ついでに夕方、仕事が早く終わったら残りの時間は鍛錬に費やす。
しかもその内容は、素人の私でも分かるくらい実戦的でレベルが高い。
…騎士だったらまだ分かる。
だが、彼らは領地を預かる貴族の一家だ。
領地の視察や各所への指示出し、書類の作成や各種手続きなど、領地を治めるのに必要な業務は毎日山積している。
それを全てこなした上での、鍛錬なのだ。
どうして毎日3時間も確保できるのか、どうしてそれだけ身体を動かした後に普通に仕事が出来るのか、全く分からない。
私はマーカスと一緒に身体を動かしただけでヘトヘトになるのだが。
クリスティンに訊いてみたら、とてもイイ笑顔で言われた。
「慣れですよ」
…慣れ、とは。
そんな鍛錬と仕事の合間を縫って、魔力制御の訓練もかなり早い段階で始まった。
生徒は私とクリスティン、マーカスは見学。そこまでは良い。
問題は、教師だ。
《おはよう、クリス、マーカス》
「おはようございます、エルダー」
「おはようございます」
「…!?!?」
初めて会った日、私は腰を抜かしそうになった。
見た目は、色味の濃いフクロウ。
ただしその目は濃い魔力を宿した金色で、纏う気配は魔物のそれ。
──ナイトオウルの亜種…いや、上位種の、ミッドナイトオウル。
王都では優先討伐対象とされている危険な魔物が、当たり前の顔で目の前に降り立った。
《お前さんが、ハロルドの言っておった王子様じゃな? わしはミッドナイトオウルのエルダー。お前さんたちの魔力制御の教師役を任された》
「エルダーは、父の相棒です」
マーカスが補足してくれる。
アンガーミュラー領では魔物が人間と共に生活していると話には聞いていたが、まさかケットシーやシルバーウルフだけではなく、こんな魔物まで身近に居るとは思わなかった。
『アンガーミュラー領は魔窟だ』という話も、あながち間違いではないのかも知れない。
…ともあれ、教師役と言うからには目上の相手だ。
「──ヴィクトル・ヴァイゼンホルンと申します。よろしくご指導ください、エルダー」
私が丁寧に一礼すると、エルダーはとても楽しそうに笑った。
《ほっほっほ。敬語なぞ不要じゃよ、ヴィクトル。わしも気楽にやらせてもらうから、お前さんも肩の力を抜くと良い》
「…分かった」
指摘されて初めて、緊張で身体が強張っていた事に気付いた。
…いや、高位の魔物を前にして、緊張するなという方が無理だと思うが。
《──では、早速授業に入ろうかの。クリス、前回教えた事は覚えておるかの?》
「はい、エルダー。頭の中で練習してきました」
《うむ、よろしい。では、今回は実際に試してみるとしよう》
つい先日魔力制御の基本を教わり、いよいよ魔法を使う段階に達したクリスティンが、今日、初めて魔法を使うのだという。
「…」
手を前に掲げ、集中するクリスティン。
いつになく真剣な表情だが、私はその頭上に浮かぶ文字の方が気になって仕方なかった。
──『魔力量:化け物級』。
…化け物呼ばわりされているが、一体何が基準になっているのだろうか。
今の状況でその情報を提示されても、不安を煽る要素にしかならないのだが。
「──!」
クリスティンが目を開き、魔力が膨れ上がる。
その瞬間、頭上の文字が変わった。
──『魔力制御:人並み』
魔力制御能力は、人並み。
…化け物級の魔力を持っているのに?
膨れ上がり、クリスティンの眼前に集まる魔力は、明らかに普通の量ではない。
私が息を呑んだ瞬間、クリスティンが呪文を唱えた。
「──火球!」
キュオン、と、今まで聞いた事の無い音がする。
出現した握りこぶし大の火の玉は、よくあるオレンジ掛かった赤ではなく──白色。
「…!!」
全身から音を立てて血の気が引いた。
──私は、その色を知っている。
「…獄炎!?」
以前一度だけ、王宮に勤める高位の魔法使いが見せてくれた攻城戦級魔法。
辺り一帯を焼き尽くす煉獄の炎は、最初、あんな色の火球として出現する。
「待っ──」
制止の声を上げるより早く、白い火球は前方の湿地帯に向けて放たれてしまった。
飛んで行く先は、20メートルほど離れた地面。
『火球』の魔法としては普通だが──近過ぎる。
着弾した瞬間、白い火球は急速に膨れ上がった。
「──っ!!」
私は咄嗟に地面を蹴り、佇んだままのクリスティンとマーカスの胴体を抱えて方向転換、身体強化魔法付きの全速力で着弾地点の反対方向へ逃げ出した。
鼓膜を破りそうな轟音が一瞬遅れて響き、圧倒的な熱量が背中を焼く。
200メートルほど全力疾走して、私はようやく2人を降ろした。
恐る恐る振り向くと──
「…………」
範囲は、直径50メートルほどだろうか。十分な水分を湛えていたはずの湿原の地面は、乾燥を通り越して焦土と化していた。
中心部分に至っては、焦土どころか赤熱して一部が融けている。
岩が融ける程度の温度に達していたらしい。
《うむ。出来たようじゃな》
いつの間にか真横に浮かんでいるエルダーが、満足そうに頷いている。
私は思わず突っ込んだ。
「いやいやいや、これ全っ然『火球』じゃない! 何で初心者がいきなり『獄炎』!?」
「ヘルブレイズ?」
「火属性の攻城戦級魔法ですね」
きょとんと首を傾げるクリスティンと、冷静に述べるマーカス。
「私が使ったのは、『火球』ですが」
「威力が普通の『火球』じゃない!」
「えぇ…」
残念そうな顔をされてもこちらが困る。
マーカスがしたり顔で頷いた。
「姉上、魔力の制御が雑過ぎるんですよ。ほら、こうして」
ちょいちょいと手を動かすと、空中に握りこぶし大の水球が浮かび──伸びたり縮んだり、果ては粘土細工よろしく動物の形になったりと、次々変形して行く。
「……………いや、君の魔力制御もかなりおかしいからな?」
私は脱力感に襲われながら、何とか言葉を絞り出した。
…マーカスの頭上には、『魔力制御:ちょっと常識外れなくらい高精度』という文字が燦然と輝いていた。