おまけ④【ヴィクトル視点】アンガーミュラー領という魔窟(1)
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エピローグに出て来たあの人(の若い頃)視点、アンガーミュラー家滞在中のお話その1です。
ちょっと長くなりそうなので分割してお届けします。
私の眼に特殊な能力が宿ったのは、12歳の誕生日を過ぎた頃。
その日を境に、世界は姿を変えてしまった。
人が怖い。物が怖い。
ずっと目を閉じていたいけれど、自分の立場でそれが許されるはずもない。
──誰もこんな力、望んでなどいないのに。
そうやって少しずつ疲弊して行く私を心配した両親は、とある領地に私を預ける事を決めた。
この国の西の最果て、ダスティン公爵領──いや、アンガーミュラー領。
王都の貴族たちは言う。
『王国の辺境』『西の果ての魔窟』──王都や自領以外を知らない、知ろうともしない者が、眉を顰めてその領地を侮辱する。
私から言わせれば、平然とそういう事を言う彼らの住む、この王都こそが『魔窟』だ。
だから14歳になる頃、私は両親の言葉に従い、はるばる西の地へやって来た。
──ここで過ごす日々が、後の私の人生を変えると知らないままで。
アンガーミュラー領の領主の館は、街から離れた湿地帯の中、小高い丘の上にあった。
王都はすっかり春の陽気に包まれていたが、このアンガーミュラー領では、まだ所々に雪が残っている。
雪解け水で必要以上にぬかるむ湿地帯の中、申し訳程度に砂利が敷き詰められた道を馬車で通って、私はその屋敷にやって来た。
「お待ちしておりました。そして、お久しぶりにございます。アンガーミュラー領へようこそ、ヴィクトル・ヴァイゼンホルン殿下」
「3年振りか、ハロルド殿。しばらく世話になる」
現当主のハロルドに出迎えられ、荷物を預けて応接室に通されると──そこで待っていたのはハロルドの妻、ジャスティーンと、少女と男児が一人ずつ。
「お初にお目に掛かります。アンガーミュラー家当主ハロルド・アンガーミュラーの娘、クリスティン・アンガーミュラーと申します」
「同じく、弟のマーカス・アンガーミュラーです」
少女は私よりかなり年下、8歳ほどだろうか。
男児はさらに幼く、6歳程度。
名乗りを信じるなら、事前に聞いていたハロルドの娘と息子なのだが──異常に落ち着き払った態度に流暢な喋り、明らかに普通の子どもではない。
何より、私の『眼』がおかしな情報を伝えて来ていた。
(『過去の記憶持ち』…?)
意味の分からない単語が、少女と男児──クリスティンとマーカスの横を浮遊している。
──いや、2人だけではない。
なるべく意識しないようにしていたが、ハロルドの頭上にも同じ単語が見えていた。
『識者の眼』──これが、私の『眼』に宿った奇妙な能力。
私の先祖、この国の初代王が持っていたとされる、あらゆるモノの本質を見抜く力だ。
もっとも私には、この能力が初代王と同一のものだとは到底思えない。
…王宮で働く文官の頭上に『幼女趣味』なんて単語が踊っていたら、誰だって自分の目と頭を疑うだろう。
初代王の特殊能力が、こんな要らない情報を伝えて来るものだとは思いたくない。
「私たちの顔に、何かついていますか?」
思考に沈んでいる間、クリスティンの顔を凝視したまま固まってしまっていた。
クリスティンに訊かれ、私は慌てて取り繕う。
「ああ、済まない。疲れが出たようだ」
しかし、クリスティンは生真面目な顔で頬に手を当て、
「ヴィクトル殿下の『眼』の件は、私も聞き及んでおります。何か気になる事がありましたら、口にしてしまって大丈夫ですよ」
「え?」
私はギョッとして身体を強張らせる。
…出会って数秒であっさり踏み込んで来るなんて。
硬直する私に構わず、クリスティンは平然と言った。
「能力と向き合うために、ここへ来たのでしょう? 取り繕うのは時間の無駄だと思いませんか?」
言うに事欠いて、時間の無駄。
絶句する私の視界の端で、クリスティンの横に浮遊する文字が変わった。
今度は、『空気は読まない』と書いてある。
何故だ。
「姉上、対応が雑すぎます」
マーカスが子どもらしからぬ態度で溜息をついた。
「誰だって言い難い事はあるでしょう。初日から飛ばしてどうするんですか」
言い終えないうちに、マーカスを示す文字も変わる。──『苦労性』。
見れば分かる。
分かるが、子どもの性質を表す単語としてはちょっとどうかと思う。
今まで空中に浮かぶ文字は出来るだけ視界に入れないようにしていたから、文字が変わるのを認識したのは初めてだ。どうして良いのか分からない。
「…ヴィクトル殿下、こちらへ」
子ども2人のやり取りに溜息をついたジャスティーンが、ソファを勧めてくれる。
促されるままにソファに座ると、すぐにアンガーミュラー家一同も腰を下ろした。
「さて──」
ハロルドが軽く咳払いして、私に顔を向ける。
「順番が前後してしまいましたが、折角なので本題に入りましょう。──我がアンガーミュラー家には、初代王の『識者の眼』に関する資料がいくつか残っております」
私は目を見開いた。
初代王の特殊能力『識者の眼』は伝説とされていて、伝わる情報は口伝ばかり。
本や書類といった具体的な資料は、王宮には皆無だった。
それなのに何故、西の果てのこの地には資料があるのか。
「建国以前、初代王となる方がこの地を訪れたのはご存知ですね?」
「ああ」
素直に頷く。
王位継承権を持つ者は様々な事を学ぶ。建国史もその一つだ。
初代王は、現在『アンガーミュラー領』と呼ばれている場所で世界の仕組みを知り、力と知識を蓄え、その後仲間と共に国を作った──教師から教えられた事を諳んじると、ハロルドは頷いた。
「つまり、初代王は比較的長期間、この地に滞在していたのです。資料が残っているのはそのためですよ」
「なるほど…」
私が納得していると、横から涼しい顔でクリスティンが口を挟んだ。
「逆に王宮には資料が残っていないのではありませんか? 建国後には、都合の悪い事実は積極的に揉み消していたでしょうから」
図星だが、とても同意し難い事を言う。
『識者の眼』の情報が『都合の悪い事実』だとは思いたくない。
「……確かに、王宮に資料は無かったな」
辛うじて頷く。
クリスティンは頷き返して来て、
「実は下手をすると恥ずかしい趣味嗜好が国王に筒抜けになっているなんて、絶対に臣下には知られたくなかったでしょうね」
「………え?」
それは、私が常日頃悩んでいるのと同じ状況。
──まさか、初代王にも同じ事が起きていた…?
「これを見てください」
クリスティンが古い書物をテーブルに置いた。
差し出されたページを走り読みすると、『無駄情報がとても邪魔。友人の浮気相手の情報なぞ要らん』という文字が目に入った。
…初代王の、日記、か…?
それにしてはやたら言葉が荒っぽいし、字も汚い。
しかし、その文字が示す状況と感想に、私は心の底から共感した。
「どうやら『識者の眼』は、意識しないで使っていた場合、相手の特徴の中から無作為に一つ、情報を提示してしまうようなのです」
クリスティンが冷静に解説する。
淡々と説明しているのだから、小さな指でしっかりと『友人の浮気相手』という文字を指すのをやめて欲しい。
「きちんと制御できるようになれば、必要な情報を必要なタイミングで得られるようになるそうです」
「制御?」
「具体的には、魔力の操作ですね。『識者の眼』に使う魔力を精密に制御する必要があります」
クリスティンが顔の前で指を立てた。
「あと、身体も鍛えて、動揺しないように精神を制御する方法も学ばなければなりません。どれか一つだけ突出すると、心身のバランスが崩れてしまいますから」
それは私も知っている。
王族は比較的魔力量が多いから、魔力制御は必須だ。
護身のために剣術も学んでいる。
感情を表に出さない方法も、既に身に付けているつもりだ。
…ただでさえ私は、色々と訳有りだからな…。
「分かった。真面目に取り組もう。──迷惑を掛けるが、よろしく頼む」
沈んだ心を悟らせぬよう、私は真剣な表情でアンガーミュラー家の面々に頭を下げた。
「──そういえば、ハロルドとクリスティンとマーカスには、『過去の記憶持ち』という情報が『視えた』のだが…」
「ああ、それは『今の人生の前の記憶がある』という意味ですね」
「い、今の人生の前?」
「別人として生きていた記憶です。どうも、別の時代か、それとも別の世界か──『ここ』とは違う常識や法則がある世界の記憶のようなので、それほど役には立ちませんが」
「いや、役に立たないとかではないだろう。とても珍しいのではないか?」
「アンガーミュラー家の直系は大体そういう感じですよ?」
「ええ………」




