おまけ②【ユーフェミア視点】私とケヴィンの未来
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ユーフェミア視点、本編終了後のお話です。
「…これで、今日の分はお終い…と」
すっかり慣れ親しんだアーミテイジ侯爵家本邸の一室で、私は本日最後の書類を文箱に入れた。
クリスティンたちがアンガーミュラー領へ帰ってから、1ヶ月ほど。
私は王都に残り、ベレスフォード元公爵が引き起こした一連の事件の被害者やその家族の相談に乗って訴状を作る手伝いをしている。
王宮でベレスフォード公爵と取り巻きの一部が捕縛されたという情報は、その日のうちに王都の貴族の間に広まり、貴族たちは大混乱に陥った。
文官系貴族の一大派閥、その筆頭がベレスフォード公爵だ。
財力、権力、どれを取っても王族に次ぐ勢力だと言われていたのに、たった1日で全てが崩壊してしまった。
その崩壊を引き起こした中心人物であるクリスティンは、既にアンガーミュラー領へ引き揚げている。
王都に残った私やジェフリーのところに貴族たちから面会依頼が殺到したが、ジェフリーの母君、アーミテイジ侯爵夫人が全て引き受けてくれた。
『ユーフェミア、貴女は貴女のなすべき事をなさい。うるさい小鳥はこちらで黙らせておきましょう』──凄味のある笑顔で言い切ったアーミテイジ侯爵夫人に、ジェフリーが少しだけ青い顔をしていたのが気になる。
そのジェフリーは、つい最近までベレスフォード公爵邸潜入時の集団強姦未遂事件の調査で忙殺されていた。
それが一段落したと思ったら、今度はベレスフォード公爵邸の強制捜査で発覚した事実に関する裏付け捜査と諸々の処理。
屋敷に帰る時間も惜しくて、敷地内にある衛兵部隊の本部に泊まる事も少なくないらしい。
どう考えても働き過ぎなのに、彼は衛兵部隊の中核を担う者として当然ですと笑っていた。
被害者たちの心情を考えれば、出来るだけ早く事実を明らかにし、奴らを裁けるようにしなければなりません、とも。
…とても誠実な方だと思う。こちらが心配になるくらい真っ直ぐで、正義感が強い。
貴族社会ではそれが足枷になるかも知れないが、私にはジェフリーの真っ直ぐな言動が輝いて見えた。
「私も頑張らないと…」
決意を新たにしていると、扉が控え目にノックされる。
この少しゆったりしたリズムは、ジェフリーだ。
アーミテイジ侯爵邸に滞在している間に、すっかり覚えてしまった。
「どうぞ。開いていますよ」
声を掛けると一拍置いて扉が開き、ジェフリーが入って来る。
「お疲れさまです、ユーフェミア嬢。今、よろしいですか?」
「ええ、丁度今日の分の書類が終わったところです。お疲れさまです、ジェフリー様」
私が微笑むと、ジェフリーが顔をほころばせた。
ソファに対面に座り、メイドが淹れてくれた紅茶を飲んで息をついたら、溜息が重なった。
出会ってからまだそれほど経っていないのに、こうして行動が重なるのが何だか不思議で、嬉しい。
「──お仕事の方は、順調ですか?」
私が切り出すと、ジェフリーはパッと顔を上げ、難しい表情になった。
「正直、順調とは言い難い。ですが、何とかしてみせますよ。王宮の調査担当官も待っていますから」
衛兵部隊の捜査が終われば、加害者たちの罪を確定するのに一歩近付く。
そう言うジェフリーの目の下には、くっきりとクマが出来ていた。
服は着替えたようだが、全身から漂う疲労感は隠しようも無い。
相当な無理をしているのだろう。応援する事しか出来ない自分が歯痒い。
「ところで──ユーフェミア嬢」
「はい」
紅茶を飲み干したジェフリーが、改まった態度でこちらに向き直った。
「この度、私は、王族直轄領の一部を賜る事になりました」
「まあ…!」
私は驚いて目を見張る。
報奨金ではなく、土地。それも王族直轄領の一部となると、ジェフリーの働きを国王陛下が非常に高く評価してくださったのだろう。
「おめでとうございます、ジェフリー様」
私が笑顔でお祝いを述べると、ジェフリーはぽりぽりと頬を掻いた。
「…と言っても、厳密には元ベレスフォード公爵領の一部が取り上げられて、そこがアーミテイジ侯爵家に下賜されるのですが。飛び地なので父が直接治めるのには不便だと、私に話が回って来た次第です」
「そうなのですね」
それでも、父君がジェフリーの事を信頼していなければそんな話は出ないはずだ。
謙遜しなくて良いと思うのだが。
「それで、ですね」
ジェフリーが真剣な表情になった。むしろ本題はここからのようだ。
「下賜される土地は、穀倉地だそうです。やせ地で、収量はそれほど多くないようですが」
一瞬何かを躊躇うように視線を彷徨わせた後、
「その──ですので、ユーフェミア嬢のお知恵をお借りしたいのです」
私の故郷、ファーベルク伯爵領は、この国でも有数の穀倉地帯だ。
穀物やその他の作物の栽培だけではなく、畜産や各種加工品の生産にも力を入れている。
やせ地を肥沃な土地に少しずつ変えて行く方法も、やせ地に適した作物の栽培方法も、私の知識にある。きっと力になれるはずだ。
私は笑顔で頷いた。
「勿論です。とても良くして頂いておりますもの。いくらでも知恵をお貸しします」
言った途端、ジェフリーはその場で固まった。
…私は何か間違えてしまったのだろうか?
困惑していると、ジェフリーは深々と溜息をつき、頭に手を当てた。
「…申し訳ありません、言い方を間違えました。クリスティンにも『変な所で回りくどい事をして事態を悪化させる癖があるから気を付けろ』と言われていたのですが……」
クリス、ちょっと率直に言い過ぎだと思う。
私が思わず内心で呟いている間に、ジェフリーはソファから移動して私の前に跪き、真っ直ぐにこちらを見た。
「──ユーフェミア・ファーベルク伯爵令嬢。どうか私と、結婚していただけないだろうか?」
「え──?」
思考が止まった。
──今、何て?
結婚……ジェフリー様と、私が?
でも──
「もし良ければ、ケヴィン君と養子縁組し、息子として迎えたい。その…3人で、家族になりたいのです」
私の思考を読んだように、ジェフリーが言う。
ケヴィンを育てると決めた時、私は貴族としての結婚を諦めた。
私はケヴィンを手放す気は無いし、私生児と養子縁組してまで私と結婚するような貴族は居ないと思ったからだ。
けれど今、それを自ら口にしている人が、目の前に居る。
「だめでしょうか?」
顔を赤くしながらも、ひたすらこちらを見詰めるジェフリー。
その視線はとても誠実で──胸が痛くなる。
「…ありがとうございます、ジェフリー様。ですが、私は…その、子を産むことが難しいのです」
私が告げると、ジェフリーはきょとんとした顔になった。
「ケヴィンが居るではないですか」
…だから、産める、と思っているのだろうか。
私は絶望的な気持ちになりながら、ジェフリーに丁寧に説明する。
──生まれつきの体質で、子を宿すことが難しい。ケヴィンを産めたのは奇跡に近い。
だから結婚したとしても、恐らくジェフリーの子を産むことは出来ない。
「…子を産めない者を妻として、ジェフリー様の未来に傷を付けてはいけません。まして、アーミテイジ侯爵領の飛び地扱いとはいえ、領地を賜るのですから」
土地持ち貴族として後継ぎは必須だが、血の繋がりの無いケヴィンは後継ぎになれない。
だから、きちんと子を産める女性を妻に迎えた方が良い。
私がそう言うと、ジェフリーは目を見開き──
「──大変申し訳ない!」
その場で勢い良く頭を下げた。
「ジェフリー様!?」
床に頭がついているのではないか。
その姿勢のまま、ジェフリーは言葉を続ける。
「そういう意味ではないのです! その、ケヴィンが居るから、私と貴女の間に子ができなくても、十分幸せだと! そう思ったのです!」
「え──」
「それに、私がしたいのは普通の養子縁組ではなくて、特例養子縁組の方です。そちらなら、ケヴィンを後継ぎに指名できますから」
彼の『ケヴィンが居るではないですか』という言葉は、私が思ったのとは真逆の意味だった。
むしろ彼は、ケヴィンの未来まで考えて、許可を得る事が困難な特例養子縁組をしようとしてくれている。
必死に説明するジェフリーの姿に、胸の内に温かいものが広がって行く。
──こんなに誠実に私たちの事を想ってくれる人が居るなんて。
「…ジェフリー様、お顔を上げてください」
私が穏やかに声を掛けると、ジェフリーはばっと顔を上げた。
涙目になっている。
「私で、本当に良いのですか?」
「勿論です! 貴女だからこそ、共に歩んでくれたらと!」
「ケヴィンも、大事にしてくれますか?」
「約束します! 私にとっても、我が家にとっても、ケヴィンはもう家族同然ですから!」
確かにケヴィンは、この家の方々に本当に良くしていただいている。
全ての言葉に嘘偽りは無い。
とても真っ直ぐで、誠実で──素敵な人だ。
「本当にありがとうございます。──その、ケヴィン共々、どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」
「…!!」
──こうして、私とケヴィンの未来は変わった。
まずは、ずっと私たちを守ってくれていた父に手紙を書こう。
とても温かい人に出会えたと。共に生きたいと思ったと。
…故郷を離れるのは、少し寂しいけれど。
未来に目を向けた私たちを、きっと祝福してくれるはずだ。




