おまけ①【ハロルド(父)視点】お父さまって呼ばれたい。
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完結してからすごい勢いでアクセス数が増えてビビっております(笑)
ここからは思い付くまま、時系列無視でお送りしますおまけ小話です。
お楽しみいただければ幸いです。
まずはクリスティン幼少期、お父上視点でのお話です。
最近、私には悩みがある。
6歳になる我が娘、クリスティンのことだ。
娘はかわいい。
これ以上無くかわいい。
世界一かわいいと言っても過言では無い。
3歳の頃、『おとうさま』とたどたどしい口調で初めて私を呼んでくれた時には、これがこの世の天国かと思った。
しかし──
「父上」
開いたままだった執務室の扉から、娘が難しい顔をして入って来る。
まだドアノブに手が届きにくいので、ちょっとだけ背伸びをしながら扉を閉めている。その仕草がとてもかわいい。
が。
「この書類、昨日のうちに王都へ発送しなければいけないものではないですか? 母上が困っていましたよ」
書類の束を抱えて淡々と話す様子は、とてもではないが『子ども』には見えなかった。
──いやまあ、理由は分かる。
我がアンガーミュラー家には、結構な確率で、別の世界で生きていた記憶を持つ人間が生まれる。私もそうだ。
愛娘のクリスティンも、愛息のマーカスも、『過去』の記憶を持っている。
そのせいで、年齢に見合わぬ態度と口調になってしまうのは致し方無い事だ。
「ああ、すまんクリス。伝令カラスの速達便で出そうと思っていてな」
書類を受け取りながら、私は誤魔化そうと笑みを浮かべる。
…娘の事で悩み過ぎて書類の提出期限を忘れていたなんて言えない。
そんな内心を見透かしたように、クリスティンは溜息をついた。
「最近、何か悩んでいるようですが。母上に相談してみては?」
提案されてハタと気付く。
…そうだ。もしかしたら妻も、私と同じ悩みを抱えているかも知れない。
「そうだな。ジャスティーンに訊いてみる事にしよう」
「そうしてください、父上」
クリスティンは淡々と頷き、書類を置いて出て行った。
少し間を置いて、私も執務室を出る。
思い立ったが吉日、即断即決。悩みはさっさと解消するに限る。
私の妻、ジャスティーンは、今日もとても美しい。
「どうしました、ハロルド様?」
ジャスティーン用の執務室でメイドに指示を出していたのだが、私が入室するとすぐ顔を上げて、ソファを勧めてくれる。
ジャスティーンが軽く手を挙げると、メイドや使用人たちが素早く退出して行った。
これは彼女による教育の賜物だ。私だったらここまでの統率は取れないだろう。
「何かお悩みですか?」
対面に座った妻は、ずばり切り込んで来た。
さっさと本題に入るのは貴族としては『美しくない』らしいが、勿体ぶった会話が苦手な私には大変嬉しい。
「実は、クリスティンの事なのだが」
私が少し声を潜めて呟くと、ジャスティーンの表情が真剣なものに変わった。
私も両手を強く握り、訊く。
「──『父上』ではなく、『お父さま』と呼んでもらうにはどうしたら良いと思う?」
「………はい?」
ジャスティーンがぽかんと口を開けた。
声を潜め過ぎたせいで聞こえていなかったのだろうかと思い、もう一度繰り返すと、今度はジャスティーンの首がかくんと斜め45度になった。
「…ええと…『お父さま』と呼ばれたい…?」
「そうだ」
「『父上』ではなく?」
「うむ」
私がしっかりと頷くと、ジャスティーンは暫し虚空を見詰め──真顔でこちらに視線を戻した。
「……『父上』呼びが、何か問題なのですか…?」
「え」
今度は私が口を開ける番だった。
数秒後に我に返り、慌てて説明する。
「いや、ほら、以前は『おとうさま』『おかあさま』と呼んでくれていただろう? それが急に『父上』『母上』になってしまって、正直少し残念と言うか…」
「そう…ですか?」
…どうやら、ジャスティーンは全く気にしていなかったらしい。
「実家──アーミテイジ侯爵家では、例外無く『父上』『母上』呼びでしたから、そういうものかと思っていたのですが」
くそう、武の名門貴族め。
変なところで体育会系だな。
「貴族や平民の裕福層では、大体のご令嬢は『お父さま』『お母さま』呼びらしいぞ。その方が柔らかい感じがするだろう?」
「言われてみれば、そうですね」
丁寧に解説したら、ようやく一定の理解を得られたようだ。
私は少しほっとして頷き、だから、と続けた。
「クリスティンにも『お父さま』と呼んで欲しいのだが、どう頼んだら良いのかと…な」
話が振り出しに戻った。
直接言えば良いのだろうが、ストレートにお願いするのはどうにも恥ずかしい。
出来ればこちらの要求に従う形ではなく、自発的に『お父さま』と呼んで欲しい。
あと、どうして『お父さま』以外の選択肢が『父上』だったのかが謎だ。
クリスティンの様子を見る限り、父と母の呼び方が変わったのはあの子の『過去』の記憶が蘇ったタイミングだ。
だったら『過去』の記憶に則り、『お父さん』『お母さん』もしくは『パパ』『ママ』あたりでも良いと思うのだが。
私が悶々と悩んでいると、ジャスティーンはそっと溜息をつき、突然背後を振り返った。
「──という事なのですが、クリスティン。貴女の意見は?」
「!?」
私は思わず立ち上がった。
ソファの向こう側、執務机の斜め後ろに隠れる形で、クリスティンが立っていた。
考えてみれば当たり前だ。
クリスティンはジャスティーンから預かった書類を私に届けに来たのだから、仕事が終わったらこの部屋に帰って来るに決まっている。
…ジャスティーンの退出の合図も使用人に対してだけで、家族には適用されないからな…。
「ええと…」
クリスティンは眉根を寄せ、困り果てた表情になっている。
まさか父親がこんな悩みを抱えているとは思っていなかったのだろう。
私も顔から火が出るほど恥ずかしい。
恥ずかしいが、これはチャンスだ。
もしかしたら、これでクリスティンが私の事を『お父さま』と呼んでくれるようになるかも知れない。
クリスティンの答えを固唾を呑んで待っていると、やがて娘はとても良い事を思い付いたように、にっこりと笑みを浮かべた。
「──父上が、今日渡した書類を今日中に王都に発送出来たら考えます」
「よし分かった! 仕事に戻る!」
私は即座に身を翻した。
執務室に戻り、真剣に書類に向き合うこと数時間。
伝令カラスに速達指定で書類を預けた時には、既に夕暮れ時になっていた。
「ジャスティーン! クリスティン! 書類を片付けたぞ!」
勇んでジャスティーンの執務室に出向くと、2人は驚いたように目を見開いた。
そしてすぐ、ジャスティーンが頬を綻ばせる。
「ハロルド、素晴らしいです。よく頑張りましたね」
「ああ、愛する娘のためだからな」
書類仕事は正直苦手だから、手放しで褒めてくれるのがとても嬉しい。
私は大仰に頷き、期待を込めてクリスティンに視線を移した。
目が合うと、クリスティンは花のような笑顔を浮かべる。
「素敵です、お父さま」
娘の背後に後光が見える。
「………!!」
私は思った。
──ああ、生きててよかった。
そして──
「ご、ご当主様!?」
ぐらり、視界が揺れ、何かに気付いた執事が声を上げる。
とんでもない多幸感に包まれながら、何が何だか分からないうちに、私は意識を失った。
──後に聞いた話によると、私はとても幸せそうな顔のまま、仰向けに倒れたらしい。
執事が咄嗟に支えなければ、ソファの角に頭をぶつけるところだったそうだ。
結局それが決定打となり、クリスティンには『お父さま』呼びはもうしないと宣言された。
曰く、『うっかりそう呼んだらそのまま死ぬと思った』そうだ。
…否定できないのがとても悔しい。
なお、どうしてあえて『父上』呼びなのかと訊いたら、『『お父さま』は恥ずかしいし、上流階級で『お父さま』以外の呼び方と言ったら、それくらいしか思い付かなかった』との事だった。
…『パパ』でも良いんだぞと提案したら、白い目で見られた。ショックだ。
──こうして私の『お父さま』って呼んで欲しいというささやかな願いは、思い出となって封印された。




