57 さあ、故郷へ帰ろう。
私とマーカス、シルクとシフォンは、王宮への呼び出しの翌日には荷物を纏め、早々にアンガーミュラー領へと引き揚げる準備を始めた。
「そんなに急がなくても…」
「王宮から余計な仕事が降って来ても困りますから」
ユーフェミアがとても残念そうな顔をしていたが、仕方ない。
なおユーフェミアはもう少し王都に残り、ジェフリーと共に、追加の訴状を提出する被害者たちに協力するそうだ。
滞在先は引き続きアーミテイジ侯爵家の本館。ケヴィンはすっかりアーミテイジ侯爵夫人──ジェフリーの母上に懐いたらしく、滞在延長を諸手を挙げて喜んでいた。
リサは私たちと共にアンガーミュラー領へ行く。
王宮経由で王立研究所から『改めて働いてくれないか』と打診があったが、行方不明になった当時、リサの捜索に非協力的だったこと、既に解雇されていることなどを理由に、リサはきっぱりと断っていた。
私とマーカスが『リサの父親もうちの牧場で働いているし、アンガーミュラー領に来て、好きなだけ魔法道具の研究をして欲しい。材料も道具類もこっちで揃える。立場上は4勤2休の使用人、『マーカスの助手』という事にして、給料も払う。父と一緒に住んでも良いし、屋敷内の使用人用の居住区画に住んでも良い。その他応相談。カモン!』と熱烈に勧誘していたから、というのもある。
なおリサ曰く、決定打は『王立研究所は息が詰まるけど、マーカス様の助手なら、朝まででも新しい魔法道具とか魔法回路の改良について話し合えそうだと思って』との事だ。
徹夜はやめなさいと釘を刺しておいた。
そんなこんなで、準備は続く。
《クリス、ラフェットとレオンに繋ぎが取れたわ。アンガーミュラー領への護衛、引き受けてくれるそうよ》
「ああ、それは有難いですね」
《ついでに、暗殺者ギルドの方も寄ってみたんだけど…1人を除いて、ほとんどの構成員はアンガーミュラー領への移住を希望しているわ》
「あら」
《家族込みで、全部で10人ほどだそうだけど、問題無いかしら?》
「勿論です。ですが、移住を希望していない方の今後の生活は大丈夫でしょうか?」
《実際のところ、心情的には行きたいけど家庭の事情があって王都を離れられないみたいね》
「家庭の事情、ですか? ご家族全員での移住も可とお話ししたと思うのですが…」
《妹さんが病気で、長距離の移動に耐えられないそうよ。あと、仮に移住できたとしても、王都と同等の医療が受けられるかどうかって心配してるみたいね》
「病名は分かりますか?」
《石化病。人間には珍しいわね》
「ああ…でしたらちょっと、暗殺者ギルドの方へ顔を出しましょうか」
「…姉上がまた不穏な動きを…」
「失礼ですねマーカス。丁度手元に石化病の特効薬があるので、お渡しして来るだけです」
「何でそんな物持ってるんですか」
「ケットシーの相棒を持つ者として当たり前でしょう? 石化病は、ケットシーに頻発する病ですから」
「…当然…?」
《気にしなくて良いわよマーカス。クリスがおかしいだけだから》
その後特効薬を飲んだ妹君は劇的な回復を見せ、王都に残ると言っていた暗殺者ギルド構成員は、妹と共に移住を希望する事となる。
ブライトナー一家も、移住を決断してくれた。
ただし、フィオナの婚約者も一緒に、という条件付きだ。
その婚約者というのが意外過ぎる人物だった。
「……まさかジーノがフィオナと婚約しているとは…」
第2統括室のベテラン文官、ジーノ・ベーレンス。
「意外か?」
「一体いつの間に?」
「以前から打診はしていたが、正式に決まったのはクリスティンが辞めてからだ」
年齢差はあるが、真面目で頑張り過ぎてしまいがちなフィオナと、冷静にフォローできるジーノ。良い組み合わせだと思う。
「もっとも、俺が移住できるのは大分先になりそうだが…」
「第2統括室の仕事の引継ぎがありますからね。これから現場は混乱しますし、一段落つくのは早くて半年後くらいでしょうか」
「…もう全部投げ出して今すぐ移住したいんだが」
ぼそり、本音が漏れた。
「今ジーノが抜けたら、ギルとエーミールが大変な事になるのではありませんか? アンガーミュラー領は逃げませんから、しっかり引継ぎして来てください」
「……引継ぎ候補が、入って半年で総務部から弾き出されたお坊ちゃんなんだ」
「…ええと……人選に問題あり、と抗議してみます?」
「…………そうだな」
残る方も出て行く方も、色々と大変そうである。
そうして、アンガーミュラー領へ帰る日がやって来た。
護衛役のラフェットとレオンの他、私がスカウトした元暗殺者ギルドのギルド員たちも一緒だ。
暗殺者ギルドは構成員全員が移住を希望したため、長はギルドそのものを畳んで、全員を引き連れてアンガーミュラー領へ移住する道を選んだ。
「良いんですか、姉上」
「良いんです。狩人に屋敷の使用人に牧場や農場の従業員、人手はいくらあっても足りませんから」
なお、ブライトナー一家は屋敷を引き払う準備やら挨拶回りやらが終わっていないため、1ヶ月後に移住する手筈になっている。
「クリス先輩、絶対1ヶ月後にはそちらへ行きますから、待っててください」
「ええ。会えるのを楽しみにしていますよ、フィオナ」
「はいっ!」
声にも大分張りが戻って来た。順調に回復しているようだ。
フィオナとその両親、ユーフェミアとケヴィン、ジェフリー、ギルベルトとジーノとエーミールと順に握手を交わし、ボスたち王宮のケットシーにも見送られながら、私たちは大所帯で王都を出る。
大人数なので、王都で借りた馬車での移動だ。
3台に分かれて乗っていたのだが──王都を出て1時間もしないうちに、馬車が停まった。
「何かありましたか?」
御者台側の窓を開けて声を掛けると、顔面に向かってナイフが突き出された。
「あら」
「…っ何で避けられるんだよ!?」
驚愕の声を上げながら、男が御者台から飛び降りる。
「姉上、これは…」
「どうやら、貸し馬車屋に手癖の悪い輩が紛れ込んでいたようですね」
ぞろぞろと馬車を降りると、近くの林から、それ以上の人数がわらわらと出て来た。
全員武装している。服装と体格からして、冒険者崩れか街のゴロツキだろうか。
「…手前ェがクリスティン・アンガーミュラーか」
一番体格の良い男が、殺気を隠そうともせずにこちらを睨み付けて来る。
私は素直に頷いた。
「ええ、そうです。貴方がたはどなたの差し金でしょうか?」
「言うと思うか?」
「いいえ。ただ、こういう即物的な事をする貴族が、ベレスフォード公爵以外にも居たというのが少々意外で」
軽く首を傾げると、武装集団に動揺が広がった。
ウォルターと違って、彼らの雇い主は自ら名乗って依頼を掛けているのだろう。
貴族なのは間違い無いようだが、詰めが甘いし、このタイミングでこの面子に喧嘩を売るとはとても頭が悪い。
「とりあえず、貴方がたの狙いは私の命、という事でよろしいですか?」
「…そうだ」
割と素直に頷かれた。
中には下卑た笑いを浮かべている者も居るが、実害は無さそうなので無視する。
「ああ、それは良かった」
私はにっこりと笑みを浮かべた。
「でしたら、喜んで受けて立ちましょう。物理的なオハナシアイは、嫌いではありませんので」
『……!?』
バキボキと指の関節を鳴らしながら告げると、襲撃者たちはあからさまに動揺した。
「…あーあ」
背後でマーカスが溜息をつく。
「姉上、相当溜まってるな…丁度良いガス抜きにはなるか…」
「マーカス、聞こえてますよ。…ラフェット、レオン、一応手伝ってください」
「任せて頂戴」
「承知した」
2人が私の横に並んだ途端、襲撃者の一部が顔面蒼白になる。
「ラフェットとレオン──『双頭龍』か!?」
「嘘だろ!?」
「…私たちよりクリスの方がおっかないんだけど、知らないみたいね」
「ある意味幸せな連中だな」
そして──
襲撃者は秒で片付いた。
「あっけないですね」
パンパン、と軽く両手をはたき、私は魔法道具の信号弾を天に向かって打ち上げる。
衛兵部隊が使う、『犯人逮捕』の連絡弾。ジェフリーが冗談半分で持たせてくれたのが役に立った。
簀巻きになって転がる襲撃者たちを一か所に集め、『アンガーミュラー領へ帰還途中の馬車を襲撃した阿呆。適切な処置を求む』と書いた紙をリーダーっぽい男の顔面に貼れば後始末は完了だ。
後は、王都の衛兵部隊が何とかしてくれるだろう。多分。
「…わしらの見せ場も作って欲しかったのぉ…」
「すみません、元ギルド長。代わりと言ってはなんですが、どなたかこちらの馬車の御者役が出来る方は居ませんか?」
私たちが乗っていた馬車の御者は襲撃者側だったので、今は簀巻きになっている。
王都の貸し馬車屋まで戻るのも面倒だ。
「あ、なら俺が」
「うむ、お前なら適任じゃな」
「ああ、ありがとうございます。では、よろしくお願いしますね」
元暗殺者ギルド員が手綱を握り、全員が改めて馬車に乗り込む。
窓を大きく開けて、私は大きく息を吸い込んだ。
「──さあ、故郷へ帰りましょう」
遥か西の空は、今日も晴れていた。