56 ヴィクトル
阿呆な言動を繰り広げていたユリウスは、急遽入室を許された側近兼護衛のロニ・マーキスによって、速やかに部屋から連れ出された。
…ロニがげっそりした顔をしていたから、多分ユリウスの発言は廊下まで筒抜けだったのだろう。
色々とご愁傷様だ。
「…………本当に済まぬ、クリスティン」
ようやく静かになった部屋で、国王は私に向かって頭を下げる。
「…まさか、あそこまで身勝手な事を言い出すとは…」
顔がとても疲れている。
ユリウスがああいう性格なのは今に始まった事では無いと思うが、他人に突飛な言動を取るのを目の当たりにしたのは初めてだったのだろう。
「いえ、陛下が静観してくださって助かりました。自分で断る機会を得られましたから」
実際、私以外の誰かに止められただけでは、あの阿呆はまた自分に都合の良い解釈をして変に暴走する可能性が高い。
諦めさせるには、私が引導を渡す必要があった。
私が笑顔で応じると、国王は若干遠い目をして乾いた笑みを浮かべる。
「…其方のそういうところは、王族に向いているな…」
「なりませんよ?」
「ああ、勿論だ」
「一時は、本当にそういう話もあったのだがな」
王妃も苦笑する。
水面下でそういう話が進んでいた事もあったらしい。当人置き去りの人事は勘弁願いたい。
「其方の父が、『王宮文官として働いている間に、本人が了承すれば』という条件でユリウスの求婚を許可してな」
「あら」
王妃の苦笑が深くなる。
「──まあ、其方にきっぱり断られるのを予想済みでの許可だったのだろうが」
「そうでしょうね」
流石はうちの父、良く分かっている。
それにしても、そんな頃からユリウスに目を付けられていたとは。
元々期間限定という約束で王宮文官になったというのに、迷惑な話だ。
《迷惑な話ね》
私の内心をなぞるように、シルクが溜息をつく。
《あのバカ王子、本気で矯正しないとこの国の将来が危ういんじゃないの? 色恋沙汰だったかどうかはともかくタイミングが最悪だし、根回し不足に理解力不足に交渉力不足。国同士の交渉で足を掬われかねないわよ》
「…返す言葉も無いな」
歯に衣着せぬケットシーの辛辣な言葉は、とても耳に痛かったらしい。
国王は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ユリウスの再教育については、最重要課題としよう。此度の事件の後始末を通して、少しは成長してくれれば良いが」
(奴にそのまま後始末を任せたら、絶対問題が起こる気がする…)
半ば確信するが、そうなったらなったで対処するのは私ではないので、心の内に留めておく。
「時に、クリスティン」
「何でしょうか、陛下」
ユリウスが居た時よりさらに気安い雰囲気で、国王が話題を変える。
「──ヴィクトルは、元気にやっているだろうか?」
その言葉に、私は一瞬考える。
王族籍を抜けて以降、ヴィクトルは家族にも王都の友人にも連絡を取っていないはずだ。
下手に繋がりがあると、放棄したはずの王位継承権をまだ狙っていると勘違いされかねないし、後々面倒な事になる。
一方私やマーカスには、今でも半年に一度くらいの頻度でヴィクトルから手紙が届いていた。
今住んでいる場所や仕事のことなど、結構詳細に近況が書かれているので、彼に関する情報は十分にある。
だが。
「…それなりに元気だと聞いています。あのヴィクトル様ですからね」
私は端的に、国王の質問にだけ答えた。
『元気か』と訊かれたので、『元気みたいですよ』と答える。何も間違ってはいない。
しかし国王は私の答えが不満だったらしく、若干眉間にしわを寄せる。
「…どこに住んでいるのか、知っているのか?」
「大まかな位置だけは。ですが、それを陛下に申し上げるわけにはまいりません」
本当は街の名前も、何だったら住所も知っているが、言う義理は無い。
「何故だ?」
「それがヴィクトル様の望みだからです」
両親に居場所を教えないで欲しい、と。
ヴィクトルが王都を出奔した直後にうちに届いた手紙には、私たちに対する謝罪と共に、そう書かれていた。
「ヴィクトルの望み…?」
「ヴィクトル様は、王都に余計な混乱をもたらす事を良しとしませんから。例えば──陛下がヴィクトル様の居場所を知っていたら、ユリウス殿下に何かあった時、殿下の代役、あるいは補助としてヴィクトル様が王宮に呼び戻される恐れがあるでしょう?」
指摘すると、国王は痛いところを突かれた顔をした。
多分まさに今、そういう考えの下、ヴィクトルを呼び戻す算段をしていたのだろう。
「ヴィクトル様が王宮に戻れば、ユリウス殿下の王位継承者としての立場が大きく揺らいでしまいます。ヴィクトル様は、それを懸念しているのですよ」
大きく揺らぐどころか、ヴィクトルが実際にユリウスと並んで仕事をしたら、ほぼ確実にユリウスのダメさ加減が浮き彫りになる。
…何せヴィクトル、アンガーミュラー領に滞在中、私と共に領主の実務の一部を担っていた実績があるのだ。
今も業務内容は若干異なるものの、ちゃんと仕事をしているらしいから、色々とあの頃より磨きが掛かっているだろう。
下手をしたら、『ユリウス殿下よりヴィクトル殿下の方が王に相応しい』と貴族たちに担ぎ出されて大変な事になる。
「……そう、か」
国王は小さく肩を落とした。
少々気の毒だとは思うが、ユリウスがああいうスペックに育ったのも、ヴィクトルが王族籍を抜けたのも、元を辿ればこの国王に責任がある。
自分で何とかしてもらうしかない。
「相変わらず、其方は手厳しいな」
王妃が苦笑した。
「国の非常時だ。使える戦力はかき集められるだけかき集めたいのも分かるだろう?」
「ええ、そうですね。ですが、ヴィクトル様は『使える戦力』ではありませんよ」
アンガーミュラー家の人間以上に、ヴィクトルは『王都に来てはいけない人間』だ。
血の繋がりがあるからと言って、国王や王妃がホイホイ呼んで良い相手ではない。
それに、
「──大体、陛下、妃殿下。ヴィクトル様が王族籍を抜けた最大の理由を覚えていらっしゃるでしょう?」
指摘した瞬間、国王と王妃の表情が固まった。
数秒後、恐る恐るといった雰囲気で、国王が訊いて来る。
「…もしや、まだ治っていない、のか?」
「治るもなにも」
私はイイ笑顔で応じた。
「王都でのかつての姿の方が、あの方にとっては自然ではないのですよ。あの方の本来の姿が受け入れられないのであれば、そっとしておくのが正解でしょう。お互いのために」
「………そうだな」
国王が苦渋の表情で頷く。
実際のところ、ヴィクトルが王族籍を抜けた理由には、政治的な背景や貴族たちとの関係、アンガーミュラー領で見たものの他に、ヴィクトル自身が抱えていた問題があった。
最終的には色々と吹っ切れて、国王や王妃にもきちんと説明して出て行ったらしいが──それを両親が受け入れているかどうかは別の話で。
(私としては、今の方がヴィクトルらしくて良いと思うんだけど)
それが王位継承者として致命的なのも分かる。
王族というのは、一々面倒な立ち位置なのだ。




