55 場違いにも程がある
けっこん。
あまりにも唐突な言葉が脳内を何回か周遊した後、私は我に返った。
(…いや、この流れで求婚て)
有り得ない。
この男、一体何を考えているのか。…いや、何も考えていないかも知れない。
「………ユリウス殿下、本気ですか?」
思わずぼそりと呟いたら、ユリウスはその場で立ち上がり、胸を張って答えた。
「ああ。私は本気だ」
(……ボスが胸を張るのは可愛かったのに、こいつがやるとやたらムカつくのは何でだろう…)
日頃の言動のせいだろうか。
妙に冷静になってしまった私に対して、国王は焦りの表情で腰を浮かせた。
「ユリウス、突然何を言っているのだ」
この王子様、国王や王妃への根回しはしていなかったようだ。
「クリスティンはアンガーミュラーの跡取りだ。それを覆す事は出来ぬ」
「何を言っているのですか、父上。父上と母上にまで名前で呼ばれるほど王族と親しく、公爵家出身、文官能力も魔力も非常に高い。非の打ち所の無い相手でしょう」
自分に都合の良い事だけ記憶する思考回路は健在らしい。
いっそ全て忘れてしまえば良いのに。
「それに跡取りと言っても、貴族家では男子が後を継ぐのが習わしです。アンガーミュラー家にはマーカスが居るのですから、彼に継いでもらえば良いではないですか」
瞬間──
「──ユリウス」
王妃の雰囲気ががらりと変わった。
ピリッと空気が張り詰め、国王と側近がハッとした顔で王妃を見る。
「は、母上…?」
ユリウスは戸惑った表情で王妃を見た。
自分の発言が王妃の逆鱗に触れたと理解していないようだ。
──姉を王族に嫁がせ、弟に跡を継がせる。
その構図は、ベレスフォード公爵家の跡取りとして教育されていた彼女が、父親の都合で王家に嫁がされた時と同じ。
今でこそ国王と仲睦まじい夫婦となっている王妃だが、当時は様々な葛藤があった事だろう。
ユリウスの発言に激怒するのは当然と言える。
王妃はユリウスを鋭い瞳で睨み付け、数秒後、深々と息を吐いた。
「──…他家の跡継ぎを撤回する権限は、お前には無い。諦めろ」
怒鳴りつけるのはギリギリで堪えたようだ。
「ですが、父上が命じれば──」
「私はアンガーミュラー家にそのような無茶を命じる気は無い」
食い下がるも、国王にきっぱりと拒否される。
「む、無茶?」
ユリウスにとっては、他家の跡取り問題に首を突っ込むのは無茶でも何でもないらしい。
ある意味王族らしい傲岸不遜な思考だが、国王と王妃がそれを認めるはずも無く。
「──ユリウス殿下」
私が名を呼ぶと、ユリウスはパッと顔を輝かせてこちらを見た。
「クリスティン、君なら受け入れてくれるだろう? 王族との繋がりは、アンガーミュラー家にとって益があるはずだ」
(…こいつホントに自分に都合の悪い事は忘れるんだな…)
以前我が家で散々な扱いを受けたのに、自分の意見が通ると思い込んでいるらしい。
仕方が無いので、現実を見てもらおう。
「──貴方と結婚したところで、アンガーミュラー家に益は一切ありません」
「………え」
「ですので、お断りします」
冷えた笑顔ではっきりと言い切ると、ユリウスは見事に固まった。
数秒後、ようやく理解が追い付いたのか、目を見開いて驚きの声を上げる。
「ど、どうして!? 王族と親戚関係になれば、貴族の中での立ち位置も、」
「元々うちは社交なんてろくにしていませんし、他家からどう思われていようと問題ありません」
「め、名声も上がるだろう?」
「どちらかと言うと、『あんな貴族なんだか平民なんだか良く分からない家の娘を王妃として頂く事は出来ない』と反発される未来が見えますが」
「ダスティン公爵家は立派な家柄じゃないか!」
「王都の貴族たちにとっては、『幽霊公爵』でしょう? それに『王宮監視人』の立場上、私たちは今後も『ダスティン公爵家』を名乗る気はありませんので」
「でも!」
子どもが駄々をこねているようにしか見えない。
私は『黙れ小僧!』と怒鳴りつけたいのを我慢して、努めて冷静な態度でユリウスに反論した。
「そもそもアンガーミュラー家には、『王族と婚姻を結んではならない』という王族との約定があるのですよ。私が貴方に嫁ぐ事も、貴方がうちに婿入りする事も、どちらも有り得ません」
「え……」
「あと、何か勘違いなさっているようですが」
勢いを失ったユリウスに、私はすかさず畳み掛ける。
「国王陛下と王妃殿下が私を名前で呼ぶのは、私が『貴方の嫁候補として』気に入られているからではありません。貴方の兄──第1王子のヴィクトル様を預かっていたのが、アンガーミュラー家だったからです」
「……へ?」
ユリウスは第2王子だ。当然、上には兄が居る。
──いや、厳密には、『以前は、居た』。
第1王子のヴィクトル・ヴァイゼンホルンは、思春期真っ只中にとある特殊能力に目覚め、その制御を学ぶためにアンガーミュラー家へやって来た。
人の多い王宮では、その特殊能力が大変な足枷になっていたという事情もある。
あまりにも負担が大きすぎて体調を崩しがちになり、心配した国王と王妃が密かにうちの父に相談、一時的にアンガーミュラー領で預かる事になったのだ。
その後ヴィクトルはアンガーミュラー領で私たちと共に青春時代を過ごし──色々と経験し過ぎた結果価値観が変わったらしく、王都に帰還後、とある出来事を切っ掛けに『自分は王宮に居るべきではない』と宣言して王位継承権を放棄、王族籍を抜けて王都を出奔。
その影響で第2王子のユリウスが王位継承権第1位に繰り上がり、今に至る。
「ヴィクトル様がアンガーミュラー領に滞在している間、国王陛下と王妃殿下は何度か我が家へ足を運ばれ、私やマーカスにもお言葉をくださいました。名前呼びはその頃の名残です」
対外的には、第1王子は『病気療養のため、王族の直轄領に滞在』という事になっていたから、ヴィクトルがアンガーミュラー領に滞在していた事を知る者は少ない。
多分、ユリウスも知らないだろう。
…教えられたけど覚えていない、という可能性は頭の隅に仕舞っておく。
「ヴィクトル…兄上が? そんな事、君は教えてくれなかったじゃないか」
「言う必要がありませんから」
兄上、という単語に、取って付けたような語感があった。
多分ユリウスは、王位継承権を放棄した兄について周囲から批判的な声を聞いていたのだろう。
王宮文官時代、私も結構な頻度でヴィクトルを侮辱する発言を耳にしていた。
曰く、『王族の責務に耐え切れずに逃げ出した腰抜け』、『責任を弟に押し付ける卑怯者』、『ろくに王宮に居なかった放蕩王子』──
(何も知らない阿呆どもの言葉を真に受けたんだろうな、この世間知らずは)
ヴィクトル本人を知る私からすると、その批判はどれも見当外れだ。
むしろ彼は非常に聡明で思慮深く、決断力も行動力もあるからこそ、王位継承権を放棄した。
…そんなヴィクトルを知っているせいで、ユリウスが見劣りしてしまうのだが。
「とにかく、貴方がどんなに要求しようと、私が貴方と結婚する事は有り得ません。断固お断りです。諦めてください」
「そんな…!」
ユリウスがまた悲壮な顔になる。
この顔をすれば何とかなるとでも思っているのだろうか。
「大体、ユリウス殿下。貴方は私を恋愛対象として欲しているのではなく、都合の良い労働力として手元に置いておきたいだけでしょう?」
「え」
「後始末のお手伝いをお断りしたら求婚して来たという事は、そういう事ですよね? 結婚すれば『優秀な文官が』『タダで』手に入りますから」
「そ、そんな事は…!」
「先程の流れでは、そういう風に解釈する以外に選択肢が無いのですよ。──いい加減、ご自分の言動をきちんと振り返っては如何です?」
「…」
ずけずけとした物言いに衝撃を受けたのか、それとも少し漏れてしまった私の殺気にあてられたのか。
ユリウスは白っぽい顔で絶句した。




