5 退去の朝
出勤する必要が無くなったとはいえ、翌日は通常勤務日である。
早朝から動き出す寮の住人たちの気配に、私とシルクも早々に起床した。
《おはよう、クリス》
「おはようございます、マダム・シルク」
私物が片付けられ、代わりに木箱が床を占拠している部屋を見渡す。
「午前中には出て行かなければなりませんね」
《ええ》
シルクがクッションから降り、伸びをしながら応じる。
《『彼ら』は昼頃にギルドへ行くって言っていたから、早めに動くに越したことは無いわ》
昨日、ボスから解雇の知らせを聞いた時点で、シルクはとある場所へ走り、ある人物にアポイントメントを取っていた。
ついでに、ここにある荷物の配送の手配も済ませてくれている。
いつもながら仕事が早い。
《配送業者はこちらに来てくれるそうだから、木箱は朝食後に出入り口のところまで運んでおきましょ。警備室には話を通してあるわ》
「ありがとうございます」
クッションと寝具一式を圧縮して木箱に収納し──毎度思うが、ケットシーの魔法は『便利さ』という点で抜きん出ていると思う──食堂に出向くと、丁度最後の一人が出て行くところだった。
出勤する者はもう出発する時間なのだ。
食堂の調理師たちと挨拶を交わし、王宮を解雇されたこと、今日の午前中にこの寮も退去することを伝えると、朝食のメニューがやたら豪華になった。
「みんなには秘密な」
「ええ、ありがとうございます」
「良いって事よ。あんたのお陰で、ここの厨房もすごく働きやすくなったしな」
「私はちょっと口出ししただけですよ」
調理師たち謹製のホットサンドと野菜たっぷりのコンソメスープ、半熟ゆで卵とフルーツ盛り合わせの朝食をいただいた後は、木箱を寮の入り口に搬出する作業だ。
他の住人たちは既に出勤した後。人気の無い廊下を、シルクの浮遊魔法で軽くなった木箱を2、3個積み重ねて次々運び出す。
《他の貴族たちが見たら卒倒するわね》
「今更ですよ」
普通、こういう作業は使用人たちがやるものだ。
しかし私の所に使用人は居ない。そもそも、寮住まいなら必要無い。
結果、貴族令嬢が木箱を抱えて運搬するという、貴族の一般常識では有り得ない光景が出来上がる。
「出来る人間が、出来ることをやれば良いのです。こういう作業は別に苦になりませんし。──さて」
一際大きい木箱を床に下ろし、私は周囲を見渡した。
木箱は合計で20個ほど。
私物はそんなに無いつもりだったが、4年以上暮らしていればこんなものか。
「とりあえず、これで最後ですね」
《ええ。他の物は自分で持って帰るんでしょう?》
「そうですね。道中、必要な物もあるでしょうから」
言っているところに、この寮の警備員の女性がやって来た。
「おはようございます、クリスティンさん」
「おはようございます」
物腰柔らかな彼女は木箱の山を見渡し、眉を下げる。
「急な話で驚きました。昨日の今日で退去だなんて…」
「私も驚きました。ですが、書類上の手続きは正規の方法で済んでいましたので」
本来は本人が行うべき退去手続きを、人事部が全て済ませてくれていたのだ。
こういう手回しの良さは通常業務で発揮して欲しいものである。
「退去時の確認は、私が行います。用意が整いましたら声を掛けてください」
「あ、でしたら、今からお願いしても大丈夫ですか?」
私が告げると、警備員は目をしばたいた。
「もうよろしいのですか?」
「ええ。部屋に置いてあるのは、後は自分で持って帰る荷物だけですので」
「仕事が早いですね…」
部屋の私物はほぼ全部シルクが片付けてくれたので、私は自分で持ち帰る荷物をカバンに詰めるくらいしかしていない。
そんな尊敬の眼差しで見られても困る。
「承知しました。では、お部屋の方で少し待っていていただけますか?」
「はい」
その後部屋にやって来た警備員と、王宮総務室の担当者と共に退去確認を行う。
「とてもきれいに使われていますね…」
「ええ、まあ」
毎日シルクが魔法で掃除してくれていたなんて、口が裂けても言えない。
彼女曰く、『貴女に任せてたら、部屋がゴミの海とカビの巣窟になるんだもの』との事だ。
…ちょっと物が多くなりがちなだけで、そんなにひどくはなかったと思うのだが。
「確認終了しました。何も問題ありませんね。修繕が必要な部分も無さそうです」
「ありがとうございます」
総務室の担当者に部屋の鍵を渡し、最後の確認書類にサインして、荷物を持って部屋を出る。
「大変お世話になりました」
「こちらこそ」
これで、私はこの寮の住人ではなくなった。
警備員と共に寮の入り口に戻って来ると、私はホールの端にあるソファに座り、カバンから手帳を取り出した。
(そういえば…)
通常業務以外に、ユリウスから頼まれていた監査的な仕事。
その中に、少し気になる案件があった。
私が前第2統括室長に請われて王宮に来た頃、おおよそ2年にわたって有期雇用の女性の退職が相次いだ。
退職自体は珍しいことではない。
当代の王は王位に就いた直後から『女性活躍』を掲げ、王宮も何年も前から女性の登用を推進しているが、結婚や出産を機に辞める女性はかなり居る。
と言うか、貴族社会では『女性は結婚したら家庭に入り、屋敷を切り盛りし、貴族女性同士の交流をしつつ子育てをするもの』という価値観が強すぎて、結婚・出産後も仕事を続けるという選択肢自体が存在しない。
王宮で文官として働く貴族女性のほぼ全てが有期雇用なのはそのためだ。
『どうせ辞めるのだから正規職員として雇う意味は無い』という、大変失礼な解釈である。
ところが、問題の時期に辞めた女性の退職理由は、半数以上が『私事都合』だった。
結婚なら結婚、出産なら出産と、はっきり宣言して辞められる環境が整っているにも関わらず、である。
──それだけならユリウスも見過ごしていただろう。
問題は、その『私事都合』で辞めた女性のほぼ全てが退職後に社交界に姿を見せておらず、その後の足取りがはっきりと掴めないという事だ。
(一応、ある程度情報は集まっていたし、中間報告も上げたけれど…)
手帳を見直しながら、私は顎に手を当てる。
この件に関しては、個人的にも引っ掛かる部分があった。
昨日で王宮を去った身だが、これだけは故郷に戻ってからも調査を続けたい。
(手段はいくらでもありますし)
パタン、と手帳を閉じたタイミングで、
「おはようございます!」
威勢の良い男声がホールに響き渡った。
顔を上げると、丁度ガタイの良い男性が3人、連れ立ってやって来る。
「おはようございます。急な依頼で申し訳ありません」
私は立ち上がって一礼した。
シルクが手配したのは、顔馴染みの配送業者だ。
私の故郷、アンガーミュラー領はこの国の西の果て。
大変な僻地なので、この王都と定期的に行き来する配送業者は彼らくらいしか居ない。
「なに、アンガーミュラーのお嬢様のご依頼なら、いつでもいくらでも受け付けますよ」
「そう言っていただけると助かります」
ホッと顔を緩め、私は周囲の木箱を手で示す。
「運んでいただきたい荷物は、ここにある木箱全てです。これだけの量ですし、到着に関しては急ぎではありませんので、時間が掛かっても構いません」
「承知しました、お任せください」
大きく頷いて請け負ってくれた男性は、すぐに仲間たちに指示を出し、荷物を運び始めた。
その光景に、私は不意に閃く。
「ああ、それから」
「はい?」
「もし運送中に野盗や魔物の襲撃を受けたら、この荷物を最優先で捨てて、自分たちの身の安全を優先してくださいね。運賃は満額支払いますし、損害金は請求しませんので」
「……」
リーダー格の男性がジト目でこちらを見た。
それなりに付き合いが長く、お互いの性格も把握しているので、彼は貴族である私に対しても割と平気でこういう顔をする。
「…クリスティン様、何か企んでらっしゃいませんか?」
私は営業用の笑顔で応えた。
「あら、ただの保険ですよ」