42 鬱憤晴らし
さらに数日が経った。
意外な事にあちら側からの接触は無く、アーミテイジ侯爵家もブライトナー男爵家も平穏そのものだ。
「さて…」
書類仕事が一段落したところで、私は外出のためにバッグを手に取る。
「お嬢様、どちらへ?」
アンネローゼに訊かれて笑顔で答える。
「少々、街をお散歩して来ようかと」
《……『釣り』でもする気?》
「そうとも言いますね」
シルクの言う『釣り』は、水辺で行う漁やレジャーの事では無い。
「あちら様の動きがあまりに鈍いので、もしかして、私の居場所を特定できていないのかと思いまして」
私自身をエサに、ウォルターやその取り巻きを刺激してみようという試みである。
私があっさり認めると、シルクはあからさまに溜息をついた。
《…どっちかって言うと、いい加減書類仕事に疲れたからちょっと体を動かしたい、が本音でしょう?》
「流石はマダム・シルク。よくお分かりで」
《何年貴女の相棒やってると思ってるのよ》
ぐっと伸びをして立ち上がったシルクは、窓辺のクッションから軽やかに飛び降りた。
《私も隠れて付いて行くわ。貴女をどうにかできる人間が王都に居るとも思えないけど、念のためね》
「ありがとうございます、マダム・シルク」
そうして、私は隠形魔法で姿を隠したシルクと共に街へ繰り出した。
アーミテイジ侯爵邸周辺は、貴族街らしい清潔さと重厚さを併せ持った街並みだ。
古い石畳は良く手入れされていて、それぞれのお屋敷の門扉や塀、植栽と丁度良いバランスで調和している。
ベレスフォード公爵邸界隈は華美な装飾が多かったが、この辺りは武門の貴族家が多いとあって、質実剛健な印象が強い。
そこからしばらく歩くと、大きな商店が立ち並ぶ中央通りに出る。
(お土産に、紅茶でも買おうかな…)
アーミテイジ侯爵家の当主夫人はお菓子作りが趣味だ。香ばしく焼き上げたクッキーやふっかふかのシフォンケーキは絶品である。
今日はリンゴとクルミをたっぷり混ぜ込んだバターケーキを焼くと言っていたので、茶葉の専門店に入り、それに合う紅茶を見繕う。
《…掛かったわよ》
紅茶の入った紙袋をバッグに入れて店を出たところで、シルクの念話が届いた。
《右後ろの屋根の上に1人。左斜め後ろに距離を開けて2人。あと──》
「右前方、カフェの陰に1人──ですね」
《ええ》
何気ない動作で歩き出しながら、ぼそぼそと言葉を交わす。
気配からするに、どうやらそこそこの手練れのようだ。
王都には暗殺者ギルドという物騒な組織もあるから、そちらの関係者かも知れない。
ウォルターの事だ、そういう組織とも繋がりはあるだろう。
《そこから左手に折れて、1ブロック先を右に入れば人通りが無いわ》
「分かりました」
シルクの誘導は的確だ。
軽い足取りのまま裏路地に入ると、前方に居た気配は私の進路を塞ぐ位置に回り込み、後方の気配は退路を塞ぎに掛かった。
(…さて、罠に掛かったのはどちらか…)
屋根の上から、弓を引き絞る微かな音。地上に居る3人は保険で、本命は屋根からの狙撃らしい。
ただ──
──バチィッ!
「──…!?」
突然上空で青白い火花が散り、屋根から男が降って来た。
「あら」
幸い2階建ての屋根からの落下だったので、命に別状は無いようだ。
石畳に転がった黒服の男は弓を取り落とし、声も上げられずにびくびくと痙攣している。
シルクの雷撃魔法が直撃したのだ。しばらくは動けないだろう。
「私を狙うというのに、魔法対策もしていないなんて…情報収集が雑過ぎるのではありませんか?」
相棒のシルクは、魔法に長けたケットシーだ。
私を狙うなら、当然シルクの事も警戒して然るべきなのだが──詰めが甘い。
挑発を口にしながら前方に視線を投げると、狙撃手と同じような黒っぽい服装の男がゆっくりと姿を現し、静かに腰を落として身構えた。
「…」
無言で居る程度の分別はあるらしい。
戦闘態勢を取る前方の男に対して、後方の2人はあからさまに動揺していた。
一応こちらの退路を断ち、身構えてはいるが、多分何がどうなって狙撃手が屋根から落ちて来たのか理解できていない。
(普通なら、後ろの2人を張り倒して脱出するのが定石だけど──)
残念ながら今日は、そういう判断にはならない。
「何故私を狙うのか、お聞きしても?」
「…」
前方の男に向けて問い掛けても、やはり無言。
私はにっこりと笑みを浮かべた。
「教えていただけませんか。残念です。では──」
「!?」
一足飛びに間合いを詰めて、男の懐に飛び込む。
繰り出して来た短剣を右手で弾き飛ばし、ついでに下段蹴りで相手の軸足を狙う。
飛び退って躱されたが──そこはシルクの間合いだ。
《はい、アウト》
再び火花が散って、男はその場に崩れ落ちた。
私はすぐさま反転し、後ろの2人を迎え撃つ。
背中から斬り付けようとしていたのか、長剣を持った男が目を見開いた。
「なっ──」
「!」
一歩踏み込めば、長剣の間合いの内側。
男に為す術は無く、私の右拳を鳩尾にめり込ませて盛大に吹っ飛ぶ。
身体強化魔法が無くても、タイミングが合えばこれくらいは余裕だ。
残る一人は拳闘術使いなのか、武器を持っていない。
腰を落とし、抜き手を繰り出して来る。
軽く上体をずらして躱すと、今度は左の拳打──と見せかけて、本命は右足を狩りに来る下段蹴り。
拳は手で弾き、蹴りは軽く跳んで躱す。相手の目に焦りが浮かんだ。
3人倒されてなおこちらに攻撃を仕掛けてくるのは感心するが──残念。
「ぐはっ!?」
隙の大きい右ストレートを瞬間的にしゃがんで躱し、アッパーカット。
全身の伸び上がりを伴った一撃に、最後の一人が宙を舞う。
どさり、石畳に落ちる男に、私は笑顔で告げた。
「私が一番得意なのは、素手での格闘戦なのですよ。下調べが足りませんでしたね」
誰の影響かと言えば、父である。
私の父、ハロルド・アンガーミュラーは、私と同じ『過去』の記憶持ち。
『過去』においては、趣味が高じて古武術の師範代の資格を持っていたのだという。
腕力に物を言わせるのではなく、相手の力やタイミングを利用する。
直系の者は例外無く戦闘術を身に付けるよう求められるアンガーミュラー家において、私は父からその技術の一端を学んだ。
もっとも、教えてくれた当人は『戦うなら派手な方が良い』と言って身の丈ほどもある大剣を振り回している。宝の持ち腐れも良いところだと思う。
「さて──」
改めて、倒れ伏す男たちを見遣る。
首元に独特のタトゥーが刻まれているところを見ると、やはり暗殺者ギルドの者のようだ。
このタイミングで狙われるという事は、どう考えても依頼主はウォルターかその取り巻きだろう。つくづく、無駄な労力とコストを掛けるのが好きな連中だ。
シルクが拘束魔法を掛けてくれているので、逃走の心配は無い。
行く手を塞いでいた男に歩み寄ると、私はその場にしゃがんでにっこりと笑みを浮かべた。
「一つ、お願いがあるのですが」
「…」
男は警戒と殺気を込めた目でこちらを睨み付けて来る。
「貴方がたの依頼主に伝言です。『クリスティン・アンガーミュラーは逃げも隠れもしないので、さっさと終わらせませんか?』と」
言った瞬間、男の顔色が変わった。
「…クリスティン・アンガーミュラーだと…!?」
「ああ、ターゲットの名前を知らされていませんでしたか。私はクリスティン・アンガーミュラー。『西の魔窟』アンガーミュラー領を治める家の者です」
にこにこと名乗ると、男は奥歯を音が鳴るくらい噛み締め、絞り出すように呻いた。
「……相手がアンガーミュラーだと知っていれば、絶対に引き受けなかった…!」
「ご愁傷さまです」
『アンガーミュラー』の名は、暗殺者ギルド界隈ではそれなりに有名だ。
王宮文官時代、そちら方面にちょっとだけ首を突っ込んだし、20年以上前には父が暗殺者ギルドを相手に王都で大暴れした事があったらしい。
今回私を襲撃した彼らは、私の顔を知らなかったようだが──暗殺者ギルドの秘密主義も良し悪しである。
「では伝言、よろしくお願いしますね」
踵を返し掛けて、私はふと思い付いて男たちを振り返った。
「そうそう。もし今の仕事に嫌気がさしていたら、いつでもアンガーミュラー領へどうぞ。領主の館を訪ねてくだされば、みなさんの能力を活かせるお仕事をご紹介いたします。暗殺ではなく、魔物相手の狩猟や領地防衛のお仕事ですけどね」
『……』
唖然としている男たちの拘束魔法をシルクに解いてもらい、私は今度こそ裏路地を出た。
──国王陛下の名で、王宮から召喚の書状が届いたのは、それから5日後のことだった。




