41 スカウト
それから1週間ほど、私たちはアーミテイジ侯爵家を拠点として情報収集に努めた。
マーカスは私がベレスフォード公爵邸から持ち帰った拘束用の魔法道具を嬉々として分解し、それがリサの作である事を突き止め──リサ本人に確認したところ、泣きながら頷かれてマーカスは大層焦っていたが──、リサはウォルターに命じられて作った魔法道具のリストと詳細情報をひたすら書類にまとめ、ついでに監禁されていた間の自身の扱いについても報告書を作成する。
ジェフリーは私が潜入した際に救出して来た女性たちから聞き取りを行い、衛兵部隊としてケアの手配やご家族への説明、当時居合わせた男たちについての調査など、忙しく動き回っている。
ユーフェミアはケヴィンをアーミテイジ侯爵夫人に預け、貴族の屋敷に慣れていないリサをサポートする傍ら、私の書類作成も手伝ってくれる。
ケヴィンに付いていなくて良いのかと尋ねたら、『ここが正念場だもの。ケヴィンの事は、侯爵夫人が『何かあったらすぐ呼ぶから、任せておきなさい』って請け負ってくれたの』と笑顔で答えてくれた。
アンネマリーは引き続きブライトナー男爵家に通い、フィオナのカウンセリングをしている。
拠点として使わせてもらっていたブライトナー男爵家の客間は、アンネマリーが片付けてくれた。諸々の書類や道具をアーミテイジ侯爵家に持って来てくれたのも彼女だ。
ヒューゴはこれからも客間を使って構わないと言ってくれたのだが、私が王都に居るとウォルターに明かした以上、ブライトナー夫妻やフィオナが危険に晒される可能性は少しでも排除しておきたかった。
下手をしたら、強盗などを装って直接屋敷を襲われる可能性もあるのだ。
私はといえば、各種情報を集約した報告書を作成し、各方面との調整をする傍ら、偽装魔法で変装してブライトナー男爵家にも通い、フィオナとの面会やブライトナー男爵夫妻との情報交換と話し合いを重ねていた。
この日の議題は、『この騒動が終わったらどうしたいか』だ。
「どう、とは?」
「フィオナとも少し話したのですが、彼女が王宮文官として復帰するのはあまり現実的ではないと思うのです。フィオナ本人の精神状態の件もありますが、そもそもあそこは優秀な女性文官が活躍できる環境が整っていませんし、これから一騒動起きるので色々と面倒な事になりますから」
「でも、本人はまた文官として働きたいと言っているのよ。親としては、出来るだけあの子の希望に沿ってあげたいのだけれど…」
アリシアが表情を曇らせる。
フィオナが未来の希望を口にできるようになったのはとても良い事だ。
だがどう考えても、あの堅苦しくて旧態依然とした王宮で、彼女が伸び伸び働けるとは思えない。
と言うか、あんな場所にフィオナを戻すくらいなら、うちに欲しい。
「もし良ければ──フィオナを領主直属の文官として、アンガーミュラー領にいただけませんか?」
「え!?」
フィオナの両親は目を見開いた。私はさらに言葉を重ねる。
「うちの領では、文官を募集しています。西の果てという立地もあって、なかなか良い人材が見付からないのですが…」
領地経営に文官は必須だ。
だが如何せん、アンガーミュラー領は人手が足りない。
『文官』という肩書は敷居が高く感じてしまうらしく、メイドや使用人志望は集まっても、文官への応募は少なかった。
…その少ない人数で仕事を回しているせいで一人一人の業務量が膨大になり、捌き切れなかった仕事を片付けるため、アンガーミュラー家の人間、つまり私の両親やマーカス、それに私はほぼ休みなく働かざるを得なくなっている。
由々しき事態である。
「フィオナは王宮での実績もありますし、とても真面目で努力家です。出来る事なら、是非アンガーミュラー領で活躍して欲しいと思っています」
私の要望に対して、ヒューゴが難しい表情になった。
「…アンガーミュラー領は西の果てと聞く。娘一人送り出すには、あまりにも遠過ぎる」
娘を溺愛している父親としては当然の反応だ。
私は笑顔で頷いた。
「はい。ですので、もしよろしければ、ご一家で移住なさいませんか?」
「……何?」
フィオナは文官としてうちに欲しいが、『彼女だけ欲しい』とは言っていない。
「ブライトナー男爵は、会計士としてご活躍とのこと。王都のお客様と取引するのは難しくなりますが、会計士に相談したいという需要はアンガーミュラー領でも多くありますので──と言いますか、有り体に言えば、我が家の財務部門の相談に乗っていただきたく…」
恥ずかしい話だが、今現在、うちには会計関係の専門知識のある者が居ない。
私と母が付け焼刃で何とか回しているのだ。
「それに、アリシア様はとても高度な裁縫と編み物の腕をお持ちでしょう?」
目の前のローテーブルには、真っ白なレース編みのテーブルセンターが乗っている。
非常に繊細かつ複雑な模様で、高名な職人の作かと思っていたので、アリシアが自分で作ったのだと聞いた時はとても驚いた。
なお、今アリシアやフィオナが着ているシンプルでとても着心地の良さそうなドレスも、アリシアの作である。
お裁縫と編み物が趣味なの、と恥じらいながら微笑んでいたが、冗談抜きでプロを名乗れる腕前だ。
「我が家専属の縫い子たちに、是非その技術を教えていただきたいのです」
「で、でも私のはあくまで趣味よ? 職人さんには敵わないわ」
「いいえアリシア様。この前頂いた刺しゅう入りのハンカチを実家の縫い子たちに見せたら、『これを作った方に教えを請いたい』と、ものすごい騒ぎになっているんです」
「え…」
フィオナとヒューゴは状況から私が欲しいと言い出したのだが、アリシアに関してはまさかの現場からの直接オファーである。
フィオナもヒューゴもアリシアも、うちに足りない技術を持っている。
逃す手は無い。
「我が家での雇用条件ですが、4日勤務の2日休みで、別途年末年始や各種行事ごとの休みがあります。それとは別に、個人の都合で使える『給与が支払われる休日』が勤続期間に応じて付与されます。これは基本的にどの仕事でも変わりません。文官、会計士、縫い子の業務は昼間のみ、朝8時半から夕方17時半までで昼休憩1時間、実質勤務時間は1日あたり8時間です。残業はありません」
すらすらと雇用条件を並べ立てて行くと、ヒューゴの表情が変わった。
そりゃあそうだろう。
王宮文官なんて名目上は5日勤務の1日休みで、その貴重な1日の休みにも出勤するのが当たり前。
行事ごとがあっても事前申請して交渉を重ねないと休めないし、長期休暇などもってのほか。
有給休暇は制度自体存在しないし、基本勤務時間は1日10時間で、その上さらに月50時間近い残業がデフォルトなのだ。
…うん、完全にブラック企業どころか、『過去の世界』じゃ違法だな、これ。
まあとにかく、元王宮文官であるヒューゴはこれを『普通』だと思っているだろう。
私が提示した条件は破格だと感じるはずだ。
「ちなみに、給与ですが──」
私はさらに畳み掛ける。
フィオナの給与は、有期雇用の王宮文官だった頃の実績を鑑み、正規雇用の王宮文官と同水準。
ヒューゴは会計士という専門職、アリシアは縫い子に教える側の立場なので、基本の給与はフィオナより上で、さらに手当てが上乗せされる。
「住居に関しては、屋敷の敷地内にいくつか離れがありますから、そちらに住んでいただくのでも、敷地内に新たに建てるのでも、屋敷内の家族用の部屋に住むのでも構いません。出来るだけご希望に沿うようにいたします。残念ながら屋敷自体が街から遠く、街に住んで屋敷に通う、という選択肢が採れないので…。あと、転居に掛かる費用はこちらで負担させていただきます」
「……」
そこまで私が述べると、ヒューゴは完全に沈黙してしまった。
ただ、その表情は深く考え込むものになっていて、こちらの提案を端から拒否する雰囲気ではない。
数十秒後、ヒューゴが眉間にしわを寄せて呻いた。
「………どう考えても破格だが、本当にそんなうまい話があるか?」
素直にこちらに聞いてしまうあたり、ヒューゴの人柄の良さが出ている。
だから、うちに欲しいのだが。
「王都ではこんな条件は珍しいかも知れませんね。ですが、アンガーミュラー領ではこれが普通です」
歴代のアンガーミュラーの直系親族には、『過去』の記憶持ちがとても多い。
そのせいか、かなり前の代で、この世界には存在しない『有給休暇』や『特別休暇』、その他各種手当が制度として確立されているのだ。
…多分、私みたいに色々と会社に恨みがある人間が居たんじゃないだろうか。
領主の屋敷でそんな制度が導入されていれば、領内の商家や業者にも広がる。
アンガーミュラー領は『西の最果て』『辺境の魔窟』などと呼ばれ、悪い噂が先行しているが、雇用に関する制度はとても充実しているのだ。
私が胸を張っていると、ヒューゴは眉間に軽く手を当てて呟いた。
「──少し考えさせてくれ」
「承知しました。返答は急ぎではありませんので、納得行くまでじっくりお考えください」
私は笑顔で頷いた。
ご令嬢、引き抜きを始める。
……むしろ私がアンガーミュラーのお屋敷で働きたいんですけど、ダメですか………。




