39 化けの皮
【閲覧注意】
去勢だの何だのとそれなりに酷い表現が出て来ます。苦手な方はご注意ください。
私にぶん殴られ、床に倒れる男が1名。
薬と魔法道具の腕輪のせいで長椅子から起き上がれない女性が4名。
目を見開いたまま口をパクパクさせている公爵殿。
驚愕に固まったままの他数名。
一通り見渡し、折り取った木片を適当に放り投げると、私は改めてウォルターに向き直る。
「さて──そろそろ良いでしょうか」
アンネマリーに合図して、偽装魔法を解いてもらう。
ドレスの下にはハイネックの長袖、スカートの下にはズボン、靴はハイヒールではなくブーツ。
珍妙な格好の私を見て、ウォルターが驚愕の表情を浮かべた。
「く、クリスティン・アンガーミュラー!?」
「ええ。お久しぶりですね、ウォルター・ベレスフォード公爵」
にっこりと挨拶すると、公爵殿はその場で一歩後退る。
「馬鹿な! 貴様は爆発に巻き込まれて重傷だったはずだ!」
「あら、王宮を辞めて実家に引っ込んだ辺境貴族の娘ごときの近況をよくご存知で」
王宮文官の人事部長にとっては、解雇された有期雇用の女性文官など取るに足らない存在のはずだ。何故そこまで状況を把握して、気にしているのか。
…今の態度が全てを物語っている気がするが。
ウォルターが絶句していると、私に殴り倒された男が上体を起こし、へたり込んだような間抜けな格好のままわめき出した。
「これからが良いとこだったのに、何なんだよいきなり! 無礼にも程があるだろ!」
貴族のわりに口調が俗っぽい。
よく見れば、顔に覚えがあった。別の部署ではあるが、王宮文官時代に何度か話をした事がある。
確か、王都住まいの男爵家の三男だったか。運良く文官になれたものの、家は長男が継ぐと決定していて自分の将来が見えないと愚痴っていた。
で、婿入り先を探しているとかで、爵位持ちの家出身の女性文官にやたらと絡み、顰蹙を買っていた。
一時期、私にも付き纏っていた事がある。
(こいつ職場の女性に相手にされないからって、人事部長にゴマするようになってたのか)
何か根本的に間違っている気がする。
「無礼、と言われましても…女性に薬を盛って、好き放題する方が無礼ではありませんか?」
淡々と指摘すると、男はさらに大声で叫ぶ。
「うるさい! 女は黙って男に従ってれば良いんだよ!」
「…」
声を大にして言いたい。
そういうトコやぞ。
(だから女性にドン引かれて、結婚相手が決まらないんだよ)
とりあえず、その発言が全女性を敵に回すのは間違い無い。
「黙って従え、ですか…なるほど」
スタスタと男に近寄り、目の前に仁王立ちしてにっこりと笑う。
「現王陛下の即位宣言を知らないのですか? そのような価値観では、『女性活躍』を掲げる今の時代、王宮文官として生き残れませんよ?」
「知るか! 俺たちにはウォルター様がついてるんだからな!」
陛下の意向よりウォルターの権力の方が強いと思っているのか、この阿呆は。
あと、へたり込んだまま胸を張るな。
「左様ですか」
私は笑みを深め──男の足の間、股間の30センチほど手前に右足を振り下ろした。
バキン!
『!?』
大理石の床が砕け、踵がめり込む。
(…そういやブーツは鋼板入りだし、身体強化魔法も掛けてもらってたんだっけ)
まあ丁度良い威嚇にはなったか。
「私はそのような価値観、とても受け入れられませんし、黙って貴方に従う義理もありません」
顔に笑みを貼り付けたまま、隠しポケットから細長い金属を取り出す。
それが刃物だと気付いた途端、男は顔色を変えた。
「な、何だそれは…!」
「豚の去勢用のナイフです」
「は…?」
男は虚を突かれたような顔をしているが、正真正銘、アンガーミュラー領の養豚場で使われていた、豚の去勢用ナイフである。
オスの豚は未去勢のまま成長すると、肉に独特の風味が付き、味が落ちるとされている。
そのため一般的には、食肉用に肥育されると決まったオスの子豚は、かなり早い段階で去勢手術を受けるのだ。
手術と言っても、全身麻酔で丁寧に縫合されるようなものではない。
良くて局部麻酔、悪いと無麻酔で、養豚業者自らがナイフで陰嚢を切開し、睾丸を取り出す。
アンガーミュラー領でも古くからこの方法が行われてきたが、父がこれに疑問を持った。
『絶対痛いと思うし、どうせ若いうちに出荷されるんだから、去勢しなくても良いんじゃないか?』と言い出して、実際に去勢せずに出荷サイズまで育てたオス豚の味を確認し、領内の全ての養豚業者に『オスの子豚の去勢禁止』を言い渡したのだ。
──ちなみに、未去勢のオス豚の肉は確かに微妙にメスと風味が違うのだが、それはそれで美味しいと評価され、今ではある種のブランドとなっている。
閑話休題。
そんなわけで、豚の去勢用ナイフはアンガーミュラー領ではすっかり旧時代の遺物扱いされているのだが──何故か今回、『ベレスフォード公爵邸へ潜入します』と実家に報告したら、丁寧に布に包まれたナイフが届いた。
同封されていたメモによると『護身用』との事だったが、その横に『処刑用』と書かれて二重線で消されていた。多分わざとだ。
手のひらに収まるサイズで、非常に軽く、ポケットに隠すには丁度良いので、有難く装備して来た。
せっかく持って来た事だし、最大限活用させてもらおう。
「──女性を動けなくして襲おうだなんて、畜生にも劣る所業ですよね? 貴方がたにとっては娯楽の一環でも、それで女性は人生を狂わされるのですよ。ですので──」
キラリ、ナイフを掲げ、
「他人の人生を滅茶苦茶にする阿呆は、この場で去勢されても文句は言えないと思いませんか?」
『!?』
男たちが一斉に青ざめた。
私が足を踏み出すと、へたり込んだままの男が床を這いずって後退る。
「あら、どうして逃げるのですか?」
「くっ…来るな! やめろ!」
「そう言って抵抗する女性に、貴方は何と答えたのですか? これが初めてではないのでしょう?」
「ひっ…!」
びくり、男が肩を震わせた瞬間、盛大な音を立てて部屋の扉が開いた。
「そこまでだ!」
駆け込んで来たのは、ジェフリー率いる衛兵部隊。
事前の打ち合わせ通り、アンネマリーが頃合いを見て呼んだのだが──ちょっと遅かったかも知れない。
男が私の胸元に手を掛けているタイミングで部屋に踏み込めば、少なくとも今床を這いずっている奴を現行犯逮捕できたと思うのだが。
突入して来たのが衛兵部隊だと見て取るや、ウォルターは必死の形相を作って声を上げた。
「衛兵! この女が、突然私の部下に暴力を振るったのだ! 凶器も持っている! 捕らえろ!」
こんな時にまで高圧的な口調なのは、最早染み付いた習性と言えるだろう。
ジェフリーは怪訝な表情でこちらを見た。
「暴力? 凶器?」
「そこで床に座っている方が私の服を脱がそうとしたので、ぶん殴っただけです。正当防衛ですよ。あと、凶器というのはこの護身用のナイフです」
正当防衛…? と若い衛兵が首を傾げているのが見えるが、無視。
「……あー、とりあえず服を整えてくれるか、クリスティン」
『!?』
「下に着ているのは訓練着ですから、見えても問題ありません」
動きが不自然にならないよう、今日は偽装魔法で重ねる幻と大体同じ作りのドレスを着て来た。
ただし、その下はアンガーミュラー家御用達の訓練着──色気もへったくれも無いハイネックの長袖である。
先程服を脱がせようとした男が動きを止めていたのは、素肌に見える場所に触れたのに、この訓練着の感触があったからだろう。
なお現在、ドレスの胸元が解けて訓練着がバッチリ見えているが、別に着直すほどでもない。
胸を張って言い切ると、とても深い溜息が聞こえた。
《そういう問題じゃないわよ、もう》
隠形を解いたシルクが、別の魔法でするするとドレスを着付け直してくれる。
ウォルターとその配下の男たちは、親し気に言葉を交わす私とジェフリーを見て絶句していた。
…いや、そっちが呼んでないのに衛兵部隊が突入して来る時点で、おかしいと思えよ。
「さて──ジェフリー・アーミテイジ中隊長」
公爵を放置して、私はジェフリーに向き直る。
「令嬢方は、薬を飲まされて身動きがろくに取れない状態です。早急に保護と回復処置を」
「何!? ──承知した」
一瞬目を剥いたが、ジェフリーはすぐに厳しい表情になって部下たちに指示を出す。
一番近い長椅子に駆け寄った衛兵の一人が、女性を助け起こそうとして驚きの声を上げた。
「腕が離れない…!?」
「ああ、腕輪に仕掛けがあります。長椅子のひじ掛けに対の魔法道具が埋め込まれていて、何かの切っ掛けで引き寄せられる仕組みになっているようですね」
「拘束用の魔法道具か!」
衛兵部隊でも罪人に対して使用実績があるのだろう。理解が早い。
衛兵たちが色めき立った途端、ウォルターが慌てた様子で口元を隠し、二言三言何かを囁いた。
直後、私の右腕にくっ付いていた長椅子の破片がばらばらと床に落ちる。
魔法道具の効果を解除するキーワードでも唱えたのだろう。
「あら」
「拘束具とは人聞きの悪い──気のせいではないか」
怪しい動きをジェフリーにもばっちり見られているのだが、ウォルターは無駄に尊大な態度で言い放つ。
他の腕輪の効果も切れたようで、女性たちは衛兵に次々運び出されて行った。
私は床に落ちた破片を適当に拾い集める。この中のどれかが腕輪と対になっている魔法道具のはずだが、素人目には分からない。持ち帰ってマーカスに調べてもらおう。
それに、そろそろ──
《クリス、ジェフリー。シフォンから連絡が来たわ》
私たちにしか聞こえない念話で、シルクが囁いた。
《あちらは無事に任務完了。引き揚げたそうよ。私たちも帰りましょ》
あちら──マーカスとシフォン、そしてアンネローゼ。彼らは私たちとは別に、密かにこの公爵邸へ潜入していた。
マーカスたちの用が済んだのなら、私たちもこれ以上長居する理由は無い。
ちらりと目線で合図すると、ジェフリーもわずかに頷いた。
「衛兵部隊、何をしている! 暴行未遂に器物損壊、恐喝の現行犯だ! 早くその女を捕らえろ!」
全てを有耶無耶にしたいのだろう、ウォルターが叫ぶ。
ジェフリーが生真面目な顔でこちらに手を差し出した。
「クリスティン・アンガーミュラー嬢。申し訳ないが、現行犯だ。本部までご同行願おう」
私は肩を竦めて、仕方ありませんね、と呟いた。
「せっかく良いところだったのですが。今日のところは、大人しく連行されます」
連行と言うよりはエスコートに近い動きで、私とジェフリーは連れ立って部屋を後にする。
「……っは!? しまっ──」
魔法道具の腕輪を持ち去られたと気付いて愕然とするウォルターの前で、シルクが魔法で力一杯扉を閉めた。
ちなみに、豚の去勢方法は割とマジです(←無麻酔で去勢するのを見た事がある人)。




