38 ベレスフォード公爵邸潜入作戦
諸々の根回しを終えた数日後、私は偽装魔法で姿を変え、ベレスフォード公爵邸を訪れた。
時刻は夜。
まだ西の空は薄らと赤みを帯びているが、街は既に闇に包まれ、魔法道具の街灯が石畳を白く浮かび上がらせている。
街灯の外枠に豪奢な細工を施してあるのは、貴族の屋敷が多い中央区画ならではだろう。
(街区整備予算の無駄遣い)
ついつい、辛辣な感想が胸中を過ぎる。
その豪華な街灯が照らし出すベレスフォード公爵邸は、中央区画でも特に王宮に近い一等地に建つ、とんでもなく贅を尽くした場所だった。
「ウォルター・ベレスフォード公爵様より招待状をいただきました、ロゼ、と申します」
門番に用向きを告げ、招待状を確認してもらいながら、そっと周囲を見渡す。
まず、庭が広い。
立派な鋳物の門の向こう側、馬車が余裕ですれ違えるくらいの幅がある石畳の通路の両側には等間隔に魔法道具の灯りが並び、その外側には手入れの行き届いた芝生が広がっている。
少し離れて、レンガで区切られた花壇や植栽もあるようだ。
今日は来客があるからこそのライトアップなのだろうが、これが毎日だったらものすごいコストになる。
(横領の動機、『庭のライトアップを維持するため』とかだったら笑いものだわ)
貴族は見栄と体面の生き物なので、あながち間違っているとも思えないのが少々怖い。
「──確認しました。ようこそ、ベレスフォード公爵邸へ。こちらへどうぞ、ロゼ様」
門番が背筋を正して招待状を返してくれる。
それと一緒に、金属製の腕輪のようなものを渡された。
「これは?」
「招待客の身分証明になります。本日の会の参加者の皆様には、全員、右手首に身に着けていただくようにと公爵様より言付かっております」
「分かりました」
いつもだったらそんな怪しげな物体断固拒否だが、今日の私は『ロゼ』である。
素直で真面目で押しに弱い新人文官の『ロゼ』なら、言われた通りに身に着けるだろう。
私は素直に頷いて、怪しい腕輪を右手首に装着した。
せっかくアンネローゼの恐ろしく厳しい演技指導を耐え、偽装魔法で完璧に変装して来たのだ。
こんな所でボロを出すわけにはいかない。
門を抜けると、すぐに案内役のメイドがやって来る。
その案内に従って進んだ先は、門の正面に見える本館ではなく、左手奥、門からは死角になる位置にある少し小さい建物だった。
「こちらへどうぞ」
小さいとは言っても、ブライトナー男爵家の建物よりずっと大きい。
いかにも歴史ある貴族らしい重厚感に溢れる本館とは違い、こちらは明るい色のレンガを多用したモダンな造りだ。
メイドの案内で館内に入り、大きなシャンデリアを横目に右手の大部屋に進む。
中は晩餐会場になっているようで、大きな長テーブルが中央に鎮座し、それを囲むようにいくつもの椅子が並んでいた。
既にほとんどの椅子は埋まっている。
案内に従って一番入り口に近い席に座ると、私は周囲を見渡した。
部屋に入って左側に男性、右側に女性。対面する形になっている。人数は若干男性の方が多い。
全員若く、男性の方は明らかに落ち着き無くちらちらと女性の顔を見回している。
一番奥まった位置、対面する男女を見渡せる最も上座には、一際豪華な椅子があった。
程無く、恰幅の良い男性が執事を伴って入室し、その豪華な椅子にどっかりと座る。
ウォルター・ベレスフォード公爵。相変わらずの額の光りっ振りだ。
中年太りを『公爵家の威光』と言い切る価値観は変わっていないようで、今日も脂ぎっている。
「皆、よく来てくれた」
そんな本日の懇親会の主催者は尊大な態度で出席者を見渡し、赤ワインが注がれたグラスを掲げた。
「今日は無礼講と行こうではないか。心行くまで料理を味わい、楽しんで欲しい。──乾杯!」
『乾杯!』
ワイングラスを掲げて追随する。
赤ワインを一口含むと、どっしりとした重い口当たりの奥に、独特の香気を感じた。
(あ、これ薬入りか)
アンガーミュラー家の直系の人間には、毒が極めて効きにくい。
ご先祖様が色々と頑張った結果らしい。
だからこそ、一族は毒物一般に対して鈍感だ。それを補うために、毒の有無を判別できるよう、幼少期から各種毒物の味と香りを覚える訓練を行う。
この赤ワインに入っているのは、その訓練で試した事のある毒だった。
致死性の毒ではない。
耐性の無い者が飲むと、少し時間が経った後に強い眠気を感じ、体に力が入らなくなるタイプの毒だ。
アルコール類と一緒に摂取すると効果が倍増するので注意を要する──そう教えられた。
(ひょっとして、女性のグラスにだけ入れられてる…?)
大人しく毒入りワインを飲みながら片足の爪先で床を軽く叩き、ちらりと周囲を伺う。
ウォルターのにやけ顔が目に入り、私は口の端が歪むのをグラスをあおって誤魔化した。
途中、ウォルターから死角になる角度でワインの一部が宙に浮き、ビー玉ほどの水球になってテーブルの下に入って行く。隠形魔法で付いて来たシルクとアンネマリーの仕業だ。
《証拠確保っと》
ぼそり、私にだけ聞こえる念話が耳に届く。
料理に毒物が仕込まれていた場合は爪先で床を叩く。そうしたら、シルクが浮遊魔法で料理の一部を回収し、アンネマリーが保管する。
事前の打ち合わせの通りだ。
打ち合わせの通りなのだが──予想通り過ぎて、乾いた笑いが出そうになる。
(平常心平常心…)
その後出て来た料理には、特に怪しい物は入っていなかった。強いて不自然な点を挙げれば、ウォルターが参加者全員にしきりにアルコール度数の高い酒を勧めて来たくらいか。
アルコール度数だけではなく、お値段もお高い高級酒ばかりだったので、ただの自慢だった可能性もある。
食事の方は手が込んだコース料理だったので、遠慮無くいただいた。
ついでにお高いお酒も勧められるままに飲んだ。
元々アルコールには強いし、念のためシルクに『強制酔い覚まし』の魔法を掛けてもらっていたので、どれだけ飲んでも顔が少し赤くなるくらいで、酔わない。とても便利である。
なお、食事中の会話は男尊女卑と身分至上主義の権化のような内容ばかりだったので、適当に笑顔を浮かべて右から左に聞き流しておいた。
私は一体いつの時代にタイムスリップしたのだろうか。
…うん、ウサギ肉のパイ包みが美味しい。
デザートのブランデーケーキを堪能した後、一同はさらに奥の部屋に移動した。
一応、サロンという名目の部屋だ。
細かな刺繍が全面に施された布張りのソファや黒檀のローテーブル、高級そうな革張りの長椅子が並んでいる。
ただし、長椅子だけが全て壁沿いに等間隔に配置されているあたり、少々不自然ではある。
「あ…」
隣に立っていた若い女性がふらついたのを、咄嗟に支える。
「大丈夫ですか?」
「ああ……はい…」
口調も足元もおぼつかない。どうやら、ワインに混入していた薬が効いているらしい。
(それでなくても、アルコールに弱い人にはきつい酒量だったしな…)
普通だったら泥酔する者が複数出ていてもおかしくないくらいだ。
ふらつく女性たちに対して、男性陣が嫌な笑みを浮かべて平然と立っているところを見ると、彼らは事前に酔い止めでも飲んでいたのだろう。
「ああ、これはいかんな。長椅子で休ませてやりなさい」
ウォルターがわざとらしく心配そうな声で言った。
男たちがそれぞれ女性の手を取り、別々の長椅子に座らせていく。私もその誘導に従い、一番端の長椅子に腰掛けた。
「──さて──」
女性が全員長椅子に座ったのを確認し、周囲を見渡したウォルターが、芝居掛かった仕草で両腕を広げた。
「──ここからは、二次会と行こう。ああなに、ご令嬢方はそこで横になっていると良い。じきに終わるからな」
瞬間──
「!」
腕を強い力で引っ張られ、私は右腕を上げた状態で長椅子に横倒しになった。
見れば、腕輪が長椅子のひじ掛けにがっちりとくっ付いている。
(ああ、そういう魔法道具だったのか、これ)
恐らく、特定の人間の魔力かキーワードに反応して効果を発揮するタイプの魔法道具。
腕輪とペアになるパーツが、長椅子のひじ掛けの中に仕込まれているのだろう。
作動すると片割れのパーツと強い力で引き合うので、腕輪の装着者をその場に拘束することが出来る──確か、罪人の拘束具で似たような物がある。
男の一人が、嫌な笑みを浮かべてこちらに近付いて来る。
他の女性に対しても、それぞれ別の男が距離を詰めて行っている。
「…」
そのまま静観していると、男はこちらの服に手を掛け、慣れた手つきで胸元の合わせをほどき──
「…ん?」
間抜けな声を上げて、こちらの胸元を覗き込む。
瞬間、私は思い切り右腕を振り抜いた。
バキバキバキィッ!
長椅子の骨組みが壊れ、革が引き裂かれる音。
弾け飛ぶ破片の数々。
そして、驚愕に目を見開いたまま、私の右拳を頬にめり込ませて吹っ飛ぶ男。
『!?』
場の空気が凍り付く中、私はゆっくりと起き上がった。
長椅子の一部がくっ付いたままの右腕を軽く掲げ、首を傾げる。
「ずいぶんと不躾な事をなさるのですね。高位貴族の方々の間では、このような趣向が流行っているのですか?」
バキン、邪魔な木片を素手で折り取りながら。
「なっ、なななな…」
ウォルターが化け物を見るような表情で目を見開いている。
…身体強化魔法を掛けていればこれくらい普通なのだが。失敬な。




