37 根回し根回し、コマ回し
その後ユーフェミアとケヴィンは、アーミテイジ侯爵家に保護される事になった。
ジェフリーの住む別館ではなく、ジェフリーの両親──アーミテイジ侯爵夫妻の居住する本館で、である。
何でも、私たちが話し込んでいる間にケヴィンがアーミテイジ侯爵夫人に遭遇し、大層気に入られたらしい。
『こんなに健気で可愛い子、うちにも居たら良かったのに』という侯爵夫人の発言に、ジェフリーがそっと目を逸らしていた。
アーミテイジ侯爵家の息子たちはみな侯爵譲りの厳つい顔に威圧感漂う体つきで、実直だが口数が少なく──口を開けば割と失言だらけで──他人受けがあまりよろしくない。
素直でコミュニケーション能力の高いケヴィンはとても新鮮に映った事だろう。
ユーフェミアは恐縮していたが、アーミテイジ侯爵の屋敷に居れば身の安全は確保できる。これ以上の選択肢は無い。
そんなこんなで、ユーフェミアとケヴィンが王都に滞在するようになってから数日。
状況は一気に動き始めた。
「──クリス様、ベレスフォード公爵家への招待状を入手いたしました」
まず、王宮に『ロゼ』として潜入しているアンネローゼにアードルフがまんまと食い付き、『ベレスフォード公爵家で開催される懇親会』の招待状を持って来た。
なおアンネローゼは既に『人事部長主催の飲み会』こと『ウォルター・ベレスフォード公爵様を囲んでヨイショする会』に複数回参加している。
内容を知ったらクリス様は絶対殴り込みに行きますから、と言って詳細は教えてくれなかったが、代わりにアンネローゼの報告を聞いたアンネマリーがとてもイイ笑顔で殺気立っていたので、ろくでもない飲み会だったのは間違いない。
アードルフのパワハラの証拠集めも順調だ。
あまりに順調過ぎて録音の魔法道具が足りなくなり、実家に手紙で追加を頼んだら、マーカス謹製、極小サイズの録音の魔法道具が20個ほど届いた。
ついでに、マーカスも来た。
「姉上、ベレスフォード公爵邸へ殴り込みに行きましょう」
「まだ早いのでダメです。…と言うか、いきなりですね。どうしたのですか?」
「どうしたもこうしたもないです。リサ嬢が、ベレスフォードの屋敷に監禁されているんですよ」
自爆テロ未遂を起こして捕まり、今はアンガーミュラー領で働いているデリック。
その娘のリサは、魔法道具の技術者だ。
どこかの有力者が拉致監禁しているという話で、この件についてはマーカスが中心となって調査を進めていたが、とうとう証拠を掴んだらしい。
「確証はあるのですか?」
「これです」
マーカスが取り出したのは、デリックの義足に装着されていた発信機だった。
ただし、蓋が外されて中身が見えている。
「ここ──よく見ていてください」
マーカスが蓋の内側の回路に魔力を流すと、一瞬だけ複雑な文様が浮かび上がり──それが消えた後、薄らと小さな文字が見えた。
──『助けて。ベレスフォード公爵邸に居る』
「…リサ嬢が、魔法道具の回路の中にメッセージを仕込んでいた、という事ですか」
「はい」
見付けてもらえる可能性は限りなく低い。それでも、やらずにはいられなかったのだろう。
そして彼女は、賭けに勝った。
「──分かりました。丁度ベレスフォードの屋敷に招待されていますから、その時ついでに助け出しましょう」
「ついで」
「貴方も行きますか? マーカス」
「勿論です」
大きく頷いたマーカスに頷き返し、私は根回しの手紙を色々な方面へ送る事にする。
仮にも公爵邸への潜入捜査だ。手札は多い方が良い。
「それから、姉上」
「何ですか、マーカス」
「こちら、父上と母上から預かって来ました」
言ってマーカスが、一抱えはある箱を開ける。
その中身に、私は絶句した。
「……マーカス、これは?」
「父上と母上からの預かりものです」
いや、そういう事を聞きたいのではなく。
私が渋面を作ると、マーカスは肩を竦めた。
「これが父上と母上と、ついでに私の総意ですよ。覚悟を決めてください、姉上」
箱の中身は、アンガーミュラーの家に古くから伝わる伝統衣装。
男女の区別の無いデザインで、ドレスやスーツより軍服に近い作りをしている。
領地でかしこまった行事がある時は、アンガーミュラー家の人間は全員、これを着る。アンガーミュラー家にとっての正装である。
問題は、その色だった。
黒に限りなく近い紺に、銀糸の刺繍。その銀糸も独特の光沢を持ち、魔導銀製だと一目で分かる。
黒紺の北方絹とミスリル銀糸。
その組み合わせの正装を身に着ける事が出来るのは、アンガーミュラー家当主か、次期当主に決定している者だけ。
つまりその服は、『後継者はクリスティン・アンガーミュラーとする』という宣言に他ならなかった。
「…当主ならマーカスの方が適任では?」
貴族家では、一般的には最も年かさの男子が次期当主となる。長子相続というのは建前に過ぎない。
だから私も、自分はあくまで補佐で、当主の座はマーカスが継ぐものだと思っていた。
が。
「全ての仕事を把握している姉上の方が適任ですよ。使用人も領民も冒険者も、みんな知っています」
「マーカスだって、仕事はできるでしょう」
誰が抜けても家の仕事が回るよう、私たちはお互いの所管する業務を把握し合い、補完できるようにしている。父や母も含めてだ。
つまり、マーカスも当主としての技量は既にある。
指摘すれば、マーカスは大変イイ笑顔を浮かべた。
「じゃあ言い方を変えます。当主になんてなったらオレのライフワークである魔法道具の改造に時間を割けなくなるので、絶対に嫌です」
「………」
自分の事を『オレ』と称するのは、マーカスが完全に素で話している時だけだ。
そんな理由で当主の座を姉に押し付けるのは、世界広しと言えどマーカスくらいだろう。
…流石は私の弟。ブレない。
「──分かりました。拝領します」
苦笑と共に衣装箱を受け取る。
中身を確かめると、アンダーからズボン、ベスト、オーバーコートに至るまで、全て私サイズで作られている事が分かった。
うちにあるストック衣装を手直ししたのではなく、恐らくゼロから──絹を織りミスリル銀糸を紡ぐところからきっちり作り上げた逸品だ。
一体いつから準備していたのだろう。
「姉上が王都に発ってすぐ、父の号令で衣装作りが始められていましたよ。職人全員本気だったので、予定より1ヶ月近く早く仕上がりました」
私の表情を読んだのか、マーカスがにこにこと補足してくれる。
…そういえば、文官を辞めてアンガーミュラー領に帰ってすぐ、改めて体のサイズを測られたが──まさかその頃には既にこの算段が出来上がっていたのだろうか。
「……なるほど」
これはもう、覚悟を決めるしかない。
次期当主の地位を得れば、今回の件で出来る事もさらに増える。
この際なので有効利用させてもらおう。
「あああと、父上から伝言です」
まだあるのか。
私が身構えると、マーカスはさらに笑みを深めて告げた。
「──『全責任は俺が取る。徹底的にやれ』だそうです」
…『やれ』が『殺れ』に聞こえたのは気のせいだろうか。
一人称が『俺』になっているあたり、父も本気だ。
「──なるほど」
私は意識して口の端を上げた。
「ならば力一杯、やらせていただきましょう」
次期当主の肩書きを得たので、根回しを出来る先が増えた。
──まずは、王宮のケットシーを呼ばなければ。




