35 保護された先
「──大丈夫ですか!?」
シルクが呼んだ衛兵たちのうち一人が、ユーフェミアへと駆け寄る。
他の2人は私の方へやって来て、訳が分からないという顔をした。
…まあ、壮年の地味なドレス姿の女性がガタイの良い男を地面にうつ伏せにして関節を極めていたら、そんな顔もしたくなるだろう。気持ちは分かる。
アンネマリーの偽装魔法で姿を変えているので、ただでさえ理解しがたい状況が、完全に訳の分からない光景になっているのだ。
「ええと…?」
戸惑う衛兵たちの背後から、鋭い声が掛かった。
「何をしている! 早く暴漢を拘束しろ!」
「は、はっ!」
衛兵たちは弾かれたようにこちらへ駆け寄り、手を伸ばして来る。
大人しく男を引き渡そうと私が離れた途端、男は全身をバネにして立ち上がり、逃げ出そうとして──
「はい、却下」
「ぐはっ!?」
鳩尾に私の拳が突き刺さり、その場に崩れ落ちた。
『……』
手を伸ばしたまま、衛兵たちが見事に固まる。
「この通り、大変活きの良い方のようですので、お気を付けくださいな」
私が笑顔で告げると、衛兵たちはとてもぎこちない動きで頷いて、今度こそ男を拘束した。
「あ、あの…」
背後から声が掛かり、私は振り向く。
まだ青い顔をしたユーフェミアは、それでも気丈にケヴィンと手を繋ぎ、私に向かって頭を下げた。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「大した事はしていませんよ」
今は偽装魔法で姿を変えているから、ユーフェミアには私がクリスティンだと分からないようだ。
早々バレても困るが。
「頑張っていたのはケ──貴女の息子さんです。たくさん褒めてあげてくださいな」
まだ4歳程度なのに、大人の男に立ち向かって行く勇気は賞賛に値する。
…ただし、勇気とは別に、判断力も必要だ。
私はケヴィンに向き直り、その場にしゃがんで目線を合わせた。
「お母様を守ろうとする姿、大変立派でした」
「…!」
無言でこちらを見上げた目が、ぱあっと輝く。
ですが、と私は笑顔で続けた。
「あなたはまだ小さいのですから、大人の男の人には敵いません。今度こういう事があったらどうすべきか、一つ作戦を教えてあげましょう」
「さくせん…?」
「まず、大声で『助けて』と叫んでください」
「助けてって言うの?」
「ええ。『泥棒!』とか、『人さらいー!』とか叫ぶのも効果的です。色々な人に聞こえるように、出来るだけ大きな声で叫んでください。そうしたら、衛兵や他の大人が助けてくれますから」
「…うんっ!」
素直に頷くケヴィンの頭を軽く撫でて立ち上がる。
そのまま立ち去ろうとしたら、衛兵の一人に止められた。
「お待ちを。大変申し訳ありませんが、事情をお聞かせ願います。本部までご同行いただけますか?」
(…ん?)
とても体格の良い大男。
胸の徽章の装飾が一段凝っているから、衛兵の中でも上位の者だ。
その顔には、見覚えがあった。
「分かりました」
素直に頷いて、衛兵たちについて行く事にする。
衛兵のうち2人は早々に別の隊と合流し、男を拘束したままこちらに一礼して去って行く。
容疑者を一時収監する場所は本部とは別だから、そちらに男を連れて行くのだろう。
ユーフェミアが隣でそっと息をついた。自分に危害を加えようとした男がちゃんと捕らえられて、ようやく安堵したようだ。
体格の良い衛兵と、最初にユーフェミアに駆け寄って行った衛兵に前後を挟まれる形で、私とアンネマリーとユーフェミアたちは街を行く。好奇の視線もあったが、気にしても仕方ない。
やがて一行は貴族区域に入った。
街の治安を守る衛兵部隊はとある貴族家が運営しているから、本部も貴族区域にあるのだ。
しかし──
連れて来られたのは、衛兵部隊の本部ではなかった。
「どうぞ、お入りください」
「え……?」
どう見ても衛兵本部ではなく、普通の──それも、上位の貴族の屋敷。
門の前でユーフェミアが戸惑うと、大男は何かに気付いた顔をして、決まり悪そうに頬を掻いた。
「ああ…申し訳ない。説明が足りておりませんでした。本部は、この屋敷の裏手にあります。ここは衛兵部隊を運営する、アーミテイジ侯爵家の屋敷です。本部は淑女をお連れするには少々むさ苦──んんっ、男所帯で設備が整っておりませんので、こちらで事情をお聞かせ願えませんでしょうか」
アーミテイジ侯爵家。王都の治安を守る、武の名門貴族だ。
ユーフェミアは目を見張り、大柄な衛兵を見上げた。
男は照れたように視線を逸らし、咳払いして真面目な顔を作る。
「申し遅れました。私はジェフリー・アーミテイジと申します。衛兵部隊で中隊長などやらせていただいております。御身とお子さんの安全は保障しますので、どうぞこちらへ」
(ほっほーう…)
この落ち着きの無い態度。やけに流暢な名乗り。
さては、ユーフェミアに惚れたな。
内心で口の端を上げつつ、表面上は平静を装って、ジェフリーの案内で屋敷に足を踏み入れる。
通されたのは、どう見ても普通の応接間だった。窓が無いのが特徴と言えば特徴か。
密談に最適な造りである。
「さて、まずは…」
メイドが出してくれたお茶を飲み、一息つくと、ジェフリーは思わせ振りな態度でこちらを見た。
「──とりあえず、偽装魔法を解いてくれるか、クリスティン」
「……えっ!?」
ユーフェミアが驚きの声を上げる。
私は軽く片眉を上げ、ちらりと背後に控えるアンネマリーを見遣った。
アンネマリーは頷いて、即座に偽装魔法を解除する。
「──よく分かりましたね、ジェフリー」
魔法が完全に解けたのを確認してから向き直る。私が感心していると、ジェフリーは苦笑した。
「俺を呼んだのはシルクだろ? 姿は見えなかったが、念話の『声』で分かったよ」
《慧眼ね》
私の隣でシルクが隠形魔法を解いた。
突然現れたケットシーの姿に、緊張気味だったケヴィンがパッと顔を輝かせる。
「しるく!」
《はいはい、後で相手してあげるから大人しくしてなさい》
「うんっ!」
シルクが言った途端、ケヴィンは背筋を伸ばして座り直した。
躾が行き届いているようで何よりである。
「あと、アンネマリーはジャスティーン叔母上がうちに居た頃から叔母上の側近だったからな。顔も全く変わっていないし、一目で分かったよ」
「あら、それは盲点でした」
アーミテイジ侯爵家は、私の母──ジャスティーン・アンガーミュラーの実家だ。
ジェフリーは現当主の息子、つまり私の母の兄の息子。私とは従兄弟の間柄である。
アンネマリーとアンネローゼは、母がアンガーミュラー家に嫁入りする際、実家から連れて来た腹心だ。アーミテイジ侯爵家で顔が知られているのは当然だった。
そして、ジェフリーが私に気付いた理由はそれだけではなかった。
「実は少し前に、叔母上から『クリスティンが王都に行ったから、何かあったら協力して欲しい』って連絡が来ていてな。そのうち会えるだろうとは思っていた」
苦笑が深くなる。
「こんな形で再会するとは予想していなかったがな」
すっかり砕けた口調になったジェフリーに、私も苦笑する。
「私も予想外でしたよ。でも、ユーフェを本部ではなくこちらに連れて来てくれたのは幸いでした」
ぽかんとしているユーフェミアに向き直る。
「ユーフェ、ケヴィン。改めて、無事で何よりでした。2週間も連絡が無くて、心配していたのですよ?」
「あ……」
「何だ、知り合いか?」
「アンガーミュラー領のお隣の、ファーベルク伯爵領の幼馴染です」
私が紹介すると、ユーフェミアは慌てて姿勢を正し、ジェフリーに向き直った。
「申し遅れました。ファーベルク伯爵家長女、ユーフェミア・ファーベルクと申します。こちらは私の息子の、ケヴィンです。助けていただき、ありがとう存じます」
「あ、ああ、なに、これも衛兵の職務ですから」
穏やかな微笑みを向けられて、ジェフリーは途端に挙動不審になった。
…ちょっと、あからさま過ぎやしないだろうか。