3 退職のご挨拶②
「アードルフ室長に『今日をもって君を解雇する』と言われまして、私は本日付で退職する事になりました」
同僚たちに淡々と報告すると、
『──はあああ!?』
怒声とも悲鳴ともつかない声が上がった。
統括部長への報告を終え、諸々の雑務を片付けた後の昼食の席。
第2統括室の同僚たちは、『昼休みに集まって欲しい』という私の頼みを二つ返事で了承し、休憩室に集まってくれた。
ちなみに、アードルフ室長はいつものように役職持ち限定の食堂で昼食を摂っているので、ここには居ない。大変ありがたい。
大体のメンバーが食べ終わってからのご報告。
昼食の席でこんな衝撃発言をするのは申し訳ないが、今伝えなければ時間が足りない。
彼らには、アードルフ室長が絶対に把握していない、かつ絶対に忘れてはいけない仕事の割り振りについて、最低限話しておかなければならないのだ。
「え、嘘ですよね? 冗談ですよね!? よりによってクリス先輩を解雇!?」
「しかも今日付けって…引継ぎする時間もありませんよ!?」
「……あのクソ上司……」
同僚たちが口々に言う。
私の仕事を間近で見ている分、私の解雇が職場にどんな変化をもたらすのか、すぐに想像できるのだろう。
「落ち着いて。──手続き上は、何の問題も無いのですよ。実務面の話は考慮の外のようでしたが」
「でしょうね。あいつのやりそうな事だ」
正規雇用の若手男性職員が吐き捨てる。
彼は第2統括室での経験年数が長く、アードルフの事もよく知っている。
「で、でも、一番困るのは室長ですよね? ほら、月ごとの統計とか…」
「そうですよ。他部署との折衝だって、クリス先輩がやってたじゃないですか」
若い後輩たちが困惑した顔で言う。だが、
「それ、本来は室長の仕事なのですよ。本来やるべき人間の所に、本来やるべき仕事が戻るだけです」
「…それじゃあ、室長、今まで自分の仕事がまともにできてなかったって事じゃないですか……」
上司のダメっぷりに、同僚たちが青くなる。
「クリスティン、他の業務はどうなる?」
私の解雇は覆しようの無いものだと逸早く理解したのは、この中では一番年かさの男性職員だった。
他部署からの異動で最近来たため第2統括室の業務経験は浅いが、王宮での勤務年数は長く、あらゆる面でとても頼りになるベテランの正規職員だ。
私は笑顔で答えた。
「室長曰く、『お前の仕事は、私が引き継ごう。全て把握しているからな』との事なので、全て室長にお任せしておけば良いと思いますよ」
『………』
我ながら、今の声真似は上手かった。
ちょっとだけ満足している私をよそに、場の空気が見事に凍り付く。
俯いた若手の男性職員がおもむろに防音の魔法道具を机の上に置き、休憩室全体に防音結界を張った。
私を含め、他のメンバーが察して素早く耳を塞ぐ。
彼は大きく息を吸い込み、
「──あンのド阿呆──!!」
絶叫した。
たまにやるので私たちは慣れているが、今回は一段も二段も声が大きい。
…まあ、私が居なくなればそのしわ寄せは一番に彼に来るだろうから、仕方ない。
「何考えてやがる!? 定年前にもう耄碌し始めたのか、あのクソ野郎! クリスティンの業務の肩代わりなんぞ、片手間にできるわけ無いだろうが!」
成人の貴族男性にあるまじき口調だが、これが彼の素だ。
言っている事は正論だし、上司の前や公の場では完璧に礼儀正しく振舞って見せるので、咎める者は居ない。
…と言うか、正直に心情を吐露してくれる分、私としてはむしろ好ましく思っている。
他人の仕事の肩代わりを自分の仕事の片手間にできるわけがない──全力で同意したい。
「それを出来ると思ってしまうあたりが、あの方らしいと言えばあの方らしいですね」
頬に手を当て、小首を傾げながら言うと、一番年下の女性職員が恐る恐る訊いて来た。
「……あのー、クリス先輩、実は滅茶苦茶怒ってます?」
「1周回って冷静になってしまう程度には、怒っていますね。怒ると言うより、失望と言った方が近いでしょうか」
「失望…」
「それ一番ダメなやつ……」
「流石に、言い掛かりに近い理由で部下を当日解雇する上司に寄せる信頼など欠片も残っていませんから」
「言い掛かり?」
どういう事だ、と視線を向けられ、私は淡々と経緯を説明する。
話を聞いた同僚たちは、呆れたり、遠い目をしたり、眉間にしわを寄せたり──様々な表情を見せた。
「それは…さすがに…」
「……そこまでやりますかー…」
「…とりあえず、奴の机の上に例のウイスキーぶちまけて来て良いか?」
例のウイスキーとは、アードルフ所有の高級酒の事だ。
以前、人事部長にいただいたと自慢気に見せびらかしていたのだが、飲むでもなく持って帰るでもなく、本人の机の引き出しにそのまま仕舞い込まれている。
だから机の中に入れるべき物が出しっ放しになって片付かないんだよ、と、部下の間では悪評高い。
別にぶちまけても良いと思うのだが──それはそれで、その後に問題がある。
「大変魅力的な提案ですが、やめてあげてください。それで書類がダメになったら、苦労するのはあの方ではなく皆さんですよ」
「…それはダメだな」
「書類の作り直しは勘弁です…」
机の上が片付かないのは、引き出しの中に不要物が詰まっているからだけではない。
未処理の書類の山、もっと言うなら、時系列・優先度・ジャンル全てごちゃごちゃの混沌の山が築かれているのだ、あそこには。
それを分類して並べ替え、優先度の高いものをさり気なく席の正面に置いておくという業務もあったのだが──まあそれは本人がやれば良い事か。
できるかどうかは別として。
「でもクリス先輩、王宮を辞めたら、次はどこへ行くんですか?」
次とは。
「え? だって、色々な所に派遣されて、そこで色んな改革をしてるんじゃないんですか?」
きょとんと後輩が首を傾げると、年かさの男性職員が溜息をついた。
「…それはただの噂だ。クリスティンの年齢で、そう何ヶ所も職場を渡り歩いているわけが無いだろう」
「まあこの王宮を含め、3ヶ所程度ですね」
「3ヶ所!?」
事実を述べたら目を見開かれた。訳が分からない。
「いや待て、その歳で3ヶ所目? 噂は本当だったって事か!?」
「どんな噂か知りませんが…職場を渡り歩いていると言っても、実家の文官部門と父の友人の屋敷、後はこの王宮です。大した事はありませんよ」
なお実家と父の友人の屋敷は、ちょっとだけテコ入れした結果、ほんの数ヶ月で見違えるほど業務の進め方が改善された。
4年以上掛かってようやく形が整ってきた程度の王宮とは大違いだ。
「いやいやいや、十分大した事ですって。どんだけ制度改革してるんですか、先輩」
「誰しも、仕事で楽ができるならそれに越したことはないでしょう? 私は背中を押すだけですよ」
私が父の友人からスカウトされた最大の理由が、それだ。
単に事務処理能力が高い文官なら、王宮には掃いて捨てるほど居る。
だが、現状を客観的に把握し、問題点を洗い出し、改善方法を提案してそれを実行に移す──そちらに適性のある人間が居なかった。
と言うより、王宮伝統の前例を踏襲する文化が骨の髄まで浸透していて、『現状を変える』という発想自体が存在しなかったのだ。
「まあとにかく、私は明日から職場に居ません。皆さん、頑張ってくださいね」
にこやかに告げると、同僚たちは絶望的な顔をした。
「…明日から残業増えるな…」
「………仕事休みたいです…」
「休んでも良いが、それで仕事が消えて無くなるわけではないぞ」
「先輩…辛辣過ぎますよー……」
まるでお通夜のようだ。
仕方ないので、一応、希望のある情報も伝えておこう。
「まあ多分、半年の辛抱ですよ」
「え?」
目を瞬く同僚たちに、私はとある情報を伝える。
本当は王宮で働く誰もが知り得るはずだが、誰も気にも留めないせいでほとんど知られていない情報を。




