33 世も末です。
「只今戻りました」
「お帰りなさい。お疲れさまです、アンネローゼ」
夜、思ったより早く帰って来たアンネローゼを、私はブライトナー家の客間で出迎えた。
諸々の犯罪行為に関する証拠を集めるため、アンネローゼが偽装魔法を駆使して姿を変え、有期雇用の文官として王宮に出仕する。
私が考案し、ブライトナー家の全面バックアップを受けて始まった作戦の初日は、特に問題無く終わったらしい。
「遅くなって申し訳ありません」
「一度寮に帰った形を取らなければなりませんから、仕方ありませんよ」
アンネローゼ──いや、『ロゼ』は寮に部屋を与えられたため、一旦寮へと帰ってから、魔法で姿を隠してブライトナー家まで戻って来る事になっている。それを考えると、この時間は充分早い。
聞けば、今日は初日だからと、ギルベルトたちが定時で帰してくれたらしい。
…まあ、他の理由もあるのだろうが。
「こちら、ギルベルト様からの預かりものです。こちらはジーノ様、それから、こちらがエーミール様からです」
アンネローゼが抱えていた包みから、次々と書類の束が出て来る。
ギルベルトとジーノからはそれぞれの知り合いから入手した給与明細書、エーミールからは『ユリウス殿下がクリスティン・アンガーミュラーを王宮に呼び戻そうとしている』という噂の出所に関する調査の中間報告だった。
「仕事が早いですね…」
彼ら自身も激務だから、知り合いと繋ぎを取って事情を説明し、協力を要請するだけでもかなりの時間が掛かるだろうと思っていた。噂の出所についても、調査するのは至難の業だ。
しかし、話をしてから2週間ほどしか経っていないのにこの書類の量。彼らも本気なのだろう。
──なお、ギルベルト、ジーノ、エーミールの3名には、アンネローゼが姿と名前を偽って有期雇用者として出仕し、証拠を集めると事前に知らせてある。
アンネローゼには『大人しくて素直な新人の女性文官』を演じてもらい、アードルフがどのような言動を取るのか、ポケットに隠した録音の魔法道具を使って記録する。
ついでに、ギルベルトたちとの連絡役も担ってもらう。
大変神経を使う仕事だが、アンネローゼは二つ返事で引き受けてくれた。
「それで──初めてアードルフに会った感想はいかがですか?」
私が問うと、アンネローゼは笑顔を作ってすっぱりと言った。
「論外ですね。王宮文官があの体たらくとは、世も末です」
目が冷え切っている。
普段冷静で無表情な彼女が、ここまで整った笑顔で激怒するのを初めて見た。
…アードルフ、一体何をした。
「と、言うと?」
詳細を問うと、アンネローゼはポケットから録音の魔法道具を取り出した。
「概ね、このような感じで」
再生すると、書類を差し出しているらしいアンネローゼの声の後に、
──『うるさい! 良いから言う通りにしろ!』
お前が煩いと後頭部を引っ叩きたくなるようながなり声が響いた。
「補足いたしますと、この時この男は別に仕事をしていた訳ではありません。勤務時間中に堂々と、『ウォルター・ベレスフォードの自叙伝』を読んでおりました」
ウォルター・ベレスフォード。
ベレスフォード公爵家の当主にして、王宮の人事部長──つまり、容疑者Aである。
アードルフはこのウォルターにひたすらおべっかを使い、ごまをすり、ひれ伏していたはずだ。
その自叙伝となれば、仕事より優先されるのは当然──なのだろう。あの阿呆の脳内では。
「………なるほど」
納得して呻く。
私を放逐して以降、アードルフは増々ダメ上司化したようだ。
私が居た頃はただの無能(+横領容疑)だったのに、パワハラと職務放棄が追加されている。
…本当に、どうして奴が未だにあの席に座っているのか理解できない。いっそ居ない方が仕事が捗ると思うのだが。
「いかがいたしますか? 早々にご退場願う事も可能だと思われますが」
アンネローゼがさらりと提案して来る。私は首を横に振った。
「もう少し…証拠が全て集まるまで待ちましょう。問題点は全て洗い出して一掃した方が、後腐れが無いでしょう?」
「そうですね」
腐ったリンゴは、一つでも残すとそこからまた腐敗が広がる。アンネローゼもそれを分かっているので、素直に首を縦に振ってくれた。
「あの男の暴言は、今後も逐一記録してください。良い証拠になります。──辛いようでしたら、私が代わりますので」
いくら証拠集めのためとはいえ、あの阿呆の頭の悪い発言を聞き続けるのは苦痛だろう。
私が提案すると、アンネローゼは即座に首を横に振る。
「いけません。クリス様が潜入したら、3日と経たずにあの男の顔面に拳を叩き込みかねません」
声だけならまだしも、現物を前にしたら絶対に我慢できないだろうと断言される。
「…そんなにですか」
「はい」
アンネローゼは真顔だった。
(相当ひどいんだろうけど……私は一体どう思われているんだろう…)
突っ込んではいけない気がするので、そのまま素直に頷き、私は話題を変えた。
「──当面の目的の方はそのまま続ければ良いとして…ウォルター・ベレスフォード公爵との接触は上手く行きそうですか?」
アンネローゼが王宮に潜入した目的は、アードルフのパワハラの証拠集め、協力者たちとの情報交換の他に、もう一つある。
フィオナの日記の最後の方に書かれていた、『人事部長主催の飲み会』。
フィオナから少しずつ話を聞いているアンネマリーからの報告によると、どうやらそれは飲み会とは名ばかりの『人事部長を囲んでヨイショする会』で、人事部長ことウォルターの発言や行動は基本全て笑顔で肯定しなければならないという、実りも何も無い苦行のような時間だったらしい。
具体的には──若い女性の部下にお酌するよう強要し、男どもが笑いながら『女は黙って男に従っていれば良い』といった阿呆な発言を連発する、いつの時代のどこの常識だと突っ込みたくなるような会だそうだ。
フィオナはそこでウォルターの横に付く事を強制され、散々な扱いを受けたらしい。
要するに、セクハラである。
そして──多分、控えめな態度を気に入られたのだろうが──2ヶ月後にウォルターの屋敷で開催される『懇親会』に参加するよう迫られた。
フィオナは身の危険を感じたようだが、男爵家の一人娘という立場では、公爵家当主であるウォルターの誘いを断るという選択は出来なかった。
結果、行きたくも無い公爵家のお屋敷に行かなければならないという予定が追加され、既に限界を迎えていたフィオナの心身のバランスは完全に崩れた。
──ある意味、それで正解だったのかも知れないが。
ともあれ、気になるのはその『2ヶ月後に公爵の屋敷で開催される懇親会』である。
フィオナの話によると、後1ヶ月ほどで開催される計算になる。そこで何が行われるのか──概ね、嫌な想像しか出来ないが──調べる必要がある。
そこで、アンネローゼの出番である。
ウォルターが好みそうな女性の姿になって王宮に潜入し、アードルフを経由して『人事部長主催の飲み会』に参加し、その実態を調査して、ついでに録音などで証拠も揃える。
最終目標は、フィオナが参加を強制された『お屋敷での懇親会』の調査である。
アンネローゼの王宮への潜入は、アードルフ個人だけではなく、その背後に居るウォルター・ベレスフォードやその一派も標的に含んだ一大作戦なのだ。
「本日既に、あの男がこっそり私を検分しておりましたので、食い付きは上々かと」
作戦の手応えを訊ねる私の問いに、アンネローゼは口の端を上げて応じた。
「恐らく近日中に動くと思われます」
アンネローゼは完全に捕食者の顔になっているが、相手は曲がりなりにも『公爵』の爵位を持つ貴族である。
爵位の高い貴族は普通、魔力も高い。アンネローゼは風の精霊──人間とは一線を画する存在だが、状況によっては身の危険に晒される可能性もある。
「分かりました。くれぐれも、気を付けてくださいね」
「お任せください」
念押しすると、アンネローゼは涼しい顔で一礼して見せた。




