32.5 【アードルフ視点】補充人員
ダメ上司視点です。
閲覧注意:パワハラ上司の頭の中を見たくない方は読み飛ばし推奨。
今日、朝早くから統括部長の部屋に呼び出されたら、自分の部下になるという女を紹介された。
「本日より統括部第2統括室に配属となりました、ロゼと申します。よろしくお願いいたします」
新しい部下が入るとは、全く聞いていなかった。どうせ、ユリウス殿下が私に伝え忘れていたのだろう。
興味がある事には非常に熱心だが興味が無い事には関わろうとしないし、関わったとしても全く覚えていない、と、人事部長のウォルター・ベレスフォード公爵も嘆いておられた。
「………第2統括室室長、アードルフ・フォルスターだ」
私が名乗ると、ロゼと名乗った女はよろしくお願いします、と再び丁寧に頭を下げて来る。
一応、最低限の礼儀はあるようだ。
年齢は、20代前半といったところか。
大人しそうな整った顔立ちだが、家名を名乗らないところを見ると、平民だろう。
この神聖な王宮文官という職業に貴族以外の身分の者を入れるべきではないと、ウォルター様は何度も陛下に進言しておられたが──とうとう我が第2統括室にまで入り込んで来たか。嘆かわしい事だ。
しかし、人手が足りないのは確かだ。
フィオナ・ブライトナーが突然辞めてから1ヶ月と少し。
ギルベルトたちは熱心に残業をするようになり、大変良い変化が起こっているが、細かな雑務は滞っている。
我々正規職員がやるような仕事ではないから、この女にやらせれば良いだろう。
「…彼女は、ブライトナー男爵の推薦で採用された。一応文官としての仕事の経験はあるそうだが、よく見てやってくれ」
ユリウス殿下が真面目な顔で言うが、その声に覇気は無い。顔色は悪いし、態度は投げ遣りだ。
ウォルター様がおっしゃっていた通り、クリスティン・アンガーミュラーへの復帰の打診はすげなく断られたのだろう。
あんな女を頼ろうとする方が悪いのだ。
「承知しました」
丁寧に一礼すると、私は新人を連れて統括部長室を出た。
「ギルベルト」
第2統括室に戻ると、真っ先に部下を呼ぶ。
ギルベルトはこの室の生え抜き文官のくせに、最近何かと突っかかって来る。
こちらに逆らう余力はあるようだし、新人の指導は奴に任せれば良い。
「はい」
仏頂面で近寄って来るギルベルトに、背後の女を顎で示す。
「今日から配属になった有期雇用の新人だ。お前が指導するように」
「…………承知しました」
妙に沈黙が長かったが、ギルベルトは反論する事無く頷いた。良い傾向だ。
そのまま新人をギルベルトに任せると、私は自分の席でウォルター様に頂いた書籍を読み始める。
あの方の半生を語る自叙伝だ。
今夜の飲み会──もとい、懇親会の前に読み切って、ウォルター様を称える感想を出来るだけ多く用意しておかねば。
我がフォルスター家は代々王宮文官を輩出してきた伯爵家。
表向きは当主だが、入り婿のため、我が家での私の地位は高くない。
最低でも王宮文官の部長級にならなければ、当主として認めてはもらえない。
(どんな手を使ってでも、部長になるのだ)
そのまま本を読み耽っていると、視界の端に新人の姿が映った。
ギルベルトから教えられて、書類の整理をしているようだ。
途中、手を止めてジーノやエーミールにも確認しながら、順調に書類を振り分けている。
それなりに使えるのかも知れない。
(ふむ…)
少し考えを改める。
そこそこ仕事が出来て従順。何より、いかにも女性らしい体つきと整った顔、大人しそうな雰囲気。
──ウォルター様の好みに、ほぼ一致するのでは?
平民である事が不安要素だが、礼儀作法は心得ているようだし、何より、平民なら何を言われても揉み消すのが簡単だ。
フィオナ・ブライトナーには直前で逃げられてしまったが、代わりに良い『貢物』が手に入ったのではないか。
内心で笑みを浮かべていると、いつの間にか新人が書類の束を手にこちらへやって来ていた。
ギルベルトたちの姿は無い。他の部署にでも行っているのだろう。
「アードルフ室長、こちら、昨日締め切りの書類です」
緊張気味なのか、少し固い声で新人が言う。
昨日締め切りという言葉に、私は顔を顰めた。
書類など、相手から催促が来るまで放っておけば良いのだ。
「分かった。そこに置いておけ」
書類が山と置かれている隣の机の、わずかな隙間を目で示す。
すると、新人は戸惑った顔をした。
「え? あの、昨日締め切りの書類、なのですが…」
その反応は予想済みだ。
私は即座に息を吸い込んだ。
「──うるさい! 良いから言う通りにしろ!」
「!?」
新人が目を見開いて硬直する。
──何事も最初が肝心だ。
クリスティン・アンガーミュラーには説教しようと嫌味を言おうと全く効果が無かったが、フィオナ・ブライトナーは、怒鳴れば簡単に言う事を聞くようになった。
部下──特に女の部下は、怒鳴って威圧して従わせれば良い。
私が室長なのだ。私の言葉に従うのが部下の仕事だ。
それを教えてやるのは、早い方が良い。
(もしかしたら、あの生意気なクリスティン・アンガーミュラーも、怒鳴れば私に従ったのかも知れんな)
あの頃は『貴族たるもの、婦女子に声を荒げたり怒鳴ったりしてはならない』という男性貴族の矜持を優先して我慢していた。
だが、ここに居るのは『王宮文官』なのだ。
男性の一歩後ろに付き従い、嫁いだ家のために尽くす『女性』ではない。
ならば、怒鳴ったとしても大した問題は無い──そう気付いたのは最近だが。
「どうした、早く書類を置いて行け」
声で威圧すると、新人はぎこちない動きで指示された場所に書類を置き、硬い表情で一礼して去って行った。
どうやら、自分の立場を理解したようだ。
(ふん…)
満足して溜息をつき、私は再びウォルター様の自叙伝へと意識を戻す。
少年時代、ウォルター様が正式に後継ぎとして指名される場面だ。
通常、貴族の家は長子相続制、つまり一番最初に生まれた子どもが後を継ぐのだが、長子が女児だった場合は少々事情が異なる。
その下に男児が生まれた場合、長子である女児が跡取りになるのではなく、男児──弟が当主によって跡取りに指名される事が多い。
一族を背負って立つ立場には、男の方が相応しいという事だ。
ウォルター様にも姉君が居たため、当時、ベレスフォード公爵家は真っ二つに割れたそうだ。
頭脳明晰で品行方正、しかも気が強い姉上。
しかしウォルター様がそれを上回る優秀さを示したため、比較的早い段階で姉上がウォルター様を認め、『この家の跡取りは貴方よ』と宣言したことで、事実上ウォルター様が後継ぎと決まった──懇親会で何度も聞いた話が、より詳細に描かれている。
(ここは、是非とも話題にすべきだな)
ウォルター様の歓心を買うすべは心得ている。
まずは、ウォルター様の過去の武勇伝。
以前聞いた事があったとしても、心から褒め称えるのが肝心だ。
次に、酒。ワインでも蒸留酒でも、辛口のものを好まれる。
だが実はそれほど酒に強いわけではないので、小さな器で飲める、珍しくて高級な酒が良い。
今日は我が家の出入り商人が持ち込んだ、珍しい南方の酒がある。これを飲んでいただこう。
そして、女。顔立ちが整っているのは大前提として、大人しく従順な、若い女である事が重要だ。
とはいえ、若ければ若いほど良いという訳ではない。20歳前後、出来れば25歳以下が良い。
新人の年齢は分からないが、見た目からして20代前半だろう。
さて──
(いつ、ご紹介すべきか…)
書類整理を続ける後姿を見遣り、私は薄らと目を細めた。




