26 行動開始
エルダーは夜通し空を飛び、東の空が白み始める頃には王都の外れに到着した。
早朝と言うにも早い時間帯、出歩くのは王都の警備を担う騎士たちくらいだ。
その見回りの隙を突いて、エルダーは音も無く裏路地に降り立つ。
王都はぐるりと城壁に囲まれているので、本来は南・西・東のいずれかの門を通らないと入る事が出来ない。
今回、私は『自領で療養している』事になっているので、敢えての不法侵入だ。
「ありがとうございました、エルダー」
《ありがと》
《なんの、お安い御用じゃよ》
ずっと飛び続けていたエルダーは、疲れを見せずに笑う。
するすると身体を普通のフクロウサイズに縮めると、さて、と翼を広げた。
《わしは一旦、ハロルドの所へ戻るとしよう。あちらでも情報を集めておるでな。ファーベルクの娘っ子からの手紙が来たら届けてやるから、お前さんたちも頑張るんじゃぞ》
ユーフェミアの手紙やらなにやら、伝書鳩代わりをするために、このままトンボ返りする気らしい。
「エルダー、休まなくて大丈夫なのですか?」
《なに、心配しなさんな。昼間はたっぷり眠って、夜になったら移動するつもりじゃ。今のうちに王都から離れて、休むのに安全な場所を確保するんじゃよ》
「ああ、なるほど」
《気を付けてよ、エルダー。街の連中に見付かったら大騒ぎ確定なんだから》
《ふぉっふぉっ、分かっておるよ》
ミッドナイトオウルは、王都近郊では非常に珍しい。
ついでに、『眠る人間に悪夢を見せて魂をついばむ』という根も葉もない噂を信じ込んでいる人間が多いので、見付かったら最後、討伐対象として追い回される事になる。
なお以前、噂の真偽についてエルダーに確認したところ、『魂はついばめんじゃろ』と至極もっともな突っ込みが入った。
『人間は大して美味くないしのう』という呟きは、聞かなかった事にした。
「クリス様」
エルダーが飛び立った後、すぐにアンネローゼがやって来る。
こちらの到着時間も着陸場所も伝えていなかったはずだが、大変早い。
どうやって見付けたのか訊ねると、『風に溶けて王都上空で見張っていました』と涼しい顔で答えてくれた。
流石は風の精霊、やる事が違う。
「宿は押さえてあります。こちらへ」
アンネローゼの案内で裏路地をすり抜けるように移動し、豪商などの裕福層の使う宿に入る。
正面からではなく裏口からなのは、『訳有りの客』を受け入れる時の鉄則なのだそうだ。
私の動きは貴族たちには出来るだけ知られたくないので、誰にも見られずに宿に入れるのは有り難いが、疑問は残る。
「アンネローゼ、宿の方に私の事を何と説明したのですか?」
優秀な風精霊は、そっと視線を逸らした。
「…『旦那様に虐げられて、命からがら逃げ延びて来た奥様』という事にしています」
「……そうですか」
嘘も方便。
宿の部屋で軽く仮眠を取り、アンネマリーが用意してくれた朝食兼昼食を摂った後は、いよいよ行動開始だ。
「シルク、フィオナの実家に繋ぎは取れていますか?」
出来れば今日、フィオナの無事を直接確かめたい。
貴族の基準ではかなり突然の訪問になるが、先触れは王宮のケットシーたちに頼んであった。
《ええ。昨日のうちにボスが伝えてくれているはずよ──…ちょっと待って》
シルクがぴくりとヒゲを震わせ、虚空に視線を走らせる。
魔力が漂っているところを見ると、どうやら魔法でボスと会話しているらしい。
程無く、シルクは溜息をついた。
《…フィオナの父親がとても怒っていて、まともな話が出来なかったみたいね。『王宮のケットシーだ』と名乗った途端に怒鳴られて、引き下がるしか無かったそうよ》
「それは…」
フィオナが第三者が見ても分かるほど憔悴しているか、怪我など、何らかの外見上の変化があったか。
あるいは、王宮での出来事をフィオナ本人から聞いたのかも知れない。
──フィオナが無事であれば、だが。
「…ここで悩んでいても仕方ありませんね。フィオナの実家──ブライトナー男爵のお宅へ行きましょう」
《先触れを突っ撥ねられてるけど?》
アポイントが取れていないので、貴族としては完全にマナー違反になる。
が、
「致し方ありません。突撃お宅訪問です。門前払いされる覚悟で行きます」
《……貴女って時々、びっくりするくらい後先考えないわよね》
溜息をつきながらも、しょうがないわね、とシルクが立ち上がる。
《場所、詳しく知らないでしょう? ボスに連絡して、案内してもらうわ》
「ありがとうございます、マダム・シルク。アンネマリー、アンネローゼ、協力してもらえますか?」
『はい、クリス様』
自爆テロ未遂は記憶に新しい。
今はユーフェミアの協力も得て、関係者総出で『クリスティンとマーカスは自宅療養中』という事にしているから、私が王都に居ると黒幕に知られるのは非常にまずい。
そこで、アンネローゼの出番だ。
「──偽装」
ふわり、魔力が私の身体を包み込み、鏡に映る姿が変化する。
茶色い髪と褐色の瞳、少し目が小さめである以外、これと言って特徴の無い壮年の女性。
アンネローゼの得意とする偽装魔法──風の魔力で作った幻影を身体に重ね、外見を誤魔化す魔法によって、私は『比較的上品な、誰だか分からない女性』の姿になった。
「いつもながら、素晴らしい手腕ですね」
「恐れ入ります」
私が動くと、幻影もそれに合わせて動く。
まばたきすら一瞬の遅滞も無く連動するのは、術者がアンネローゼだからこそだ。
違う姿になった私は、アンネマリーとアンネローゼを伴い、街へ繰り出した。
シルクは隠形魔法で姿を隠しながら付いて来ている。
シルクは王都では珍しい鮮やかな金目を持つ三毛のケットシーで、私の相棒として一部関係者の間では有名だった。私が変装していても、シルクの姿でバレては元も子もないのだ。
途中、シルクに呼び出されたボスが合流する。
《いや、すげぇなその見た目》
「そうでしょう? 母の腹心は優秀なのですよ」
《ボス、感心してないで早くフィオナの実家に案内してちょうだい》
《合点!》
シルクの言葉に一瞬で背筋を伸ばし、ボスは意気揚々と先頭に立った。
貴族の屋敷が多い中央区画に行くのかと思いきや、向かったのは東の区画。主に平民の裕福層が居を構える場所だ。
《ここだ》
ボスが立ち止まったのは、東区画の中でも比較的中央区画に近い場所にある、赤レンガの屋敷の前だった。
建物自体はかなり古いようで、赤レンガも若干色褪せているが、庭も建物もよく整備されている。
気立てが良く素直なフィオナの実家と考えると、とてもしっくりくる雰囲気だ。
「案内ありがとうございました、ボス。ここから先は、私たちに任せてください」
《おう。気を付けてな》
ボスが尻尾を一振りして去って行く。
私たちはそのまま庭を進み、屋敷の呼び出しベルを鳴らした。
「…どちらさまでしょうか?」
程無く、上品な身なりの女性が顔を出す。
髪や瞳の色味は少し違うが、面差しがフィオナにそっくりだ。
まさか使用人ではなく、ブライトナー男爵夫人だろうか。
「突然の来訪をお許しください。実は、フィオナ・ブライトナー様についてお話ししたい事がありまして…」
厳密には、『話がある』ではなく、『フィオナと話がしたい』だが。
敢えて名乗らず、申し訳なさそうな笑顔を作って告げると、女性はわずかに眉を顰めた。あからさまに怪しまれている。
しかし、フィオナの名は聞き捨てならなかったのだろう。
ほんの少しだけ扉を開け、どうぞ、と呟いて奥へと引っ込んだ。
(あら、意外と簡単に)
《油断しちゃダメよ、クリス》
拍子抜けしていたところにシルクの忠告が飛ぶ。
屋敷の中に入り、扉を閉めると、その言葉の意味が分かった。
「……誰だ、お前は」
明らかに殺気立った様子の壮年の男性が、眉間に深いしわを寄せて仁王立ちしていた。